心は”晴れる”?”晴れない”?

 この記事は、前回の「心が風邪をひいて…?」のその後の記録です。心療内科を受診することを決めて受診してみたわたしの、今まで持っていた偏見に対する反省と、心療内科に行くか迷っているけれど、どんな感じかわからない…と思っている誰かの役に立ったらいいなぁというエゴと、将来自分が心療内科に進むことがあった時のための、患者としての自分の気持ちを、備忘録代わりに書いています。本当は診察に行ったその日のうちに書こうと思っていたんですが、ちょっと数日空いてしまいました。

再診までの1週間

 前回の診察からちょうど1週間後、もらっていた薬(漢方でした)も1週間分で、検査結果ももらわなくてはならないので再診に向かいました。初診からの1週間、一人で無理にどうにかしようとしなくてもいいという安心感か薬のおかげか、そこまでひどく落ち込むことはなかったと思います。ただ、程度が少し軽くなりましたが、寂寥感はあるし、不安には駆られるし、食欲は戻ってこないし、心にはつかえがあるような感じはまだ取れないし、講義はちゃんと受けられません(集中できない)でした。友達と会うときも、「自分は病んでそうに見えていないか」なんて心配なんかしたり。落ち着いてきたかな?と思った再診前日には、夕方には(メンタルがぐらぐらして焦燥感や不安に駆られるのは大体いつも夕方からでした)気分が崩れて、親の前で突然泣き出してしまう始末。「再診前に悪化しなくてもいいのに」なんて自分に思ったり。十も承知でしたが、初診だけで治ったぞ!なんてことはありません。でも、頼る先があるという安心感は大きかったです。

再診

 2回目の診察。やはりクリニックに向かう階段を降りるのは、人の目が気になってしまいました…。誰も見てないし、気にしていないだろうに。

 その日は前回と同じ曜日、平日の午前中でしたが、前回よりも待合室の人は少なかったと思います。そのおかげか再診だからか、診察には前回よりもずっと早く呼ばれました。

結果は…

 診察室に入ると、そこには前回とは違う先生がいらっしゃいました(前回の先生は非常勤の先生だったため、次回は違う先生になるかも、とは伝えられていました。)。秘書さんと医師と患者の構成や診察室は前回と同じです。見るからに優しそうでおっとりした先生。大学で講義を持たれることもあるそうで。

 最近の様子を聞かれたので、前日に突然泣き出してしまったことを伝えました。すると、プリント(心理学の力動論でした)を指さしながら、「泣いて感情を表に出すということはいいことなんだよ」と。わたし自身、心理学に明るくないので、プリント(医学生であることを問診で伝えたらくださった)から読み取れる範囲で書くと、

現実・超自我(高すぎる理想や厳しすぎる良心)・欲動の3つから圧力を受ける自我、そしてその行く先(はけ口?)として、適応・不適応障害の2つが存在する。適応には合理的な行動(泣くことはここに含まれるらしいです)、健康なはけ口(スポーツ・趣味など)がある。(現実・超自我・欲動の3つの矢印が全部自我という箱に向かって入って、その箱からは適応・不適応障害の2本の矢印が出ているイメージ…であってるかな?)

「泣くことは適応の一つだから、これがスポーツなどの健康なはけ口に向かうと良いね」と。なるほど、突然泣きだすことは異常なんじゃないかと思っていたので、目に涙がにじむくらいにはこの言葉に救われました。

 さて、前回行った血液検査、CES-Dとバウムテストの結果です。血液検査はすこぶる健康体。引っかかる所は何一つありませんでした。CES-Dは、29/60点で軽度抑うつ状態。6割を切っているので、うちの大学だと再試な点数です。冗談です。バウムテストでは、総括して言うと、ストレスを受けやすくため込みやすく外に出しづらい傾向がある、とのこと。でも、軽度抑うつ状態はうつではないらしく、何かの診断がつくということはありませんでした。「ストレスをためないように」と言われて診察はおしまいでした。

