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田口ランディさん主催のクリエイティヴライティング講座に参加したハナシ

なんせデビュー当時から、敬愛し、お書きになるものは
ほぼリアルタイムで追ってきたファンであるので、鼻血出しながら、汗をカキカキ参加した。個人情報を暴露しないよう配慮して記事を残す。

なんせ、大阪から行くものだから、湯河原ってどこ?から始まり、JRの窓口でも相談し、新幹線で新横浜まで上りで乗り入れ、下り新幹線で折り返して熱海で在来線に乗り換える、というのを教えてもらい往路切符を買った。
4時起きで始発に乗り、RPGみたいに現地に向かい、
時間余裕見過ぎて40分も前に着。恐る恐るチャイムを鳴らすと、ガチャっとドアを開けたのはランディさんその人。「わランディさん」と一瞬白目になった。想定より高めアルトヴォイスで「早いねー、今準備中」と気さくにご挨拶頂いたものだから、食い気味で「準備をお手伝いさせてください」とお願いし、拭き掃除を仰せつかった。
「認知症予防にいいらしいよ。エビデンスもあるんだよ」とバケツにアロマオイルを垂らしてくださった。レモンとローズマリー。良い香りに満ちて、なんだか安心した空間となった。
その後、参加者の皆さんが来訪され、ロッカーの場所とかお示しして、多分これは我のことはスタッフだと思われていたかと思うが、そこは御容赦いただきたく。

田口ランディさんは自身の体験に基づき、喜びと悲しみの狭間で揺れ動く物語を紡ぐプロの小説家だ。彼女の文体は、読者の心を豊かに彩る言葉が織り交ぜられている。深い共感や共鳴を呼ぶテーマに心を寄せ、人間関係や人生の喜びや苦しみを描き出すことに力を注いでいるように見受けられる。
田口ランディさんの作品には物語性や物語的要素が巧みに組み込まれており、登場人物の内面的な動きや状況の変化が鮮やかに描かれていた。我らは作品を通じて、さまざまな感情に触れることができ得る。
また、彼女の文章は内省的で哲学的な思考を含んでおり、人生の意味や存在の本質に対して深い思索を巡らせ、我々の心に静かな考えを響かせる。ランディさんの作品は、時には胸を締め付けられるような感情を呼び起こす。
そのクリエイティブな筆致は、私の心に深く刻まれ、生きる指標の一つとなっていた。

我は以前から本講座には参加したいと考えていたが、
我なんてそんな無理遠い忙しい、等いろいろな言い訳で見送っていた。今回は、タイミングが絶妙だった。えいっ、と参加した。

ランディさんは、大作家先生にも関わらず、秘書のような親衛隊も同席せず、フランクに、講座の主催者としてその場におられた。ただ、参加者が気持ち良く、各自の内面を深く掘り下げられる環境を準備して頂くことに心を配られていた。確かにライティングの講座ではあったのだが、何かのセラピーの様に不思議な空間と参加者の関係性が構築され実装された。
よく存じないので推測だが、ゲシュタルト心理療法などをベースにしておられるのかな、とも感じた。

原稿用紙に短い時間で各自にアサインされたお題に従って書き進めるのだが、”具体的に”、”率直な”言葉で伝えないと、ランディさんには見透かされてしまうような怖さもあった。抽象的な言葉、意味を成さないで紡ぎ出された言葉は効力を持たないと感じた。なので精一杯正直に自分の深い場所と向き合うことになった。

とにかく我は感想を翌日に書くというのを目標にしていたのでラフだが、noteにそのまま公開する。内容に関しては、ランディさんの許可なくしては記事にはできないが、控えめに言って物凄い体験であった。
丸一日の長い講座であるの一人一人のロールがめっちゃ重要。間違いなく影響仕合、シナジーを創り出せていた。
ご一緒していただいたメンバー様には改めて、この場で謝辞したい。時間と経験、創造を共有し、共作したこと感謝致します。

私は看護師時代、医療ミスをしたのだが、それに30年間蓋をしていたのだが、ランディさんからのご指摘により、別角度からその蓋を開けることと相成った。開けてみると、それは、何てことないモノが入っていたのだが、それなりに重かった。そのモノを自由にしてやる事で、我が自由を得た。

帰宅途中、セイジオザワの訃報を聞いた。
今日はオザワ指揮の交響曲を聴きながらこれを書いた。

見出し写真は、フィンドフォーンのエンジェルカード。

講座開始直後にランディさんから一枚引かせていただいたもの。depthは深さ。傍らの天使は水中メガネとフィンをつけている。ジャンプ台の上に佇んでいるようにも見受けられる。講座の助っ人に来てくれているとのこと。

我は深さを定量し言語化し捕まえるのだ。ノイズはキャンセルしエクスキューズもキャンセルし、観察する。

我の今後にご注目いただきたい。


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