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天皇男系論は昭和の大臣答弁が根拠?津村啓介さんの皇統検証は女性の未来を開く。岡山から反カルト

質疑全体はここから見れます

津村啓介議員の質疑は法廷劇で相手を追い詰めていく論理的な詰めを感じます。ところでまず、これを。

そして西周らに軍人勅諭構想を語り、命令。動きは急でした。近代軍制のない中での(大佐も少尉もない)西郷“大将”は征夷大将軍と同じ雰囲気。西南戦争により将軍不在になる。終結して間もなく起草を山県有朋は命じました。

イギリスもスコットランドなどとの戦闘の後に女王が。同様に周りは海。
事実としてこういう伝統です

以上に触れたうえで本題に入ります。



まずは国会質疑動画をどうぞ。

10万回視聴にまもなく。

男性皇族と女性皇族の間に生まれた天皇を男系と呼ぶ以上、事実として数の上で男系天皇が多くなる。

それはそうですが、別の視点。

2700年の皇統継承において“男系でなくてはならない”という掟なり規範やルールがあったのか?

が今回の質疑であった。(どうやらなかった模様)

■「男系継承を古来より例外なく維持してきたのか?」という問いである。

それに対して溝口洋内閣官房審議官は、昭和21年の帝国議会委員会における大臣答弁により、事実としてそう理解していると回答した。

どうやら「男系継承を古来例外なく維持してきた」と設定したのはかなり最近のようである。

では津村議員による事前通告。質問主意書をここに置く。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

津村啓介 質疑 質問通告

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

おわかりであろうか?

【伝統に対し不当であり、不敬である】

そして質疑により、この「男系継承の伝統」設定の開始は昭和21年の帝国議会での金森宮内大臣の答弁から始まった、との回答を引き出した。

いわく

金森大臣「古来、つねに男系を尊重しておった」(昭和21年)

◆2021年6月11日 14時24分 この政府答弁を歴史の一ページに記す。

※昭和から! ちなみに大臣答弁の根拠は明治22年制定の皇室典範である。

つまり男系相続という(やや強引な、欠史や謎の天皇が間に入ることに目をつむるとしても)解釈による事実はあっても、男系であるべき、という規範はどうやら長い歴史と伝統の中では存在しなかったようである。

その証拠はたとえばこれ。明治天皇が宣言したものである。

皇室典範制定の前にいってしまったかな?

天照大御神は女神なので神武天皇は女系ということになる。

(思わぬ答えだったからか核心だからか、津村啓介さんは「もう一度おっしゃっていただけますか?」)

としてもう一度言わせた。

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■さらにわかりやすく意訳してみますと

伝統に即していうなら古来より「あれは男系だ」「それでは女系になってしまう」などという区別どころか「男系」という言葉すら使われていなかったのですよ。

しかるに、今の政府見解ではあたかも「男系であるべき」という「規範」「掟」が過去に連綿とあったかのごとき印象を与えている。

津村啓介「男系継承を古来例外なく維持という表現を使うのを改めてもらいたい。時代考証をしっかり踏まえた上で規範としてどういうルールがあったか、を丹念にたどった上で丁寧にこの議論をしていただきたいと考えます」

溝口審議官「それは事実として適切であると申し述べたく 云々」

答えになっていません。

津村啓介議員「それは金森大臣の個人的見解にすぎず、男系継承が規範として成立していたという根拠にはならない。先程の見解によると最初の皇女の皇族以外との婚姻は平安期の藤原良房とのこと。2700年とする皇統の歴史という設定に従えば、それは1000年前に過ぎない。古来からの伝統であるという根拠をお願いしたい」

藤原良房。嵯峨天皇に深く信任された優秀な廷臣で、左大臣に昇った藤原冬嗣の次男として生まれる。弘仁14年(823年)選ばれて嵯峨天皇の皇女であった源潔姫を降嫁される。当時、天皇の皇女が臣下に降嫁する事は禁じられていたが、潔姫は既に臣籍降下していたため規定の対象外であった。それでも、天皇の娘が臣下に嫁ぐという事は前代未聞であり、9世紀において他にこの待遇を受けたのは源順子(宇多天皇皇女。一説には実父は光孝天皇)を降嫁された藤原忠平のみである。

wikipediaより

女性皇族は皇族以外との婚姻をこれ以前は禁じていたため、女系天皇が出るはずがない。

皇女が臣下に嫁ぐ例ができたのが1000年強前。ここが女性天皇や男女系天皇の別が問題になりだしうる地点

○男性皇族と女性皇族の間に生まれた天皇は、後世の言い方なら“男系”
ところで古事記にも日本書紀にも大宝律令にも「男系で繋げ。女系天皇は偽天皇」とは書かれていない。

ありゃーーーー!😅

5世というと赤の他人ですね血縁的には。

男系について自分に照らして考えるとおわかりかと思います。

曽祖父の息子さん(祖父のご兄弟ですね)の息子さん(いたとしても知りません)の息子さん(誰?親戚というべき?)と。。こんな距離の人が

「我こそは男系なり!女しかおらぬのだな?」 とこられてもなあ

家族で継承、そういう感覚で承継していったに決まっているではないですか?

つまり連綿と続く天皇家には「男系継承」なんで規範はなかった。

ならば男系だナンダのあれらのガヤガヤはなんなのか?