 わたしは軽度抑うつだったのですが、これで軽度なら、中等度/重度抑うつの状態って、本当にとってもとってもつらいんだな、と思いました。気の持ちようで何とかなる!とか、そんなの甘えだ!なんて、口が裂けても言えないです。

「何か質問はありますか?」

 さて、ここでは、自分が患者として「?」と引っかかったことについてを書いていこうと思います。もしかしたら、わたしが心療内科で診察を受けるにあたってのお作法(そんなのあるんだろうか…?)を知らなかったから生じた「?」だったのかもしれません。

 先にも述べたように、先生はとてもよい感じの方でした。しかし、最初の「最近はどうですか?」以外は、わたしに対する質問は「何か質問はありますか?」の繰り返しでした。(前回の結果も自分から「あの、前回の結果は…」と言ってから初めて渡されました。)

 さて、わたしは最近、問診の仕方について、実際にロールプレイで患者役と医師役をして学ぶ機会がありました。そこでは、患者さんが提示してくれた/自分で聞き出した情報から、いかに深くそのことについて掘り下げて(例えば、医「最近、体重の変化などはありましたか?」患「そういえば太って」医「ここ数か月で劇的に?」患者「いや、体重は増えてないのだけど、数年前から服がきつくなることがしばしば」…のように)、診断に有用な情報を”聞き出していく”ことを行いました。そして、「何か気になることや質問んはありますか?」は、双方の確認として最後に設定されていた質問でした。だから、

「何か質問はありますか?」

は、あまりに患者に丸投げしすぎている、突き放されてしまった、と思ったのです。こちとら、診断がつかないなんて百も承知だけどしんどくて受診したのに、うつじゃないとわかったらそんなあっさり!?、みたいな。確かに、診断はもうついた(軽度抑うつであってうつではない)から、これ以上掘り下げることなんてないのかもしれないけれど…。友人のことばを借りれば、「理論(診断基準)と現実(診断基準に満たないけれどわたし)のギャップで苦しんでいて、そのギャップを埋めるために医師の経験を頼りに来てる」のに!です。そんなにおんぶにだっこで甘えるな、なのかもしれません。わからない。もしここでわたしが、前回のnoteに書いたことをずらりと言い並べて、「これ全部どう対応したらいいんですか?」って聞いたら、丁寧に全部教えてくれたかもしれない。でも、心療内科に来ているときのメンタル(あくまでわたしのですが)なんて「そんなに時間取らせたら申し訳ないな」「そうか、うつじゃないってわかったら取り合ってもらえないのかな」で、そんなに自分から進んでああだこうだ言えないと思うのです。だから、ちょっと、身勝手ではあるけれど、失望してしまったり。相手に勝手に期待して失望する自分に嫌になったり。

 「何か質問はありますか?」わたしだったら、「何か質問はありますか?例えば、○○が起こった時にどうしたらいいの?とか…」のように例をくっつけて、患者さんからがうまく言葉にできてないようなモヤモヤを引き出せして解決に向かえるようにしたいな、なんて思うのでした。

次の診察へ

 さて、「ストレスをなるべくためないように」と伝えられ、このまま様子を見てみよう、とのことで2週間分の薬を処方してもらい、2回目の診察は終わりを迎えました。3回目の診察の予定はネットから申し込むことにしました。便利な世の中です。さて、次回までにどうなっているのでしょうか。気分は晴れる?晴れない?

最後に

 また、うまく収束点が見つからないまま、ずるずる長くなってしまいました…。書いていたらあっという間に2時間が経っていました。

 実は、この文章を書いている現在(今日の夕方から今、つまり深夜の短い間ですが)は、食欲も戻り、胸のつかえもとれた感じがしています。うつ(正確にはうつではなかったけれど)は、空が晴れるようにこんな感じに、すうっと良くなるものなのかな?

 最後まで読んでくださった方がいたら、長文だったのに本当にありがとうございます。誤字脱字あったら、ごめんなさい…!

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