まるも

30歳目前、自分の原体験から令和の生き方を考える vol.1

「マイマイはいつも周りに人が集まっていて、すごいなぁって思うよ」

そんな風に言われることが大人になって増えた。

だけど、学生時代の私は友達も少なくて、どちらかというとクラスではいつも一匹狼。

今思えばあれはイジメられてたのかな?という時期さえあるけど、それすらも無関心で気にならないくらい、学校に馴染めずにいた。

こうして周りに言われて振り返るまで、自分の状況が見えてなかったわけではない。

いつからか、飲み会を企画すれば即座に大宴会できてしまうようになったし、困ったことがあるって意思表示すればたくさんの人が助け船を出してくれるようになった。

それでも、どこかで自分の一匹狼気質を頑なに信じていて、あえてこの変化を否定していた節はあるかもしれない。

親に隠れて勉強した小学生時代

小学生の頃の自分は、どちらかというと優等生だったと思う。

両親はTHE体育会系で大学にも進学しておらず、あまり勉強について口うるさく指図された覚えはない。

なんなら私が勉強机に向かっていると

「おい!そんなに勉強ばかりしてたら頭悪くなるぞ!外に出て運動しろ!」

なんて言われたりして。

勉強したら頭が悪くなるって叱られるなんて、理不尽にも程がある。

そんな家庭環境だったこともあり、あまり勉強をすることが良しとされていなかった。

しかし子供って不思議なもんで、禁止されるとどうしてもやりたくなってしまう。

だから親に隠れて勉強したり、布団の中で宿題をやったりなんかしていた。

そうして、幸か不幸か勉強大好きな少女が爆誕したのである。

(ストレングスファインダーという自己分析メソッドの結果も、「学習欲」が上位だ。)

嫌われないように馬鹿なフリをした中学生時代

田舎の公立小中学校なんて、授業の内容もテスト範囲もたかが知れている。

素直に授業を聞いてさえいれば、テストは満点がとれるし、授業中にわからないことが出て困る、なんて経験もしたことがなかった。

ただ、中学生は思春期の真っ只中。

どんなに規律正しい学校だって、少しくらいはやんちゃしたり恋愛にうつつを抜かしたり、イジメまがいなことが横行したりもするものだ。

(もちろん、いじめは断固として許さない姿勢だけれど。)

心にモヤモヤや鬱憤を抱えている思春期の少年少女からしたら、きっと当たり散らす先が欲しくて、それがどんな対象だっていいから、そこに理屈も筋もない。

おそらく私は、そんな理屈も筋もない思いの標的となり、成績が良いという理由だけで嫌味を言われたり、シカト(これは令和では死語かもしれないけれど無視されること)をされたりした。

いつだかの落合陽一さんの動画でも話題にあがっていたけど、どうしてか学生のころの「カッコいい」「イケてる」の基準は、運動ができたりやんちゃをすることになっていて、「勉強を頑張ってるやつはダサい」で一括りにされる。

それは今思えばあまりにもアホらしいのだけど、当時の私からしたら大問題で、「同級生に馴染めなかったら部活動にも影響が出てしまう」と防衛本能が働き、この状況を回避する策を家に帰ってからノートに何案も出したりした。

その後、いじめられないようにするために、「テストで高得点をとらず、いい感じに馬鹿を演じる」という、それこそ「馬鹿みたいなこと」を選んだ私は、テスト用紙を白紙で出す(当然0点だ!目的達成!)、先生に悪態をつく、先輩と揉めてタイマンをはる、などしてやんちゃグループの仲間入りを果たした。

と、この時は思っていたけれど、所詮そんなことで作り上げた関係なんて長くは続かない。

正直、中学時代の友人の顔と名前なんてほとんど忘れてるし今さら会いたいと思う人もいないので、まぁ、そういうことだ。
(万が一これを当時のクラスメイトが読んでいて、もし傷ついたのであればゴメンねだけど)

変わりたくても、諦めた高校時代

馬鹿なフリをしていたけれど、なんだかんだで高校は学区内トップの進学校に決まった。

中学時代に馬鹿なフリをしていたせいで、ほとんど勉強の仕方も忘れてしまったし、すでに自信も失くしていたけれど、初めての定期試験の総合成績は上から9番目(科目によっては2番目もあった!)。

思いがけず好成績になってしまった私は焦った。

「しまった!またいじめられてしまう!」

でも、そこは進学校である。

みんな自分のことを必死で頑張っていて、他人の順位がどうとかムカつくとか、そういうことを気にしていそうな人はほとんどいなかった。

心底ホッとしたことを覚えている。

ただそれでも、一部のいわゆる「イケてる」女子達と仲良くなると、「舞はいいよね〜勉強できるから。うちらのこと心の中で馬鹿にしてるんでしょ?」なんて言われることもあったりして(悪気はないのかもしれないけれど)、もう人と関わるの面倒くさいなって、この頃から人と距離をおくようになったんだと思う。

