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立ち止まることにも 意味はあったんだ【群青日和 #55】

【試合結果】
6/6(木) オリックス・バファローズ
●1-3
[勝]山田
[敗]山﨑
[S]マチャド

◇ ◇ ◇

最後に京山将弥を一軍の舞台で見たのは、2022年6月11日のこと。
まさに交流戦真っ最中。
対戦カードは千葉ロッテマリーンズとの2戦目。
その頃毎週金曜に投げていた佐々木朗希の登板がズレて、この京山とZOZOマリンスタジアムで投げ合うことが直前に決まった。

かたや2ヶ月前に完全試合を成し遂げたばかりの『令和の怪物』と、かたやパ・リーグファンからしたらどちらさま?って感じの高卒6年目投手、というマッチアップ。

この時の結果はというと、京山は佐々木朗希相手に勝利投手にこそなれなかったものの相手に勝たせることもしなかった。
つまり、一歩も譲らなかった、といっていい内容。

新型コロナウイルス感染で出遅れてしまったけれど、ここから先発投手として乗っていければ……なんて思っていたがそう上手くは行かなかった。
3歩進んで2歩下がる、どころか3歩も4歩も下がってしまう。

翌年、2023年シーズンはルーキーイヤーぶりの一軍登板なし。
そのうちファームでも投げる姿を見ない日が続いた。

◇ ◇ ◇

そして、それから608日後。
京山はリリーバーとして一軍の舞台に帰ってきた。

先発投手として投げていた頃と変わらないSSKの真っ赤なグラブを携えて、より躍動感溢れるシンプルなフォームで直球を投げ込む。
エスコンフィールドのスコアボードには、「155km/h」の表示。
平均球速は145km/h前後のストレートと曲がりの鋭いカットボールで組み立てていくピッチャーが、2年後には150km/h台を連発し打者を圧倒するパワーピッチャーになっていた。

順調に成長してきた訳じゃない。

この2年の間に、試行錯誤するうちに投球フォームが分からなくなってしまった、という記事を見て言葉を失ってしまった。
さらに上のレベルを目指そうとして、足元を掬われる。
投げ続けて夢を叶えたのに、もう投げられないかもしれないと思う日々はどれだけ恐ろしかったことだろう。
98年生まれ、大学や独立リーグから入団した同世代の他の選手は一軍メンバーに定着している中、焦りも大きかったはず。

昨年オフ入団した、入来コーチと出会えていたことが大きかった。

「頑張ったのは彼の努力」と前置きした上で続ける。「彼の投球結果については何も指摘しなかった。打たれようが抑えようが。右足がでれば左足が出る。自転車に乗るときだって、足の動きは何も考えない。単純に、12球団トップクラスの能力を持つ彼の力をつくりなおした」
《中略》
「まだ彼には葛藤があると思う。でも、どんどん投げ込めばいいんですよ。右足と左足を動かす。それだけです」

記事文中より

12球団トップクラスの能力。
出会ってそう日が経たない中で、京山のポテンシャルをさらりとそう表現してくださるその眼力。
そしてそれが分かるまで真摯に向き合ってくださった姿勢に頭が下がる。

これが、京山将弥の本来あるべき姿なんです。

2016年ドラフト4位入団の高卒右腕。
それは山本由伸の他にもこんな原石がいたこと、どうかお見知りおきください。

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