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ピアニストからエンジニアに転職して3年たった人の話

社会人としての自分

エンジニアに転職して3年たった人の話、というタイトルは正しいのだけど「ピアニストから」というのはどこまで正しいのかというと微妙です。

私は、音大のピアノ専攻を卒業後、企業(音楽系)にサラリーマンとして就職してましたし、片手間ながら演奏でお金をとるようになったりはしていたものの、プロとして演奏一本で食べていけるほどではなかったからです。

ですが、どう転んでも「エンジニア」になろうとは思っていなかった音楽大学時代から、エンジニアになった(当時は)若かった自分の3年間の記録をちょろっと残しておこうと思います。

誰のためでもなく自分の振り返り用エモ長文なだけですが、どこかの1人にでも参考や勇気になれば。


エンジニアになったきっかけ

物心がついたころから、パソコンを操る人にはなんとなく憧れがありました。パソコン型のおもちゃを買ってもらったり、自分で厚紙で作ったノートパソコンを持ち歩いたりもしていました。余談ですが、ブラッディーマンデーとベイマックスがめっちゃ好きです。

*小学校高学年〜中学時代

いとこの影響もあって少年ジャンプが大好きになり、オタク活動にのめり込んでいた時期がありました。そのときハマったのが「お絵かきチャット」。ドット絵や普通のペイントイラストを投稿して、漫画好きのコミュニティでチャットを交わすことが多くなっていきました。

そうするうちに、2ちゃんねるを見るようになり、ときには怪しい出会い系に騙されてお金をとられそうになり(親にめちゃくちゃ怒られました;)、でも、そんな中でも「インターネットで知らない人に出会うこと」に大きな抵抗がなく、なんなら素晴らしいとさえ考えるようになりました。

*中学時代

大人は携帯電話を持つことが主流になっていましたが、まだ子供が持つには早すぎる、というぎりぎりの世代でした。ただ、その時期に今は亡き弟の病気が発覚したことや、色々な経緯があり携帯電話を手にした自分は、誰よりも先にまたインターネットに生きる人となっていきました。

中学も終盤になるとほとんどの女子が携帯電話をもっていましたし、「前略プロフィール」や「Myプロフ」といった個人ページを持つことが流行りだし、「ふりーぺ」や「魔法のiらんど」でモバイルサイトを作ることが当たり前になってきました。

この時期の衝撃といえば、「学校裏サイト」とかって呼ばれる各学校の掲示板で自分の悪口がめっちゃ書かれていたこと。そしてそれを、ずっと仲良いと思ってた友達が投稿していたこと。あの頃は携帯の機種とかも表示されてるし絵文字の使い方とか特徴的だったのでバレバレで。人ってリアルとネットで全然違う顔なんだ、ということを思い知った出来事でした。(発見した翌日にその子と一緒にディズニーランド行ったので、朝会うなり「あれどういう意味?私に直接言えば?」って喧嘩売ったの覚えてるけどシラ切られましたが。)

今はもう全然ネタなんでいうけど「小悪魔」「二重人格」「魔性の女」とかって書かれてたっけな。そしてもう卒業以来一度も連絡とってないですね。

*高校時代

高校に入ると、仲良い友達グループでHPを持つようになりました。私は県内では進学校と名高い学校に入ったものの、ギャル系やちょいヤン?な友達とつるむようになり、「夜遊β上等」(今思うと痛すぎてつらい)というサイトをやっていました。

そこでブログを書いたり前略プロフをリンクさせておいたりするのですが、これがまた面白くて。全然違う高校の人からコメントがきてお付き合いが始まったり、県内のちょっと大きいデパートにいくと「あ、夜遊β上等の○○さんですよね?」って声かけられたりするようになる。ちょっとした田舎の有名人気取りでした。

その後私は、当時付き合っていた人とカップルサイトを立ち上げまして、そのノロケブログが日10,000件くらいのPVに発展していきました。書けば書くほど、晒せば晒すほど注目されて、反応が返ってくるインターネットが面白くなってきた時期でもありました。

が、しかし、その彼と別れたときに、ちょっとこじれることがありまして、私のブログは大炎上することになりました。「タイマンしてやるから○○にこいや」、と書き込まれたり、実家にいたずら電話がくることも多々ありました。でも1番つらかったのは、私がやってもいないことを勝手にやったと書き込まれて(彼の学校に乗り込んだって書かれたのですが、本当に神様に誓ってもやってません。)、弁解しても仲良い友達が信じてくれなかったことです。その時期いわゆる「はぶられ」みたいな状態になって、とにかく早く学校を卒業して皆と縁を切りたい、と思ってました。

