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日記2023.4.21

鳥取から帰ってきて結構忙しい。2週間したら二子玉川の連休がはじまる。

子どもたちの歓声とはしゃぎまわる足音、親の品定めする視線、泣き声、怒る声、ものを作るときの音が聞こえないほど集中している眼。
その中にずっといる精神力が必要な連休。

鳥取で思ったことはもう私は必要ないということだった。子どもから連れてきてくれてありがとうと頭を下げられたとき、もうこれが言えるようになっていると思った。
その一言で満たされて心が満足した。
親としてなのか、人としてなのかわからない。
だだ私が満足した。

まだ、お金を出して一人で宿泊することができない年齢の子から、対等な対価としてその言葉をもらった気がした。

帰ってきて地元の皆にあまりにも誇らしそうに体験したことを伝えている。
おみやげを渡すかわりに永遠に続きそうな話を聞いてほしい相手が、両手の指では足りないほどいること。
なんていい環境。
皆が仕事の手を止めて聞いてくれる。

それが私にはできない。
鳥取でお母さんずっと帰ってこないなーと思わせぶりに話しかけてきた女の子を、煩いと跳ね除けて私は仕事中だから、子守りに来たんじゃない。と突っぱねた。
まとわりつかれること、身体の前に回り込まれること、ずっと話しかけられること全てが嫌だった。構ってほしかった昔の私が可哀想だった。私は言えなかったんだから、そんなこと私に言わないでと思う。
ぜんぶ言いたいこと我慢して良い子にしてと思う。
地元の皆がしてくれることが私には一番難しく、今はまだできない。
ここで皆に育ててもらえて本当に有り難い。私にはないものがありすぎる。恵まれている。

そしてもう子どもと離れる寸前なんだなと思う。
いまになって少しだけ寂しくなって、また私は気持ちを自覚するのがとても遅いんだなと思う。いつも終わりそうなときに気付く。

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