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日記が面白いのはきっと「わかりみ」と「ひらめき」のおかげ

数日前のことになりますが、大橋さんのこちらの記事を読みました。この記事の中にもあるんですが、そう、日記っておもしろいんですよ。

日記は、慣れないうちは「ヨソ行き」な文体、すなわち普段メールや報告書を書くときの文体でしか書けないものです。
それが書き続けるうちに「自分しか読まないんだから、もっとぶっちゃけても大丈夫だ」ということに気づき、ありのままの気持ちを乗せられるようになります。
そして、そのように書いた日記を数年後に読み返すと、これが、実に、面白い…。
他ならぬ自分が書いた文章なので当然なのですが、これまでのすべての出来事をもれなく一緒に体験し、その過程で生成されたさまざまな前提や文脈をまるまる共有しているわけですから、何を言っても全部打ち返してくれる。
「あるある」だらけで、そこに可笑しみが生じるのは必然というか不可避。

そう、不可避です。

「あるある」ネタの話題って盛り上がりますよね。

たとえば同郷のあるあるネタは、飲み会で鉄板の話題の一つですし、「アド街ック天国」なんかのテレビ番組は「あーわかるー」という楽しみ方を個人的にはしています。

そして、日記を読むときほど「あるある」って思うことはないです。

書いてあること、全部自分のことなわけですから。

あえて砕けた表現をするなら「わかりみが深い」ってやつですね(これって使い方あってますか?)

日記のおもしろさは、多分この「わかりみ」なわけですよ。

他にも盛り上がる話題の鉄板は思い出話です。

同窓会で「あの頃は~」と話したり、学生の頃の流行歌でどれが良かったかなんて話は盛り上がりやすいですよね。

これがなぜ盛り上がるのかというと、昔の忘れていることを思い出すのってとても楽しいってことが多分理由の一つだと思うんですよ。

「アハ体験」なわけです。

さらに言えば、親戚の子供が赤ちゃんからいつの間にか小学生とか中学生になってたときって驚くと同時になんかうれしいじゃないですか。

なんでなのかなって思うんですが、変化を把握することができたときって気持ちいいからだと思うんです。

これも一種の「アハ体験」ですよね。

そして日記は忘れていることを思い出させますし、自分の変化も見て取ることができます。

つまり、日記の面白さは「わかりみ」と「アハ体験」の相乗効果なんじゃないかと思うわけです。

この相乗効果を体験するところまで行くと、日記って習慣化しやすいんじゃないかなと思いました。

もっとみなさんに日記の楽しさを味わってほしいと思う今日この頃です。


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