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マケドニアの友達

彼女と初めて出会ってから、1年が経とうとしている。2022年の5月頃、神保町にある英会話カフェでわたしは初めて彼女と会った。

大手町にある会社から神保町まで歩くことが時々あって、前を通りかかった時になんだろうと思って調べたことがあったから、カフェの存在は前から知っていた。ガラス扉で部屋の中まですっかり見える。所狭しと並べられたテーブルに人々がひしめきあって座っていて、何やら外国語を熱心に話しているようだった。なんだか気味が悪い。こういう場所は苦手なんだ。そんなことを考えた。

2022年の春頃、私は色々と自分で作った袋小路の中にいた。働き始めてから6年目になる会社で、私はいつの間にか中間管理職みたいなことをやり始めていた。文芸翻訳をしたくて、翻訳を仕事にしようと思っていたのに、気がついたら全然面白いと思えない翻訳をしていた。つらい。働き始めたころから、いつか必ず辞めようと思っていたのに、気がついたら6年も同じ場所で働いていた。そして、ついに身体が「もう我慢できない」と悲鳴をあげたのだった。私は免疫系の病気にかかった。

病気をきっかけに、もうこのままではいよいよまずいと思い知らされた。一般的な病院に通う傍らで、信頼ができそうな漢方の先生を探したり、アーユルヴェーダについての関心がより一層増していった。とにかく、早く良くなりたい一心だった。良くなりたいという感情に駆られて、停滞していた状態から一段ギアが入ったような感じだった。職場でも病気のことを同僚に話して、有休を多く使ったり、仕事の量を減らす方向で、動いていった。

そんな中で、ふと、神保町のカフェの存在を思い出したのだ。会ったことがない人と久しぶりに英語を使って話したいと思った。英語は、私にとって、自分のキャリアにとって必要な道具でもあるし、英語という言語を通して、これまでたくさんのものを受け取ってきた。わたしにとって、英語はいつも新しい世界につながる窓だ。

直感に突き動かされて、勇気を出してカフェの中に入った。受付で500円を払い、飲み物を注文して受け取る。紙の名札にマジックペンで名前を書いて、英語を話したい人たちが集まるテーブルや、日本語を話したい人たちが集まるテーブルなどに分かれる。20分で1ラウンドという感じで、テーブルに座る人たちと会話する。そして、2つめのテーブルに移動した先に、彼女が座っていた。

彼女の第一印象は、「なんだか感じがいい」だった。一か月前に日本に来たばかりで、日本語を学びたいのだという。同じテーブルに座ったわたし達は、簡単に自己紹介的な会話をした。彼女は文化人類学者で、研究対象である日本人にインタビューをしているという。わたしが翻訳を仕事にしているというと、ちょうどインタビューの通訳者と翻訳者を探していると打ち明けられた。わたしは、通訳はやったことがないけど、翻訳なら手伝うよ、と伝えると、彼女はわたしに名刺を差し出した。そうして、彼女とのやりとりが始まった。

彼女から初めて依頼された仕事はインタビューの通訳だった。通訳と言っても、基本的には事前に質問事項の英語と日本語をもらっていて、わたしは日本語でインタビュイーに質問をし、返ってきた回答を彼女に簡単に英語で伝える、という内容だった。オンラインのインタビューが終わった後、わたし達は上野で会うことになっていた。

小雨の中、腰まである髪を三つ編みに結えた彼女が、公園口の前のベンチに座っていた。傘も差さずに。聞くと、このくらいの雨だと傘は差さないのだという。でも、次第に雨脚は強くなっていた。結局、彼女も手持ちの傘を開いて、わたしの提案で行くことになっていた旧岩倉邸に向かって歩いた。