だから在学中の私は、一匹狼で話しづらい、ちょっと怖い存在になっていて(それは眉毛が細くてギャルメイクだったせいもあるけれど)、卒業文集の数少ないコメントには

「ずっと怖いと思ってたけど話してみたら面白くて安心しました」

みたいなギャップについての感想ばかりが書かれていた。

自分の専門性を高めることに誇りを感じた大学時代

音大生の頃はよかった。

それぞれが明確な目標を持って個性を大事にする集団だった。

大学はどこもそうなのかもしれないけれど、音楽大学は特にそれが顕著で、語弊を恐れずにいえば「人と違う」ことがむしろ評価される環境である。

それが私にとってはすごく心地よくて、初めて自分が自分でいられている気がしたし、学問の話や演奏のスキルの話で夜明けまで友人と議論する時間を経て、考えを深く掘り下げられている感覚が本当に好きになった。

「同じ目標や作品に向かって、否定し合わずに多角的な視点から意見を募って一緒に作り上げる」というコミュニケーションの仕方を覚えたのもこの頃だったし、同じ寮のベッドの上で朝まで語り合ったのは、その面白さに気づくことができた原体験だったと思う。

「チーム戦」が楽しくなった社会人1年目

会社員になったきっかけは、「音大生なんて玉の輿にのって悠々自適に暮らすんでしょ?」みたいなことをどこぞやの合コンで出会ったサラリーマンに言われて悔しかったから、というしょうもない理由だったけれど、私は社会に出たことでチームの楽しさを知った。

もちろん学生時代にもアルバイトをしたことはあったけど、バーやラウンジで演奏したり、家庭教師したり、クラウドソーシングでライターしたり、どれも個人プレーで完結してしまう仕事で、なんとなくスキルアップに繋がっていそうな感覚とお金が入ってくるというモチベーションだけでこなしていた。

当時の私はかなり酷い。

「あー今日疲れててダルいけど、この2時間弾けば1万円だ。1万円入ると思って我慢しよ。」みたいな心境でバイトに出ていることもあったし、仕事の心構えとしては100歩譲っても模範とはいえない態度だったと思う。

そんな私が最初に就職した先はお世辞にもホワイトとは言えない、給与も低い(最初の手取り13万くらいだったような…)仕事だった。

それでも、チーム戦でノルマを達成するような仕事が意外と面白くて、私はそれなりに「社畜」と化していった。

(ここでは仕事内容を割愛するけれど、パートスタッフがパスを回して最後に社員がゴールを決める!みたいなことが多かった。)

周りからも私は仕事人間に見えていたようで、自分では否定していたけれど、事実なによりも仕事を優先してしまうタイプではあったし、(あるいは洗脳されていた可能性もあれど)常に仕事のことを考えるのは嫌いではなかった。

だけど、この頃から「飲み会」という時間に対しての好き嫌いがハッキリしていく。

自分が「あー!楽しかったー!帰りたくないなー!」と思う飲み会はいつだって仕事の課題や明日からどんな風に進めるべきか、を話してる会であったし、一方で「なんなんだこの建設的でないつまらない時間は」と感じるのは、仕事の愚痴や忙しさ自慢、人の容姿をイジるような悪ふざけ、といった、だからどうした、と言いたくなるような話題だった。

どちらかというと激務に洗脳された人が多かった最初の職場は後者の話で盛り上がることが多く、私にとっては居心地が悪かったし、大学時代の朝まで語り合ったあの頃に戻りたいなーなんて、いつも思っていた。

より高い専門性を求め、課題解決志向の業界へ

そんな矢先に、担当支店の異動があったりして仕事の性質も変わり、関わる人間や空気がガラっと変わった。

(ターゲットとするお客様が、働く2〜30代の大人層から、お子様のいるファミリーになったのだ。)

これもまた一つ私の原体験として、目的が違えばチームのあり方も変わる、と勉強させてくれる経験だった。

そして幸か不幸か、私はここで出会ったパソコンの先生と仲良くなったのをキッカケにしてIT業界に興味を持ち、Webアプリケーションエンジニアとして転職することになる。

IT業界はこれまた特殊だった。

1社目はどちらかというとウェットな関係のチームであったのに対し、新しい職場はなんだか少しドライに感じた。

髪をロングからショートにしてもパーマをかけても、誰も気づいていないのか関心がないのか、仕事と関係のないことをいちいち話題に取り上げてくる人もいなかったし、お洒落して早く帰ったからって、合コンにでも行くのか?なんていじられることもなかった。

あと最も驚いたのは、隣にいるのにチャットツールで話しかけてくる先輩だ!

