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私の目線と、誰かの目線

父の入院中、印象的な出来事があった。入退院をくり返す父は、もう歩くことも話すこともできなくなっていた。病院は駅前にあったが、私の家からだと往復2時間近くかかる。感染症対策のため、面会時間は15分。受付ではタイマーを渡された。麺が茹であがったときのような「ピピピッ、ピピピッ」という電子音が鳴れば、帰らなくてはならない。今思えば、面会できただけありがたかった。けれど、電車に2時間揺られて見る15分だけの父の顔は、ただ脳裏に焼きつけるしかなく、帰り道にはいろいろと考え込んでしまった。ラジオを聴きながら、ゆっくりと日常に戻るのが日課だった。

その日は、母と一緒に病院を出て駅に向かっていた。すると、道にうずくまりそうになっているおばあちゃんと、おばあちゃんの腕を引っ張ってなんとか立たせようとしているおじいちゃんの姿があった。
ただならぬ様子に、慌てて母と近寄り声をかける。おばあちゃんを起こそうとしながら「いま、そこの病院に行ってきたばかりなんです」と、困り顔のおじいちゃん。おばあちゃんは意識はあるものの、とてもしんどそうだった。母と一緒におばあちゃんを支えようとしたが、脱力している人間を起こすのは三人がかりでもかなり大変だった。

そこへ大学生くらいの男の子が「大丈夫ですか」と走ってきた。私が「お兄ちゃん!そっち支えられるかな?」と言うと、「はい!」と一緒におばあちゃんを支えてくれた。おじいちゃんは、ずっとあやまっていた。「どうしましょう?病院に戻りましょうか?」と聞いてみても「いや……行ってきたばかりなので」とオロオロしている。お兄ちゃんに状況を説明しながら、タクシーを呼ぶか、でもこんなにしんどそうだったら病院へ行った方が良いのではと話していると、おじいちゃんがぽつりと言った。

「コロナにかかったんです」
ほんの一瞬、その場がピリッとした。言いにくかったのだろうなあと思った。嫌な世の中だなあ。しかし、私たちもお兄ちゃんも帰らなかった。おばあちゃんを支えながら、病院に戻りましょうと説得していたが「入院はしたくないというので、タクシーで帰ろうと思ってたんです」とおじいちゃんは頑なだったので「じゃあここまでタクシーを呼びましょうか?」と言うと、お兄ちゃんが「ぼく呼んできます!」と駅に向かってくれた。

そのとき、目の前にあった交番から警察官が3人出てきた。警察官に状況を説明をしていると、私たちの関係性について聞かれた。母とは親子で、ここを通りかかったのだと話していると「タクシーが見つかりませんでした」とお兄ちゃんが走りながら帰ってきた。お兄ちゃんのことも聞かれて、また話す。おじいちゃんには自宅の住所を聞いていたが、送ってくれるというわけではなさそうだった(私はどうしても両津勘吉ならばと考えてしまう)。警察官の一人が、交番からパイプ椅子を出してきてくれた。おばあちゃんは座るのも大変だった。そして「事件でないので、我々にできることは何もないんです」と言われた。他の警察官の「専門家じゃないので……」という言葉にいくらか救われたが、それでも悲しかった。コロナだと聞いて、鼻までマスクをあげたところも見てしまった。

結局、やはり病院に戻ったほうが良いのではという警察官の助言から、病院に向かうことになった。母が病院で車椅子を借りられるかもしれないと言うと、お兄ちゃんはまた病院まで走ってくれた。ほどなくして、車椅子を押した病院の人と、お兄ちゃんが戻ってきた。病院の人はとても慣れた手付きで、おばあちゃんをパイプ椅子から車椅子に乗せた。おじいちゃんと一緒になって「ありがとうございました」と頭を下げながら病院に向かう姿を見送ってから、みんな別れた。お兄ちゃんに「ありがとう」と伝えた。「いえいえ!」と、笑顔でぺこぺこしながら去っていったお兄ちゃんにめちゃくちゃいいことがありますようにと祈った(タメ口で話したことを後悔した)。とても寒い日だった。

それから駅に向かっていると、母が「おばあちゃんは、おじいちゃんを家に一人にできひんかったんちゃうかなあ、食事とか。だから入院したくなかったんちゃうかな」と言った。私は、まったく想像できなかったその言葉に、母の大変さが滲みてている気がした。訪問看護の方に来てもらっていたが、歩けなくなり、話せなくなった父を、母はほとんど一人で見ていた。倒れたのが母ならば、父はどうしただろう。

この日に起こったことは、その夜に書き出していた。しかし途中で、消化できていない自分に気づいて書くのをやめた。私は自分勝手に物事を捉えてしまう。おじいちゃんにも、おばあちゃんにも、もっと助けてくれると思ったのに……と考えてしまう警察官の方にも事情がある。でもどうしても、どこかの目線に立てば、誰かを非難しているようになってしまう。この文章もきっとそうなっているはずだ。

父のことを書いた記事に、SNSなどでたくさんの言葉をもらった。同じような経験をされている方が多かった。とてもありがたくて、やっぱりこの日のことを書こうと思った。おばあちゃんが、元気になっているといいな。そして私も成長したい。フラットな目線になることは、とてもむずかしい。

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