彼女は、日本では小雨でもほとんどの人が傘を差していると気がついて、デンマークで暮らしていた頃よりも傘を差すようになったという。確かに、イギリスでは、雨でも全然傘を差している人がいなかったなぁ、とわたしは思った。でも、ここは日本だから、わたしはこうして傘を差す、と彼女は言う。郷にいれば……というやつだ。できるだけ、この土地の文化を尊重したいのだという。そう言葉にする彼女のことを見て、なんとなく彼女がここの場にいることの不思議さを感じた。なんで、彼女は日本にやって来たんだろう。

不忍池を越えて、わたし達は目的地の旧岩倉邸へ向かった。以前、知人に勧められて、行ってみたかった場所ではあったが、日本に来たばかりの彼女にとって、東京の歴史的な建造物に行くことは有意義なのではないかと思って決めた目的地だった。高い天井に細かい装飾が施された梁を見て、わぁ綺麗だねぇ、と彼女に同意を求めてみたが、彼女はあまり興味がなさそうだ。明治の頃から残るりっぱな洋館の中を歩きながら、身の上話のような、お互いの自己紹介が続く。赤い絨毯が敷かれた階段を2階に上がってすぐにあった岩倉家の家系図を眺めていたときに、彼女に、わたしにも家系図はあるのかと聞かれた。先祖を辿ると東北の農民だから、そんなものはないとわたしは伝えた。すると、彼女も同じようなものだ、と言う。彼女の脳裏には過去の記憶が蘇ったようだった。

彼女が生まれたのはマケドニアという国だ。初めて彼女と会って話した時に、マケドニアと言えば、アレクサンドロス大王が有名だよね、とわたしが伝えると、彼女は少し困った顔をしながら、それはそうなのだが、本当にそれしかない国だと言っていたことを思い出す。彼女の両親は彼女が幼い頃に離婚して、母親一人に育てられたのだという。母親の祖父は相当な暴君だったようで、刑務所に入っていたこともあるらしかった。先祖達の記憶。農村で、貧しく、犯罪の絶えない土地。その人々の記憶が、彼女の一部を形作っているようだった。

家が貧しかった彼女がこうして人類学者になった経緯は、どうやら彼女が相当勉学に秀でた学生だったかららしかった。彼女はまず、ブルガリアの大学で文学を専攻した。ブルガリアにいたときは、同じくマケドニアから留学していた友人と物凄く狭いワンルームをシェアし、卒業するまで暮らしたのだという。もう二度とあの頃には戻りたくないが、それでも、その頃はとても楽しく、充実していたと彼女は回想した。ブルガリアの大学を卒業した後、次はスウェーデンの大学院で文化人類学を専攻したらしい。研究先として、ブラジルに滞在していたこともあるとのことだった。

雨の中、傘を差して旧岩倉邸庭園を歩く。緑の芝があるだけで、いわゆる日本庭園らしい趣は皆無だ。なんだか拍子抜けした。さっさと外に出て、あんみつを食べようと彼女を誘った。

あんみつ屋では、主に彼女の現在の研究について聞いた。日本に来たのは、たまたま助成金がもらえたからだという。研究は面白い?と彼女に聞いた。すると、自分の関心に引きつけてはいるけれど、本当にやりたいことかと聞かれたら、微妙なところのようだった。日本から助成金をもらう前、アメリカにいる魔女のコミュニティの研究をすることも考えていたのだという。面白そうだ。でも、助成には至らなかった。「結局、研究の世界も資本主義から免れない」と彼女はシニカルに言う。そうだよね。

あんみつを食べて、アメ横の雑踏を歩きながら話した。ふと、彼女に聞かれた。

「あなたの太陽星座は何?」
「獅子座だよ」
「私も獅子座なの」
「そうなんだ!」
「そしたら、月星座は?」

魔女のコミュニティにわたしが興味を持ったから、こう聞かれたんだろうか。2020年以降、わたしは導かれるように西洋占星術の世界に足を少しだけ踏み入れていた。やはり、と思った。そして少し身震いがした。彼女との出会いは必然のような感覚があった。わたしは、彼女に自分の出生図を見せた。

こうしてその日は、彼女と、星の話をたくさんした。



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