今でこそ当たり前と思うようになっているけれど、最初は不思議で仕方なかった。

この人は風邪で声が出ないのかな?なんて思ったりした。

話が少し逸れたけど、そんなIT業界の雰囲気はそれまでの私の仕事の概念を覆した出来事が多い。

それでもみんな冷たくてそうしてるわけじゃなく、ひとたびランチに行けば、新しい技術がどうだとか、今やってる仕事の何が課題だからどのツールを導入して解決しようだとか、同じプロジェクトを見据えてさまざまな意見が飛び交う。

私は音大の頃の、あの朝まで語り合った熱量を思い出した!

案の定、エンジニアとしてのそれは本当にあの頃の時間に近くて、成果物をより良いものにするために仕事中には何度も議論を重ね、ランチに行っても飲みに行っても、あーでもないこーでもないって意見し合いながら、朝方まで話すことが少なくなかった。

その時間はいつだって充実していて、疲れていても帰りたい気持ちより、もっと話していたい、この仕事をもっと良くしたい、今の課題をクリアしたい!そんな想いのほうが大きかった。

チームを強くするために何ができるか考える

1年目こそ、上司先輩がPMするプロジェクトに一員として関わっていたけれど、2年目になる頃にはどういうわけか自分がチームを率いて取り組むことが増えた。(これにはリソースが不足してて致し方なく私が、みたいな側面もあるのだけれど。)

私は自分で自分のことを「伴走型のリーダー」だってよく言ってるんだけど、あまりトップで先導して引っ張っていくのは得意ではなく、あくまでフラットな関係性で一緒に立ち向かおう!みたいなマインドのチームを作っていることが多い。

もちろん最初からうまくいったわけではなかった。

元はといえば、プロジェクトが大幅に遅延していていわゆる大炎上の状態に陥り、3人チームのリーダーをしていた私は頭を抱えていた。

とにかく自分が頑張らなきゃ、なんて気を張って、毎日終電まで開発してレビューしてテストして、それでもクライアントからは辛辣なメールが送られてきて、トイレに隠れて泣いたことも一度や二度ではなかった。

ある時、その状況を見兼ねたPMや別チームのリーダーが朝会で「よし、浪川(私)のチームにメンバーを増やそう!」って決断してくれた。

私は、人を増やすことによる解決は全く想定していなかったので、内心そんなことしても変わらないよ…なんて懐疑的だった。

だけど、メンバーを増やしたその日から、私の考えは一変する。

疲弊して、消えてしまう寸前のような状況だったチームの活気が、増えたメンバーに私がタスクを割り振ったその直後からみるみるうちに復活し、電球でも換えたっけ?ってくらいにその場が明るくひらけた想いをした。

1人とか3人とかじゃない、プロジェクト全員でやり遂げるんだ!

そんな風に感じて目頭が熱くなった。

これは、私が「チームを強くするためのマネジメント」の面白さにハマった最初の原体験であったと今でも覚えているし、当時のFacebookにはこんな熱い投稿を繰り返ししていたので、一部掲載しておこうと思う。

一匹狼で人と関わることを諦めていた私が、こんな熱い想いを滾らせて、チームを伴走するようになった。

自分が人に囲まれてる!みたいな意識は未だに全くないけれど、みんなと一緒に走ってる!っていう感覚は20代後半くらいから常にある気がする。

本当にありがたい!

今の自分を作り出したもの、これからの私を作るもの

今日こうして過去の原体験を書いてみているのは、令和になって心新たに!みたいな気持ちというよりは、30歳まであと一ヶ月!カウントダウンだ!みたいな心境のほうが強い。

30歳がなんだって話ではあるんだけど、普段の生活の中では記念日とか忘れがちな私だから、こういう節目でもないとちゃんと振り返る機会がないんじゃないかって。

だから、今日から30歳になるまで週に一回、この20代にしてきたことから学んだTipsをなんとなくアウトプットできたら良いな、と思ってる。

今日は、一匹狼だった私が人を集めてチームにできるようになったよっていう話。

第5回まで更新する予定だけれど、今のところ書くことが何も決まっていない。笑

何より、今回の文章で経験談はほとんど書いてしまったではないか!
(この文章も見切り発車で何も決めず書き始めてしまった。5回書くなんて、後付けだ。)

でも、きっと掘り下げられていない過去もあるから、一つ一つ振り返りながら(最近「メモの魔力」を読んでメモの取り方も工夫しているし)、何か少しでも役立つ情報が書けたらいいなって思う。

そうか、そういう意味では、私にとってはまだ新時代の前みたいな、浮き足立った心持ちなのかもしれない。


おまけ

ここからは私がこの令和に何をしようとしてるか、ちょろっとだけ書こうと思う。

なんだか少し恥ずかしいので有料にしておくけれど、大したことは書いてない。

物好きで私の20代ラストスパートを支援したい!って人がいたら読み進めていただけたら。笑

私は来月、

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