私はインターネット上にどんなこと書かれても(今も書かれてるし)、別に気にしないけれど、身近な人に信じてもらえないことほど悲しいことはないと思ってます。

*大学(音大ピアノ専攻)時代

大学生の頃は、人生で1番アナログな人生を過ごしていました。下宿先ではインターネットもテレビも使えず、とにかくクラシック音楽と、楽譜と、楽器と向き合う人生を余儀なくされたからです。

心のどこかでは、ブログをやったりサイト作って音楽の仕事を活性化させたい、と思っていたものの、演奏のプロの世界があまりに厳しく、余裕のない生活を送っていました。それに、2年目から寮を出て初めて一人暮らししたときには、好きな人の家に入り浸ることも多くなり、音楽やインターネットよりも楽しい時間を見つけてしまった!というところが大きいかもしれません。

それでも唯一、mixiやTwitter、facebookといったSNSだけは欠かさず更新していたし、大好きでした。(いつから触りだしたんだっけ。)

*社会人1〜2年目

ぎりぎりまで、私はフリーで演奏で食べていこう、と思っていたので就活はしていませんでした。ですが、ハイパー負けず嫌いな私は、当時の彼(慶應生)が大手に就職していくのを見て、なんとなく「就活を経験せずに偉そうなこというのもあれやな」と思い、1社だけ面接にいくことにしたのです。

それがトントン拍子に内定が決まり、まぁ経験として働いておくか、くらいの気持ちで入社したヤ○ハ特約店の楽器店兼音楽教室運営会社でした。

私は西新宿のビジネスビル内にある大人のための教室の運営を任されることになり、激務ながら色々な経営施策を進めて頑張っていたと思います。

しかしながら、やはりどうもこの音楽業界のアナログ感についていけず、Webでのアプローチ方法を調べるようになり、より多くSNSを触るようになりました。

今思えば、全てSNSが始まりだったのかもしれません。Twitterやfacebookを頻繁に使うようになり、Web系スタートアップの人たちとRetty経由で会うようになり(あーほんとRettyさまさま。ありがとう。)、クラウドファンディングがでてきたことで、ローストホース(※)会員のエンジニアと仲良くなり、そこから「エンジニアになったらこんな美味しいもの食べられるんや・・・!」って興味をもつようになりました。(不純な動機)

ローストホースは広尾にある会員制の馬肉専門店

*2014年9月 転職(Webエンジニア職)

そうこうしているうちに、音楽企業の激務にも耐えられなくなってきており、今後の人生設計も考えたりすると、もうひとつ何か手に職がほしい、と思い立ち、晴れてエンジニアに転職することができました。

なんのIT知識もなかった私ですが、もともとロジカルシンキングが好きであること、PCやインターネットに抵抗がないこと、HP作成は何度もしてたこと、あたりが功を奏してなんとか技術者となることができました。


エンジニアになってからの軌跡

軌跡、とかいうような大それた経験してないんですけど、この3年めまぐるしいくらいに様々なことがありました。今でもきついことも多々あるし、でもエンジニアになったからこそ出会えたかけがえのない仲間もいたりするので今のところ一度もマイナスな後悔を感じたことがありません。

*1年目

社内にITスクール事業部があり、未経験の新人はそこでみっちり3ヶ月の研修をします。プログラミングの基礎からサーバーサイド全般、フレームワークの勉強をして、集大成として自分で企画したアプリケーションを公開するんです。3年たった今思えばクソみたいなアプリでしたが、その時の私からしたら、誇らしい最初の作品だったのだと思います。

その後、3ヶ月ほどバグ改修案件にアサインされた後、2ヶ月くらいITスクール事業のヘルプ講師をやりました。この経験は本当によかったと思っていて、やっぱり人に教えるとなると絶対間違えたこと言えない、というプレッシャーがあり、毎日会社の行き帰りや帰宅後に集中的に勉強していました。たぶん研修中よりもやってたと思います。

そんなこんなでだいぶ知識も実践も定着してきたころ、とはいえまだ半年くらいしかたってないころ、大型請負案件が社内に舞い込んでまいりまして、私はチームリーダー(!)をやることに。前職でもマネジメント的な立ち位置で動いていたし、そこまではまぁよくって、ただ、技術的にはめまいがするほどつらい壁にぶちあたることになりました。その一つが、「新人の私なんぞがリーダーをしていたためにログ出力がきちんと実装されていない」という大事件。(これは先日LTの登壇でも話題に出しているし、後でログ設計の注意みたいなtipsをQiitaに投稿しようと思っているので割愛。)

色々なことが多々あったものの、いったんはプロジェクトも佳境を過ぎ、会社の方針によって私は次の春からまた別案件に入ることになるのでした。

*1年目(おまけ)

全然「おまけ」という規模ですまされる話ではないのですが、前述した案件をやっている最中に、プライベートでTwitterを炎上させるポカをやってしまいまして、関係者のみなさまには本当に多大なるご迷惑をおかけしてしまいました。これ以上、誰にも迷惑をかけたくないという理由から、言及や討論して火に油をそそぐことは避けてきたのですが、本当に本当に深く反省しております。

