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【FIRE夫】自己肯定感おばけ



・人に喜んでもらいたい
・社会の役に立ちたい
・人から(社会から)必要とされたい


人はこのように願う生き物なのだろうか。
誰かの役に立てるととても嬉しいし、そこに存在意義を見出すのもわかる気がする。






が、ことFIRE夫に至っては、なんとこの感覚を一切持っていないようなのだ。

何歳になっても自分のスキルを人のために役立てたいと言って行動する親戚の話を聞いて、
「すごいなあ。俺なんてそんなこと一度も思ったことない」と言ったくらいである。

世の中のためになりたいとは微塵も思わない性分のようだ。

人としてどうなのかという気もするが、夫の発言を書き出してみる。


・「俺が存在してるだけで、税金を払う人がひとり増えるわけだよね」

・「生きていくために俺は日々何かを購入するわけで、その分経済をまわしてることになるよね」

・「新たに何かしなくても、もうそれで十分俺は社会の役に立っている」

・「もっといえば幼少期までに両親は俺がいることでものすごく幸せだったんだから、すでに十二分に他者を幸せにしてることになるよね」
社会の一員としての最低限はクリア



「幼少期までに人を幸せにしてきたのだからその後は気にしなくていい」説。。
それいま持ち出す?

夫は「自分が存在する」というそのことだけをもって良しとしているふしがある。

自分がそこにいること=価値があることなのだ。

…世の中に受け入れられなさそうな発想かもね?と言うと、

「俺に関係ない人が俺のことをどう思おうと、何て言おうと、どうでもいいよね。
その人は俺の人生に責任取ってくれるの?
俺の人生に責任持つのは俺だけだよね」

と返された。

でしょ?



俺が存在しているだけで、社会のためになっている…。

そう、夫は自己肯定感おばけなのである。

存在するだけで大満足なのだから、さらに人に何かを提供したり役に立ったりということを全く重視していない。
そこに自分の価値を見出さないのだ。

もしかしたらこういう感覚の人であればあるほど、FIRE生活を満喫できるのかもしれない。

働かなくてもなんの焦燥感も虚無感も感じない。

なにせ「存在しているだけでOK」「自分が楽しく生活していれば大満足」なのだから。

これ以上の自己肯定感があるだろうか。

逆に夫の感覚で死守していることといえば「他人に迷惑をかけない」ということだ。自分が幸せでない状態でいることは両親や家族に心配をかけるため、それを避けるための努力は怠らない。


■FIRE夫は自己肯定感おばけである

→夫は「ただ存在するだけで価値がある」
という意識を持つ民なのであった。

思うに、夫の生活様式は古代ギリシャのアテネ人を彷彿とさせる。
アテネ人は暇であること(自由に使える時間をたっぷり持っていること)に最も価値を置き、最も大切にしたとのことであるが、それってまさに夫だ。
働かなくても生きていけるという背景含め酷似している。

さらに、アテネでは暇だからこそアリストテレスやプラトンのような哲学者が生まれたが、たしかに夫もFIREしてから哲学的な深まりがすごい気がする。

思考を深めるには暇が必須なのだということを、我が家のアテネ人から再確認したのであった。


※しかし自己肯定感が高すぎることが社会の役に立ちたいという気持ちを生まないことにはならないだろう。夫はどうしてこうなった。。

※が、とりあえず夫はいま人に誘われて何やらプロジェクトを進めている。でもそれは人の役に立ちたいからではなく、遊びとして楽しいからやってるだけらしい。
毎週近くのカフェで打ち合わせしたりして楽しそうではある。
楽しく遊んだ結果で人の役に立てるなら、それが1番なのかもしれない。。

※上記とは関係ないが、息子が5歳になった。
5年前の写真や動画を息子に見せながら「可愛い〜!!」を連呼していたら

「ママはさ?赤ちゃんの時の○○ちゃんと、今の○○ちゃん、どっちが好きなの?」

と聞かれてしまった。

赤ちゃんの時の自分にさえ嫉妬する息子。
おいそれと息子の前で赤ちゃんを誉めることはできないのであった。

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