マガジンのカバー画像

回想や懐古の類

24
書き留めておかないとある日ふと思い出すこともないのではという、記憶とも呼べないけれどさっとよぎる過去の情景やちょっとした感情のメモ。
運営しているクリエイター

記事一覧

ウルグアイとアルゼンチンへの旅の話:DAY6-8

雨の朝、ブエノスアイレスでパリをおもう(またはリケルメのこと)ブエノスアイレスは「南米のパリ」と形容される。建物や外見的な人種骨格、植栽なんかも似通っているからそうなのかもしれない。 朝、本屋El Ateneo Grand Splendidの開店を待つ間に入ったカフェからの景色は、確かにパリっぽさがある(1回しか行ったことないけど)。窓際に座る母娘が頼んだのはクロワッサンとカフェ・コン・レチェ(ミルクと濃いコーヒー1:1くらいのやつ。カフェオレよりもたぶんミルクは多い。)と

ウルグアイとアルゼンチンへの旅の話:DAY3-5

DAY0と12の話(片道30hくらいかかる) DAY1-2の話 無計画な散歩「何しに行くの?」「何があるの?」と旅の前によく聞かれた。帰ってきたら「何したの?」と聞かれる。 極力特別なことはせず、その日その時いいな、気になるなと思ったことを気のすむまでやるというのが今回のテーマなので、何もしない日もあるし先のような質問には答えづらい。 実際やってる時間が多かったのは散歩。起伏も少ない地形なのと、ラプラタ川沿いにRamblaと呼ばれる広めの歩道が通っているので、街中を歩いて

ウルグアイとアルゼンチンへの旅の話:DAY1-2

DAY0(と12をなぜかまとめてしまった)はこちらです👇 たぶん22年ぶりの再会カラスコ国際空港。開きそうな、あるいは閉じそうな貝。ラファエル・ヴィニオリ建築。東京国際フォーラムの建築家よね。 機械にパスポートを読ませカメラで顔を撮影されてあっさりと入国審査が終わる。人間が介在しない省エネ感。審査後、すりガラスの自動ドアが開くとなぜか免税店のど真ん中。ワープ感。 床に記載された出口の文字と矢印の絵を頼りに免税店を抜けるともうひとつ自動ドア。それが開くと到着ロビーのような閑

ウルグアイとアルゼンチンへの旅の話:DAY0とDAY12

転職のタイミングでもなく、会社に所属しながら2週間も休んだのは初めてだ(一部GW休暇を含むものの)。戻ったら仕事はあるのだろうか。そもそも働けるのだろうか。なんて口先だけの懸念。いやー本当に旅してよかったウルグアイとアルゼンチン。ということでまずはDAY0。到着するまでの話。と思ったけど復路の話も一緒に書いてしまおう、DAY0とDAY12。 日系航空会社は紅生姜が勝負往路 羽田→ロサンゼルス→サンチアゴ→モンテビデオ 羽田→ロサンゼルス:ANA ロサンゼルス以降:LATAM

たまにある誰かが裏で糸を引いているような連鎖の話

できごとの各々はまったく大したこともなく、日常的なものだ。 仕事のキリがよかった。会社の近所に住む先輩からの連絡。一緒に飲む。帰りの地下鉄で知人からの連絡。 なのに、これらがなぜか一本の糸でつながるようなことが起きる。まるで誰かが裏で糸を引いているかのように。 木曜日が祝日なので、同僚の多くは金曜も続けて休暇を取っている。そのせいか水曜の午後から執務室に充満し始めるそわそわ感。つい影響されて仕事のキリも早めにつけたくなる。 雰囲気に流されやすいことにかけては上位数%(母数は

2022年買ってよかったもの(こと)

個人的に「革命だ」と思う買い物が今年はいくつかあった。 前書きをマーサ・スチュワートに書かせるスヌープ師匠の料理本いや正直この面白さをもっと世の人に知ってほしいからnoteに書いておこうと思ったくらい革命。マーサによると、2008年にマーサがホストのTVショウに師匠が出演したのが友情の始まりらしい。 日本語訳版もあるけど、これはぜひ原語で。なぜなら師匠はラッパーのため、彼の言葉を正確に訳せる日本語はない。わたしは横着して日本語版を買ったものの、英語版を買い直した。 今年の

ほぼ四半世紀前の旅の記憶

謝辞:デジカメなんて高価なものを当時持つ余裕もなく、フィルム写真、というかネガは既にないから現像後の紙でしか残っていないのに、四半世紀経つとそんな紙もデジタルへいい感じに変わるのだありがとうフォトスキャン。 最初のバックパッカー旅は、ちょうど24年前の今頃終わった。 今ほど写真を撮る習慣もなかったし、なんせフィルムカメラだから現像すると意味のわからない暗闇やどこか不明なぶれた景色、知らない人の顔面なども入っていて、見るに値する写真は少ない。 それでも小さなできごとを思い出せ

