見出し画像

②(自ら招いた)地獄の様な日々

*******
<第2話>
ここに書き記している出来事は、いずれ同様の体験をしてきた人にとって、もしくは関係者にとって、少しでも支援できるような内容につなげていきたいと考えています

しばらくは、私の人生観がどの様に構築されていったのか、という事を少しでも知って頂くために、過去にあった事実をお伝えしていきます
気分が悪くなることもあるかもしれませんが、そこが主目的では無い事をご理解して頂きたいと思います

文章は、よりその時に感じた雰囲気を出すために、子供目線で表現をしていますので読みにくいかも知れませんが、併せてご理解頂ければ幸いです


新しい家族

僕は以前から「他の人の家」が嫌いでした
僕の父の親戚は多く、何かあるたびに集まっていました
その時に、親戚の家にいくことがあり、そのときの家のにおいが気になりました
料理のにおいや家の人のにおいが気になりました

新しい家は、そんなにおいがしました

そしてその家には、本当のお母さんと再婚している父と1歳下の妹、そして産まれたばかりの妹がいます

広い家で子供の部屋もありました

その家では、その生まれたばかりの妹がアイドルでした
僕も、その妹は本当にかわいいと思っていました

1歳下の妹はすごく優しくて僕に気を使っている様に感じていて、それが最初はとても嫌でした

でも少しずつ仲良くしてくれることが嬉しくて、お母さんや父がいないときは話すこと出来るようになっていった記憶があります

でも、しばらくはお母さんと父には話ができませんでした
特に父には「お父さんと呼ばなくて良い」と本当の父から言われていたこともあり、どんな感じで呼んでよいのか、自分はどこにいてれば良いのか、よくわからず毎日緊張してしました

お母さんはそんな僕を優しく見守っていてくれた気がします

どのくらいの時間が過ぎたのかわかないけれど、お母さんには「お母さん」と呼ぶことが出来るようになりました
妹も喜んでくれて、お母さんも喜んでくれて、恥ずかしかったけど言える様になったことは、僕もうれしい気持ちになりました

でも・・・お別れしたお母ちゃんに少し「ごめんなさい」という気持ちがありました

父にお父さんと呼べるようになったのは、それからもっと時間が過ぎた時だったと思います

勇気をもって「お父さん」と呼びました
お母さんも、妹も「お母さん」と呼べたときと同じ様に喜んでくれました
でも、お父さんは笑っていませんでした

ずっと、呼ばないといけないと思い続けていたんだけれど、どうしても本当の父の言葉が頭から離れないから呼べない
子供の部屋に閉じこもって、みんなの前に出ていくことが出来ない
そんな僕の事を好きになってくれるわけがない
そのことは僕にも分かっていました

それからは、僕が好きになってもらうために頑張ることに決めました

お母さんとお父さんは2人とも働いていました
その間は家でゆっくりできます
だけど、その間に何かをして喜んで欲しいと考えました

いつもお母さんがしている洗濯をしたり、お風呂を沸かしたりお手伝いを毎日したら喜んでくれると考えました

でも、いつもうまくいきません

洗濯をして、家の中に干しました
でも「脱水」というのをしていないので、家の中が水浸しになりました

お風呂を沸かしたまま寝てしまい、お風呂が熱湯になりました

その度ごとに怒られて、「もう二度とするな」・・・とお父さんに怒られました

その後も、嫌われることをたくさんしたと思います

夜中にお腹がすいて、勝手にごはんを食べたり、おねしょをしたり、妹とケンカをしたり・・・・

新しいお父さんは、大きい声をだして怒ったりはしません
でも、笑顔で叩かれました
髪を持って持ち上げられたり、押し入れにロープで縛られて1日中入れられたり

冬の寒い夜に裸で立たされたこともあります
その時は理由は覚えていないけど、妹も一緒に立たされました
僕は、妹にごめんなさいと心で思っていました

それからしばらくして、またお母さんとお父さんが喧嘩をするようになりました

この辺は、僕の頭の中はごちゃごちゃです
記憶がほとんどありません
毎日毎日が怖くて逃げたくて助けてほしくて、どうして良いのか分かりませんでした

途切れている記憶の中に

大阪の岸和田市?和泉市?の家に住んでいたこと
お母さんがお酒で酔っぱらっていること
僕が妹にやつあたりしていること
お母さんにほうきが折れるまで叩かれていること
お母さんと池に一緒に入ろうとしていたこと

また、お父さんとお母さんが離婚したこと

その後は、記憶がありません
記憶があるのは、岸和田の施設というところに僕はいました
僕だけではなく、妹2人もそこにいました

*******
私は、この頃今の事しか考えられていなかった事をうっすら覚えています
ただ、怒られないようにすることを考えていますが、いつもそれが悪い結果につながっていて、さらに親の逆鱗に触れるようなことになり悪循環に陥っていた様に思います

私がいなければ、母も妹2人も幸せに暮らしていたのかも知れない
あの時、本当の父と住むことを選んでいた場合、どうなっていたのか
今も考える事が度々あります
*******

児童養護施設

僕の記憶は、良いようにつくりかえられているのかも知れません
時々自分の悪魔の様な姿を思い出すこともあります

この頃、小学校1年生か2年生だった思います
お金だったり、強くなることだったり、周りの小学生が考えて行動しないようなことを繰り返ししていた姿を思い出します

岸和田の家に住んでいるときに、妹に色を付けた粘土を近所の家に売りに行かせたこと、母親のワンカップ酒を飲み干して、酔っぱらって近所の子供と喧嘩をしたことなどがありました
そのことも良くあることではないと思います

