看護師を目指したきっかけ①

社会人から、看護師を
目指そうなんて4年前は考えてもみなかった。

4年前の私は婚活に励んでいた。
仕事がとても忙しく、
ストレスしかない日常から抜け出したかった
街コン、友達の紹介、マッチングアプリ
あらゆる手段を使い、彼氏を
作ろうとしていた。

行動力の鬼だった私は
割と早く彼氏ができた。
LINEで2ヶ月間毎日やりとりをした。
彼はボストン・テリアを飼っており
毎日、ボストンの写真を送ってくれる。
それが、忙しい中の癒しだった。
彼も割と忙しく、
私も家に帰れないぐらい、毎日が忙しい。
お互いに、会うまで頑張ろうと
励まし、やっと会えた時は
めちゃくちゃ嬉しかった。
LINEのやりとりで既に好きになっていたが
会った瞬間、LOVEスイッチが入った。
会話も面白く、分かり合える。
1つ年下だが、しっかりしていて
毎日仕事頑張っている。
この人と一緒にいると
落ち着くし、癒されるなぁ
毎日頑張ろうって思えるなぁと
もう、完全に好きになっていた。
彼と出逢えて、日々が幸せだった。

この人ともっと一緒にいたいと思い
肉食獣の私は、告白し彼も照れながら
すき焼き〜と誤魔化した後
好きだよ〜と答えてくれた。
私が仕事で忙しくても、職場まで
迎えにきてくれる優男。
お互いに時間を作って会っていた。
何よりも嬉しかったのが
彼の将来の夢と私の夢が一緒だったことだ。

彼の親は医者でお姉さんも医者
医者家系で、彼は医者にはなれなかったが
親の病院で働き、病院を支えていた。
一見、恵まれていそうで
いつも彼は寂しそうだった。
彼との会話の中で家族の仲はそんなに
良くないことが感じとれた。
自分が作る家庭は暖かい家庭がいい。
娘がいて、温かいご飯食べて
美味しいねって言い合えるそんな
家族を作りたいと言っていた。


私もそうだった。
幼少期は暖かい家庭とは
無縁で育ってきた。
兄がクレイジーヤンキーに
なったことで家庭が崩壊し
家族団欒の記憶がない。
母は精神を病み、父はそんな家族から逃げた。
精神病の母とクレイジーヤンキーな兄
私の家族はまともじゃない。誰も頼れない。
一人で生きていかないといけない。
だからどんな時も、ガムシャラに働いた。

ただ、大切な人と美味しいご飯を
食べるだけでいい。それが私の幸せだ。
家族を作って平凡な日々を
一緒に過ごすことが憧れだった。

彼もきっと一緒だったのだろう。
寂しさを抱えて生きてきたから
自分の家族は温かいものにしていきたい
という思いが強かったのかもしれない。

ある時、彼と連絡がとれなくなった。
連絡が取れないことが今までなかったから
不安に思い、彼の家に行くと、
彼は交通事故にあったと、
彼のお家の家政婦さんから聞かされた。

絶望だった。目の前が真っ暗になった。
嘘だと思ったが、家政婦さんから
写真を見せられ、現実だと実感した。
少しでも動かしたら、死ぬんだと。
ICUに入ってるから面会はできない
待つしかないと。


次の日、仕事場に普通に行くが
会議中に泣き始める
クレイジーな私の異変に
パイセンが気づいた。
彼が死にそうになってるのに
数字の話なんてできない。
何も考えられない、涙が止まらない。
そんな重たい話をひたすら聴いてくれた。

彼が死にそうになっているのに
私は何もできない。
営業先で笑っている自分に対して
嫌悪感を抱いた。
何で、バイクに乗らないでと言わなかったのか
何で彼が交通事故に遭わないといけないのか
どうしたらいいか分からない気持ちを
必死に隠して、仕事をしていた。
倒れる寸前だった。
車の運転しても涙が出て運転できない。
会議進行もできない。しゃべれない。
ご飯も食べれない。
無理矢理、働いてたら
出張中に生理痛がひどすぎて倒れた。
産婦人科に行くと子宮筋腫が発覚した。
休まないといけない。
何でこんなきついのに
我慢してたの?と言われた。
我慢しないと生きていけないから
悲しみを我慢しないと
当時の私は日常生活を送ること
さえできなかった。

当たり前にくる日常が、苦しかった。
当たり前に来る明日を
彼は迎えられないかもしれない。
大切な人が死ぬ恐怖を日々、感じていた。
そしてもう、
彼には会えないのだろうと思った。

家政婦さんから連絡はギリギリ来るが
お父さんからはこない。
そりぁそうだ、
息子が死にそうになっているのに、
他人にまで気遣えないだろう。

そして会えない日々が続き
家政婦さんとも連絡が途絶えた。
彼が生きているかどうかも
もう、分からない。
看護師の友達に聞いたら
その症状で生きてける可能性も低い
生きていたとしても重度の障害が
残っているのかもしれないと。

私が24歳の時に起きた
人生で最大の悲しみだった。


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