海で泳ぐ
母の実家がある関係で、生まれてからほぼ毎夏、沖縄北部の海で泳いできた。泳ぐことは、私にとって「いつもの夏」を新たにインストールし、自分(の資質や心の持ちよう)を再構成することと同義だ。要らない皮を剥ぎ(4年ぶりに訪れた今夏は調子に乗りすぎて顔の皮までむけてしまった)、一部ではあるものの新しい自分をもたらすことができる循環の儀式と化している。
1. 身ひとつ
長袖長ズボンのラッシュガードにゴーグルを装着してそのまま海へちゃぽん、もしくは浅瀬から潜り、好きな方向へ泳ぐ。フィンやらの器具はいらない。
2. 深さ
足のつかないところでも珊瑚や魚がいると、息が続く限りは潜る。たいていは深くても2メートルいかないと思う。足をつく時は魚の巣(休憩穴?)を踏まないことが重要(たまに強く突いたり噛んでくるのがいる)。
3. 時間(帯)
水中にいる時間で言うと、全然息が続かないので数秒から十数秒の間で浮いてしまう。浮いたり歩いたりを含めた海の中にいる時間は1-2時間ほど。浜に日陰と寝られるエリアが確保できれば、休み休みで結局半日は海にいる。
満潮から干潮に向けてのタイミングが好きなので、たいていは午前の遅い時間からお昼頃にかけてが多い。潮カレンダーは常にチェック。
4. 場所
(自分の再構成をするためには)母の実家のある名護近辺、沖縄北部の浜やビーチに限る。
石垣や宮古、沖縄本島南部の浜に行ったことがないので一概には言えないけれど(と言いつつ西表と小浜は行ってるな)、北部の島は周囲が珊瑚礁なのでリーフの中は基本穏やか。東シナ海に浮かぶリーフ内をいつも泳ぎ回っている。
日本海も太平洋もいろいろな場所で泳いだが、黒い砂や水が群青の海は自分再構成の海とはまた別の世界だ。それはそれで別の楽しみ方がある。
5. 考えること
人間は最期海に溶けて無になることができると幸せになれる、と思っている。まぁいい天気で透明度最高のなか泳いでいればそれはそうで、同じ水中の場面でも、暴風雨のさなか船から振り落とされ上下左右の感覚さえ失った状況で同じように思えるかと問われれば、生きることに執着するだろう。
そういう意味のないことを、容赦ない太陽に照らされ、耳元でぽちゃぽちゃ鳴る海水とともに考える時間が必要な人間もいて、自分がその種族にいることを実感する時間が愛おしい。
まぁつまり何も考えず、目の前に広がる刻々と変わる世界を見ていればいいのが泳いでいる時間。
6. 無防備さ
沖縄には大変華やかな色の組み合わせの魚が多く、瀬底ビーチだと干潮で膝上くらいになった深さでも縞々や半透明や極彩色や初めて見る色の魚たちと泳げる。
ダイビングをやったことがないので深いところでの競泳の肌感はわからないが、浅瀬の彼らと並走ならぬ並泳(という単語はないよね)をすると、ぴゅぴゅっと急な方向転換をする動きについていったりいけなかったり。
魚と一緒に泳ぐことで、海にいることや、他の生き物の世界に自分が無防備で飛び込んだ危うさを肌で受け止められる。人間だから強いとかヒエラルキーの頂点とか、そういったエゴは海の中では全く役に立たない。身ひとつの身軽さと同時にただの無力な生き物になる感覚がいい。
7. 感覚の拡張
泳いでいる時のさまざまな不意打ちは、自分が制御しようもない世界を実感できて好きだ。魚もそうだし風による不規則な波、急に通り過ぎる冷たい水流、浮遊物など常に状況は移り変わる。
そういった突然の変化を五感で検知した後、どう対応するかを考えて、考えているうちに既に次の変化が起きる。考えても意味がないのに普段の思考回路を踏襲してしまって、ああしょうもないな自分、というか人間しょぼいなと人類のせいにしつつまた次の変化を目の当たりにするこのスピード感というか、人間ではない様々なオブジェクトが織りなす別の世界を感じることによる、人類の感覚以外の存在を生ぬるく体験するのが好き。(いやー言ってる意味の5%も伝わらないなこの文章じゃ。でもこれ以上書けない。)
8. 波打ち際の音
珊瑚の残骸が砂くらいの粒になっているリーフ内の島は、耳に水が寄せるくらいのところで波打ち際に寝そべると、耳元で小さい珊瑚たちがきらきらという音を立てる。音がきらきらって👀と思うそこのあなた、ぜひやってみて。この音を聞いて太陽を浴びているだけで、寿命が延びる気がする。
9. 砂
海から上がると、やたら素早いカニさんたちと砂の上に並んで座るわけだが、砂の細かさと柔らかさは重要な要素だ。
細かくて柔らかいと、風が強いだけで水中は砂が巻き上がり前が見えなくなってしまう。不透明な中を遠くを見て泳ぐと、前後左右がわからなくなってきて、しまいには上下もだんだん曖昧になるが、目の前の砂の一粒一粒に視点をフォーカスすると、粒ごとに際立って見える透明度が現れる。そんなふうに砂を見られるのもここだけだ。
泳ぐという行為は、人が不慣れな環境であらゆる感覚を拓けながらたのしめることだと思う。早くも来年が楽しみだ。
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