言い方が悪ければ謝りますが、それはいつもの単なるネトウヨのホラに過ぎない。

逆賊とされる将門も男系男子

らがなひさんは竹田恒さんのことを暗にいっています

そこでまたもや出てくるのが彼である。

出たよ。。。

やれよ。。


■再び委員会の様子を再掲する

【男系規範というならその成立時期をお聞きしたい】

津村啓介「事実としての認識として正しいのは認めています。私がお聞きしているのはルールとして規範が成立した時期や経緯です。なにゆえ“古来より例外なく男系継承維持”という政府見解となっているのか?それは昭和の大臣答弁である、ではあまりに根拠に乏しくないですか?

さらに続けた。

「事実として述べられたのはそうでしょう。聞きたいのは男系継承をまるであたかも規範として語るべきではないということです。先程からそれについてきいています。質問通告を守った上で事前に質問をお渡ししてお聞きしています。再度お尋ねします。規範として語られるべきかお答えいただけますか?

溝口審議官「繰り返しになりますが大臣が男系原理を認めてる」(昭和21年)

Q 規範として語られるべきか?
A大臣が男系原理の歴史があったと述べている

津村「もう一度お聞きします。規範として語られるべきか否か?」

伝統規範の歴史的事実はどうなのか?とさらに毅然と食い下がる)

アラバマ

※画像はあくまでイメージです

渡嘉敷奈緒美委員長「平行線なのでもう意味はないですね見解の相違ということでフヒヒヒヒヒ

違います渡嘉敷委員長。大臣答弁から政府見解になったことは認めています。そうではなく「規範として語ることの適否」が質問なのです。

繰り返しその回答を求めますが、審議官は、大臣答弁がー!と連呼。

委員長は論理がよくわかっておられないご様子。

このやりとりを「しっかりお答えしています」と渡嘉敷奈緒美委員長。

本気でそう見えるのか聞こえるのか、もうこの質疑を続ける意味はない、などといい出す始末である。

このネトウヨの渡嘉敷委員長というお方。薬学部なので国語が試験になかったのかな?

あと津村議員も落ち度はあるか。渡嘉敷委員長のことを橋本委員長と何度も間違えている。

これ?

ネトウヨだよと。これを思い出しました。
「議長、ちょっとあれなんとか、、なにあれ? 水田議員!

それはいいとして質疑の要点ダイジェスト


とかしきなおみ委員長「ふひひひひ

渡嘉敷 奈緒美(とかしき なおみ、1962年7月16日 - )は、日本の政治家、薬剤師。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、衆議院厚生労働委員長。環境副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、厚生労働副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、厚生労働大臣政務官(第2次安倍内閣)、自民党副幹事長、自民党厚生労働部会長、自民党環境部会長、杉並区議会議員、大阪府知的障害者陸上競技会会長、「清紫会」新作法学院マナー師範を歴任。
 日本会議国会議員懇談会
神道政治連盟国会議員懇談会
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
再チャレンジ支援議員連盟
83会
日本の尊厳と国益を護る会

なぜこのような質疑をしたのか?これから天皇制のあり方や存続の仕方をめぐり有識者会議が開かれ議論される。

その際に有りもしない慣例や伝統をあったかのごとくミスリードするべきではないからであります。

当たり前と思っていた日本の伝統が実は全く違ったもので、その出元は明治の国定教科書の創作だったりするのはよくあることです。

驕るな と

同様に古来は牛豚鶏食を穢れとして忌避していましたが、どうします?

他にもありますのでこれらも? 飛ばしても舞いませんが

津村 啓介(つむら けいすけ、1971年10月27日 - )日本の政治家。立憲民主党所属の衆議院議員(6期)。内閣府大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員長、旧国民民主党副代表などを務めた。岡山県津山市生まれ。大阪府や愛知県で育った後、東京都へ移り住む(現住所は岡山市中区円山)。麻布中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。ゼミは憲法。東大卒業後、日本銀行に入行。2000年よりオックスフォード大学経営大学院(サイード・ビジネススクール)に留学し、翌年にMaster of Business Administrationを取得した。2001年に帰国。2002年、民主党が実施した衆議院議員総選挙の候補者公募に応募し、合格。翌2003年、第43回衆議院議員総選挙に民主党公認で岡山2区から出馬。自由民主党の熊代昭彦に敗れたが、重複立候補していた比例中国ブロックで復活し、初当選した。
Twitterアカウント @Tsumura_Keisuke

では 

上の規範については継続審議となっています

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ふひひひひひひ ^_^

岡山から反カルト!

以下は余計な話かもしれませんが


女性天皇記事
国民の声


では

(著作権フリー ご自由にどうぞ 当たり前ですが)

千代に八千代に。

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あれ?

スクリーンショット 2021-09-13 192536 津村


穢れ。身分差別なんです

男性皇族&女性皇族 これは後世の呼び名で男系と呼び、ほとんどこれ

男性皇族&女性非皇族 許される

男性非皇族&女性皇族  問題ありとする明治以降の見解

男性非皇族庶民狙い撃ちの差別

男vs男 のアングルもある


原文になるように自説を出さぬように気を使いました。ついに原文認定


何かの形で社会に還元します。あるいは次回の無料記事に。でも水準保証の返金付きですから安心して、胸躍らせてどうぞ。