手帳は日記帳のDNAを受け継いで進化したという夢想
手帳は未来を、日記は過去に軸足を置いたツールです。
しかし未来は通り過ぎれば過去になります。となれば手帳は日記と通ずるところがあるでしょう。
もともと日本の手帳は1879年の懐中日記が最初といわれていますし、日記と手帳は兄弟、むしろ親子といってもいいのではないでしょうか。
しかし、いま文具店では日記帳よりも手帳が圧倒的なスペースを持っています。
その理由を今までは「手帳の方が過去よりもわくわくする未来をイメージできるからだろう」と考えてきました。
ですが、この考えを少し改めたいと思います。
手帳は日記帳のDNAを受け取ったがゆえにいま繁栄しているのだという仮説です。
そう考えるきっかけとなったのがNHK出版新書の『手帳と日本人』です。
この本では手帳に不可欠である暦や時間の要素を絡めて手帳の歴史を振り返っています。
手帳は前述したように懐中日記からはじまり、今では数えきれないほどのバリエーションの手帳が存在します。
ほぼ日手帳、能率手帳、朝活手帳、ジブン手帳、さらにはバレットジャーナルのような自作するものも含めればきりがありません。
なぜここまでバリエーションが増えたのかといえば、やはり手帳は社会の流れをくみ取り、着実に進化してきたからと言えます。
そう、進化です。
『手帳と日本人』では「手帳のカンブリア爆発」という言葉もあるほどです。
果たして日記はどうでしょう。手帳ほどのバリエーションがあったのでしょうか。
しかし、予想に反して日記帳には「家庭日記」「英文日記」「農業日記」「小学生日記」「文芸日記」など様々な日記がありました。1
しかし今現在の日記はやや日付やフォーマットの自由度が上がったものが出てきたとはいえ、手帳には及ばなくなっています。
そこで考えたのは日記帳のDNAは手帳に移されたのだという仮説です。
「手帳のカンブリア爆発」という言葉を紹介しましたが、実際に古代で起こったカンブリア爆発では、その前の時代においてすでに様々な種が存在し始めていたと言われています。
つまり、日記帳ですでに存在していたバリエーションが手帳に受け継がれ、その結果カンブリア爆発に至ったのだという推測です。
だからこそ手帳には日記的な面が残っています。
そんなことを考えました。
情報に押し流されそうな現代だからこそ計画や目標といった「手帳」の性質だけでなく、内面を見つめ直す「日記」の性質にも、もう一度フォーカスを当たってほしいと思う今日この頃です。
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