ちょっと通ってきた道

オリビア・ニュートン=ジョン、イッセイミヤケと、訃報の続く週だった。ひとりでニュースを見る分には淡々と処理する程度の、「あの曲聴いてたな」「あの服着てたな」を記憶から取り出しまた埋める作業をささっと終えて、次の仕事に取りかかる。 夜、いつもの酒場へ行く。 隣はノースリーブの似合う腕とうなじを持つ器屋さんとお連れさまだ。お互い軽く会釈の後、各々の世界へ。 「イッセイさんも亡くなっちゃったねぇ。」揚げ物を仕上げた店主がザクザクとそれを切る音が響くなか、お連れさまがぽつりと言った

イーストトーキョー偏愛譚

イーストトーキョーに居を構えて13年めの初夏がきた。 曳舟10年、観音裏3年の暮らしの中で、(いまだのぼったことのない)スカイツリーが建ち、行きつけの銭湯は閉業、地上を這っていた線路が高架になり、あれほど嫌悪していたランニングの週1習慣化、街も私も変わった。変わるからこそ、好きな景色は増え続ける。 三社祭が止まって3回めの初夏、好きな景色を通した自分の視点を綴っておく。 スカイツリー 鉄骨は好きですか?わたしにとっては唯一無二の愛する対象です。 あれほど無駄なく美しさと機

忽然と消えた夏の残り香に合う曲10選

8月のとある週までは、朝6時台でも痛いほどに肌を刺す陽射しで、肺呼吸はもとより、皮膚呼吸さえもできないほど重たい湿度が身体にまとわりついていた。まとまって降り始めた雨は、それらをすべて洗い流し東京から夏を遠ざけた。 タオルケットにくるまる心地よさで室温の降下を感じ、夏の終わりを寝ぼけた頭と身体で受け止めるといういつもの儀式ができなかった今夏。忽然と消えてしまった夏を思い出しながらも、戻ってきてほしいわけではない気持ち。そんなタイミングで聴くといい気分になれる10曲です。 1

ホテルステイあるいはホカンス的な活動

2年連続、東京に閉じこもる夏を過ごしている。職場へ出社する以外は、住まいのある東京イーストサイドで生活をほぼ完結させている。 夏休みにしても、長い移動には若干の抵抗を感じるので、今夏も都内のホテルに泊まろうと休暇の2日前に思い立った。 昨年は、泳ぎたいという欲望をこじらせていたため、室内プールのあるコンラッド東京に泊まった。 天井が高くプールサイドのリラックススペースが充実しているここは、開放感があって好きだ。プールサイドには人がいても、実際泳ぐ人は少ないというのもいいポ

おとむらい

彼のいる場に私がいなかったり、私のいる場に彼が来れなかったり、と直接会ったことはない友達の友達。でも友達がよく彼の話をするから、どんな仕事をしていてどこに持ち家があって地元はどこで、みたいなことまで知っている。そんな彼が亡くなった、という話を聞いた。私と同い年の彼。私の友達のとてもいい友達だった彼。 お盆だからか、彼の話を聞いたからか、亡くなった人たちのことを思う日々が続いたので、今年の私の追憶を記す。 父方も母方も、祖父母はみな私の20代でいなくなってしまった。どちらの

音楽と記憶③

書けば書くほど連鎖的に記憶がつながっていくのが音楽。いや、たぶんただ思い出話をしたいだけだわ。 Richard Clayderman " Ballade Pour Adeline "小学校の給食の時間、曜日ごとに趣向の異なる音楽や先生のトークが流れていたが、木曜日は色白で黒縁メガネの左近先生の時事トークだった。時事トークと気づいたのは4年生くらいになってからで、それまでは「声のいい人がしゃべっている」程度だった。で、その左近先生の日のオープニングとエンディングがこれ。今でも

音楽と記憶②

思ったより記憶偏重になった①から脱却して、②は140文字程度でガシガシいきたい。 Weather Report " Birdland "幼稚園の頃、父親がずーっとギターで練習していた曲。会社の人とバンドを組んでた父は、会社や地域イベントで時々ステージに立って演奏していた。あともう1曲、独特のギターリフの曲があったのだが、鼻歌検索だと私が下手すぎて探せないので、今度実家に帰ったら曲名を特定する予定。 若かりし頃は安いギターしか買えなかったからと、60近くになった時にレスポール