見出し画像

家族写真

祖母の旅立ちを見送ったあと、

遺品整理で出てきたという、小さなアルバムを眺めていた。

写真屋で現像したときに、一緒についてくる、ポケットサイズのアルバムが何冊か

ちゃっちい紙のアルバムだから、色あせて年季を感じさせたのだけど

祖母が大切に持っていたんだろうなと思った。

「これ、同じ写真、家族の別のアルバムにもあるけど、気に入った写真だけでもいる?」

実家のアルバムには同じ写真はあるようで、このちゃっちいアルバムの写真たちは焼き増しされたものだった。

祖母はひとり暮らしだった。

たとえば、ふと心細くなったときとか、家族写真のアルバムとか見てたんだろうか。

「……そうやなぁ、じゃあ、このアルバムごと持っていこうかな」

わたしも、いま実家から遠く離れ一人暮らし。

もの哀しくなったときとか、家族の温かさに触れたくなったときは見ようかな。


写真は

お宮参り、七五三、家族旅行などで孫が写っているものばかりだ。

祖母はその孫たちのそばで、微笑んでいる。

お目目をくりくりさせて、可愛らしく、なんか写真うつりのいい兄と
(いまじゃ考えられないけど、5歳児の兄が3歳児の妹の手を繋いでいる写真はきゅんと萌えた)

ぶすっと拗ねて、カメラ目線を外したり、大口あけて泣いている写真が多い泣き虫の私と
(もっと可愛く写ればいいのに)

いまより、ずいぶん若いなあと思う両親と
(子どもを連れていくという名目でいろいろ旅行して楽しかったと言っていた)

いろいろな写真を見て、心の中でつっこみながら、でも温かくて。

あたりまえだけど、写真に残されている記録は幸せの記録でもあった。

小さいとき、よく家族でいろんなところにいったなあ。


祖母の旅立ちは寂しいけれど

見送るときに家族で、思い出話ができたこと、

普段は子たちも自立してバラバラに過ごしているけれど、こうやって集まれていること、

なんだか、ほっこりした。


さようならの出来事があるというのは

また新しいこんにちはを迎えることもできるんだなあ

とそんなことを思いながら

このとりとめのない文章を綴っている。




いいなあと思ったらぜひポチっとしていただけると喜びます。更新の励みになります。また今後も読んでいただけるとうれしいです。