ただ、ひとつだけ救われたのは、高校時代に炎上したときと違って、周囲の人がみんな味方でいてくれたこと。もちろん、よくも悪くも、私を叱ってくれる人もいたし、ただただ寄り添ってくれる人もいたし、何より、「炎上を知っても何も変わらない態度」でいてくれました。ありがとうございます。

本件については、もう少し周囲に影響がないと判断できた段階で、一度きちんと事実を整理させていただこうと思いますので、今はスルーしていただきたく存じます。

*2年目

前述のプロジェクトが収束し、入社して1年半が経過したころ、会社の役職として「サブマネージャー」というポジションができることになりました。前年のリーダーとしての立場を評価してもらい声をかけてもらえたこともあり、私自身ももっと会社の方針に深く関わりたいという思いがあったので、このポジションを引き受けることにしました。

2年目は、とあるビックデータとIoTというモダンなプロジェクトで開発していたのですが、これはこれで大変でした。チーム内に新人が増えはじめたこともあり、自分も含めた先輩社員が指導で手いっぱいになってしまいました。

おかまいなしに降ってくる仕様変更、性能検証、すでにリリース予定日がメディアに取り上げられてしまっていたため絶対に延期することのできない納期。マネジメントにも手が足らなくなり、毎日終電間際まで結合テストをやるような日々も続きました。きつかったー

そんな毎日を過ごしているなか芽生えたのは、「エンジニアリングってただの手段でしかないなー」という思い。ひたすら作業に没頭している毎日で、次の手札を考えられていない日々や自分たちで企画したわけではないサービスのためにただ手を動かしていることにモヤモヤするようになりました。理想では、すでに進行中の仕事のことはもっと前に考えておくべきで、今考えるべきことは次の数ヶ月、数年先の仕事のことであるべきなのに、と思うようになりました。

そこでおさえていたはずのスタートアップ熱が再熱しだし、Wantedly経由や友人経由でまたスタートアップ界隈に足を運ぶようになりました。一度は本気で転職しようと思い、会社に辞める意思も伝えていたんです。

*3年目

一度、転職の意思を伝えておきながらなぜやめなかったかというと、今いる会社も今が「過渡期」であり、成長フェーズの真っ只中だということを改めて感じたからです。だから、ここで私のやりたいようにやってみて、サービスを大きくするのも面白そうだし、それでもどうしてもスタートアップしたい!と思った時にあらためて辞めたらいいか、と思い直しました。

その考えをアウトプットしていったことで、実際に私はこうして、会社の投資で成り立っている部署で「マネージャー」というポジションを任され、今期から自社サービスや新事業の盛り立て役として携わっています。

自社サービスを担当するようになってしばらくして思ったことは「サービス運営って超泥臭い!」という意外な真髄でした。スタートアップとか自社サービスとかって、外からみるとキラキラして意識高くて、なんてイメージなんだけど、実際にサービスを成功させようとしたら仕事は本当に泥臭い。こんな地味な作業やりたくない、けどやらねばサービスが死ぬ、という葛藤が押し寄せてくる毎日を送っています。

ただ、自社サービスをやってよかったのは、受託開発と違って、自分たちがリリースしたサービスを「こんなの作ったよ!phpで書いてるよ!」なんて周囲に公開できること。すぐにフィードバックをもらえること。(これがtoCサービスだったらもっとレスポンスが直で楽しいかもしれない!)

*4年目

そして、2017年9月1日でエンジニアになって丸3年。4年目のエンジニア人生を歩み始めました。

今まさに、自社サービス(Webだけでなくリアル事業も含め)に貢献しようと奮闘している中で、周囲のコミュニティ活動ももっと活発化していきたいと思うようになってきています。

とくに、プライベートでも技術や仕事の話をできる女性の友達(というより仲間?)がほしいなーと思っていたので、外部の勉強会などにも積極的に関わっていこうと思います。オンラインだけでなく、リアルイベントの企画もたくさんしていきたい!

ここ最近よく音大の頃までの自分について思いを馳せるのですが、それまでに関わった師匠のことって私の人生史上の大きな一片として覚えていて、「今の私はあの先生がいなければなかった」、と思うくらい強くて温かい存在です。だからこそ、私も、大勢の見えない誰かのためじゃなくて、もっと身近で小さい規模だとしても、誰か1人の人生に深く関われる人間でありたいな、と思います。社会経済的にそれが良いか悪いかはわからないけど、それが今の私が幸せだと思えることだからです。

この4年目以降は、お金云々や会社の人や古い友人の目を気にするんじゃなく、好きなことを楽しむ気持ちを忘れないでいたいです。


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