でも、そのあとが自分でも信じられない行動をしています

粘土は売れませんでした
妹はお金の代わりに、となりのおばちゃんに菓子パンをもらってきました
そのことについて、妹にキレました
パンが欲しいんじゃない、お金が欲しいんだ・・・と

酔っぱらって数人の子供たちと喧嘩をしたときは、気持ちよくなりました
お酒を飲んでいたので、殴られても蹴られても痛くないので、相手が多くても怖くありませんでした
それまでは、僕はいじめられていました
でもその日から僕はいじめられなくなって、強くなると自分を守ることができるんだと思いました

僕のそういう行動が悪かったのか
他の理由があったのか
大人の考えた事は分かりません

僕は岸和田の施設に入ることになりました
でも、妹2人も一緒に入ることになってしまいました

その時の僕は、折り紙が好きでした
僕が作る折り紙を施設の職員さんが褒めてくれました
本当にうれしかったです
難しい折り紙を作ると、もっと喜んでくれました
折り紙の本の見かたを教えてもらって、新しい物を作れるようになることが本当に楽しかったです

友達もできました
今井(仮名)くんは、その中でも優しくて、今まで友達があまりいなかったこともあり、そこの施設は僕にとっては楽しい思い出として残っています

でも、その場所には長く居られませんでした
仮でそこの場所にいたと後で聞きました

僕たちが生活をすることになったのは
大阪府高槻市の山奥にある虚弱児施設(後の児童養護施設)です

そこには、今井くんがいました
僕は嬉しくなり、今井くんもここに来たの?と質問をしました

でも、今井くんは「俺は今井じゃない、南出や」と言います
僕の知っている今井くんは、同じ年齢で背が僕より高く、顔はすこし黒くて、天然パーマの子でした
目の前にいるのは、今井くんで名前が違うけどそれ以外は同じ

あまりにしつこく聞いたからなのか、南出くんにボコボコにされました
その後、丸まってうずくまっているところを、ほかの子たちにも、乗られたり、蹴られたり、エルボードロップをされたりしました
南出くんは、喧嘩が強くて学年のリーダの様でした

施設の中は、4人~6人で生活できる部屋が10個以上あって、そこには2段ベットがおいてあります
机も置いてあって、そこで1日を過ごします
平日は学校に行き、帰ってきて大きな食堂で全員で食事をして、その部屋で勉強をしてテレビを見ます

テレビは、一番強い人がチャンネルを選びます
勉強をしていても、急に後ろから叩かれたりするので集中ができません

その頃の施設は、キャプテン翼やプロレスが流行っていました
毎週テレビを見た後は恐怖です

テレビを見て興奮している他の部屋の年上の人たちが入ってきて、その時に放送された技を僕たちにしてきます
ドライブシュート、ツインシュート、コブラツイスト、バックドロップ
泣けばもっとされます
ただ、時間が過ぎるのを待つだけです

兄弟制度、というものがありました
年上の人が弟を決めます

兄は弟を守ります
優しくて強い兄を持つことができれば幸せです
弱い兄は弟を守れません
悪い兄は弟を奴隷のように使います

僕たちは、兄たちの顔色を伺いながら、毎日生活していました
時々「お前は良いな」「お前は可哀そうだな」と同じ部屋の子と言葉をかけあっていました

兄たちは気分で色々なゲームを考えます

その中で「喧嘩大会」というものがありました
毎週何曜日か覚えていないけど、トーナメントというもので
学年ナンバーワンを決める、小学生ナンバーワンを決める、みたいなことだったと思います

1回はあまり長い事できません
先生(職員)が見回りに来るからです
見張りをつけて、30分くらいだと思います
嫌いでもない人と喧嘩をしないといけません

優しい人は、相手を軽く叩きます
でも、それは兄たちは嬉しくありません
軽く叩く人は、兄たちにボコボコにされます

僕たちは本気で殴りあいました

僕は南出くんに勝ち学年ナンバーワンになりました
それまではいじめられていましたけど、次の日からいじめられなくなりました
お酒をのんで喧嘩をして、いじめられなくなったときの事を思い出しました
やっぱり力が強いと自分を守ることが出来る

それから、施設での生活は変わっていくことになりました

*******
随分後から分かったことですが、やはり今井くんは南出君でした
両親が離婚をして苗字が変わっていました
そのことを人に指摘されたり、思い出すことが嫌だった為に彼は、その話を繰り返しする私に対して嫌悪感を持っていたようです

歳が同じですから当時は小学2~3年、彼も自分の気持ちの整理も出来ないですし、表現方法を知らない訳ですから仕方がない行動だったのかもしれません

施設内の暴力も、それぞれが荒れていたというよりは、そういうルールの中で仕方なしに喧嘩や、悪事を繰り返すことが多くあったように思います

このシリーズでは触れませんが
百貨店で盗みを働いたり、自動販売機を壊してジュースを手に入れたり、たばこやシンナーなど、いろいろな悪事を働きました

ただ、自分たちでやりたくて始めた人は殆どいません
やらないとしばかれる、やると褒められる
そのことの繰り返しで、子供の中の善悪が作られていくわけです
周囲の環境で子供の性格は作られていく、ということを体験させて頂きました

次回は、お金について少し触れたいと考えています
小学校低学年で力とお金について興味があった私の考えを整理させてくれたのは、児童養護施設での生活後半で体験させてもらったことが大きく影響してきます

また、文中でも触れていますが、記憶があいまいな部分が多いです
そこは妹もnoteでその当時の事を記載していく予定だそうです
彼女の方が記憶がはっきりしている様ですので、そちらもご覧いただけるとより真実を知ることができると思います


<第3話>はこちらから ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?