“1”を超えた先【群青日和 #53・54】
【試合結果】
6/4(火) オリックス・バファローズ
○3-1
[勝]ウィック
[敗]井口
[S]森原
6/5(水) オリックス・バファローズ
●1-2
[勝]田嶋
[敗]ジャクソン
[S]マチャド
◇ ◇ ◇
欲しかった1点が気持ちよく取れる日もあれば、何故その1点が取れないという日もある。
そもそももって野球は成功のスポーツではなく、どちらかといえば失敗のスポーツなので。
そして試みないと成功にすら辿りつかない。
動いた上での失敗を批判したところで、それは果たして本当に成功のためなのかな、なんて。
名を名乗ることなく、一体何のために怒っているんでしょうか。
それって実は、贔屓のチームのためじゃないでしょ?
結局現場で出された答えが全てなので。
全肯定も全否定もなく。
そして時に私は「語らない」という選択肢も手に取ります。
借りた言葉を手に取って、その気になるのだけは避けたいから。
◇ ◇ ◇
「別人のような活躍」
うん、褒め言葉だって分かってる。
「ような」って挟まってるから、喩えだってことも重ねて分かってる。
それでも、腑に落ちない表現だなって。
引っかかる。
ささくれが引っ張られた時みたいに、ピリッとくる。
ええ? 違う人みたいだってことだよね?
例えばそれは火曜日の試合で好リリーフだった坂本裕哉や、
その翌日、バファローズ打線を2回無失点に抑えた中川虎大へ向けて、そんな言葉を向ける人を見かけた。
「別人のような活躍」だと。
二人とも、一度だって別人になったことなんてない。
人が変わったような、って言いたいならそれは違う。
努力を重ねてきて、このプロ野球選手の世界に入って。
歩んでいくうちに壁にぶつかって、立ち止まったところで努力する方向性を変えただけ。それは環境を変えてみたり、相談した先でヒントを見つけたり、だとかで叶うもの。
ずっと同じ人間が、「別人みたいだね」って言ってくる人から見えない所で、失敗したり成功したりを繰り返していたんだよ。
それを見ようともしなかったのに、いざ彼らが晴れ舞台でようやく手にしたその結果ひとつを取り上げて「確変」だの「別人」だのって、なんなんだ?
変化が起きる前のゼロ状態から、急に1に変わることなんてない。
見えないようで、0.1でも0.01でも積み重ねているからいつか1にたどり着く。
変わったんじゃなくて、変わり続けてきた結果。
かつての坂本裕哉は、打たれないように四球を出さないようにと慎重になりすぎて自分自身と戦っていた。今はダイナミックな腕の振りでゾーン内で勝負し、相手バッターに向かっている。
単打を浴びてランナーを出しても決して慌てず、とにかく3つアウトを取る、その事のみに集中している。
中川虎大は制球力を課題としながらも、自ら崩れるようなことはかなり減ってきた。
球威十分のストレートと軌道が読みにくいナックルカーブでストライクを先行させ、落差の大きなフォークで三振を取る。
かつて横須賀のクローザーを担ってきた経験は、確実に糧になっている。
二人に共通しているのは、迷いのなさ。
投げ切る、落とし切る。
探るような球は一つもない。
現在地にたどり着くまでに歩んできたその道のりを、無かったことにしてまるで違う人になったみたい!とは私は言えない。
彼らは彼らのまま、上を向いてきたその結果だから。
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