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こどもと同じ様に、大人にも進級式が必要なのかもしれない。

今日は娘の保育園の発表会と卒園式だった。
コロナになってから行事という行事がことごとく中止となり、久しぶりの公の場での発表会ということで、心待ちにしていた。

大きなホールに響き渡るハキハキとした娘のセリフや、鉄琴を活き活きと演奏する娘の姿をみて、
「あぁ、親が何も言わなくても子供はちゃんとやるべきことがわかっていて、それを実行する力を持っているのだなぁ」と思った。

普段「あれをしろ、これをしろ」や「あれをするな、これはしてくれるな」と口うるさく言ってしまうわたし。
もっと、娘を信じて任せた方が良いのだろうな・・。
ステージの上の活き活きした彼女を眺めながらそんなことを考えた。

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それにしても。
やはり春の進級式というものは、眩しいなと思う。
もう会えなくなってしまう切なさはあるものの、
これから新しい世界に飛び込んでいく卒園児たちがキラキラして見えた。

帰宅してから「今日の式よかったねぇ」と夫と話していたら、夫が何気なく「俺らも進級式やるか」と言う。
普段から冗談をいうひとなので、その一環で言ったのかもしれないけど、ものすごく良いアイデアに思えた。

大人になってからというもの、こういった春の節目というか、次のステージに向かっていくという「区切り」がない。
日々の生活は地平線の向こうへ永遠に続いていきそうに錯覚するし、その遠さにため息が出ることも多々ある。

だからこそ春が来るたびに大人もささやかに、
自分たちで「進級式」を執り行うのは良いことなのかもしれない。
1年頑張った自分を労い、次の1年を「新しいステージ」と捉え直して新たに始める。
そうすると、永遠と思えた道のりに、ひとつまたひとつと区切りが浮かび上がり、人生は有限だと知るのではなかろうか。

夫と「大人の進級式」は何をやるのか、食卓で向かい合わせに座りながらああでもないこうでもないと話した。
まぁいつものように美味しいご飯とお酒、となるのは目に見えているが、それでも良かろう。
新しい次のステージに向けて、祝杯をあげたいと思う。

娘は疲れたようでベッドに入った瞬間に寝落ち。
なぜかわたしも疲れたので早めに寝ようと思います。
おやすみなさい。
良い夜を。




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