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私が公務員を辞めてハッピーになった話 - 第1話:1年目で辞めたくなる編

※この記事は2018年8月11日に書きました。

私は、新卒で公務員になり、4年後に公務員を辞めました。

今は、公務員を辞めて3年ちょっと経ちますが、私は公務員が合わなかったので、辞めて本当に良かったと思っています。

公務員辞めて幸せになれたし、自由になれたし、本当の私でいられるようになりました。
辞めて後悔したことは一度もないです。

公務員よりも良い職場は沢山あることがわかったし、むしろ、私は今まで経験した3つの職場(民間含め)の中で、公務員が一番労働環境が悪かったし、自分にも合わなかったので一番辛かったです。

でも、公務員ってすっごく辞めるのに勇気がいるんですよね。

反対とかしてくる人もいるし、ネームバリューだけは良いから「もったいない」とか言われるし、

私にとっては、合わない仕事を辞めるだけなので、もったいないなんて思うほどの価値がある仕事ではないのですが・・・。

でも、そう言ってくる人は結構いました。

私はその後、民間企業も2回辞めているけど、公務員辞める時が一番大変で勇気がいりました。

今、公務員辞めたいと悩んでいる人に背中を押せれば良いなと思って、私が公務員を辞めるまでの経緯と、公務員を辞めた後に思ったことをブログに書きたいと思います。
相当長くなりそうなので、数回に分けて書こうと思います。

1、公務員になった理由

そもそも、なんで公務員になろうと思ったかというと、私は大学4年間、韓国の大学に通っていて、政治外交学を専攻していました。
韓国に留学したのは、韓国語が喋れるようになりたかったからで、その学部にしたのは、外交官になりたかったからです。

でも、大学3年くらいの時に、外交官は違うなと思いました。
高校生の時は、外交官って国際的な仕事だと思っていたのですが、韓国の大学で授業とか受けているうちに、外交官って色々な国の人たちと仲良くインターナショナルな世界で活躍!っていうよりは、自国の利益のために他国とどう交渉するかみたいな仕事だなと思いました。同じ学部の韓国人もすごく愛国心が強かったし。

この話は本題ではないのでまたの機会に書くとして、とにかく、私は外交官じゃなくて何になろう?って大学3年の時からわからなくなってしまいました。
他にやりたい仕事が思い浮かびませんでした。

大学3年の夏くらいに、色々な就職サイトを見ていて、地方公務員(都庁)の仕事が目につきました。
何やら、ものすごく沢山の部署があるらしく、2、3年で異動になるから、色々な仕事を経験できると書いてありました。
ちょうどその時、私はすっごく日本に帰りたいって思っていたので、生まれ故郷の東京に帰って、都庁に入ってやりたいことを探そう!って思って公務員になろうと思いました。

なので、公務員試験は、東京都しか受けていませんでした。
もし落ちたら、派遣やアルバイトなどで韓国語を使った仕事をしてお金を稼いで、そのお金でまた留学しようと思っていました。
今度は英語を勉強するために。(私は当時韓国語は話せたけど、英語は話せませんでした。)

公務員試験の一番のモチベーションは、東京に帰って、東京で生活したい!っていうことでした。
だって私は韓国の生活で、東京がいかに素晴らしいか気づいた! だから絶対私、都庁に入るべきだ!って思っていました。
(不思議なことに、9年後の今はベルリンにいて、東京の生活に限界を感じています。笑
学生だったら東京で生活するのも良かったと思いますが。)

今思えば、あんまりちゃんと考えてなくて、とりあえず就職して働きながらやりたいことを探そうって考えることを後回しにしていたのかもしれません。
でも、一度もフルタイムで働いたことのなかった私は、働くってどういうことか、実際やってみるまでわからなかったと思います。

2、公務員になってみて

韓国で、絶対東京に帰る!って気持ちでめっちゃ勉強し、無事、公務員試験に受かりました。

実際、公務員になってみたら、本当に私に合わない仕事、合わない環境ですごく辛かったです。

(※公務員っていっても色々あるので一概には言えないですが、私が一年目に入った環境のことを話します。)

まず、すごく超日本的。
あと、なんか古い。新しいことを取り入れるのも大変。変化させるのがすごく大変。すごい労力。
あと、すごく社会主義的。ビジネス感覚がなくて、儲けちゃいけないみたいな。
あと、すごく政治的。
何もかもが合っていなかったなって思います。

4月に公務員になって、7月くらいから、なんか違うなと思い始めました。

日本的っていうのは、上下関係がすごいちゃんとしてて、時間は必ず守らなきゃいけなくて、だけど、残業は1時間くらいは残業代つけちゃいけないみたいな雰囲気。
(人によるけど。ちゃんとつける人はつけてる。)
あと、上司が帰ってなかったら先に部下は帰れないとか。
管理職にはメールで依頼をしたら失礼とか。
飲み会とか、ザ・日本のサラリーマン飲み会って感じ。
部下が常に上司のグラスが空いていないかチェックして、空いてたら注文して、なんか全部お世話する的な。
私が最初に入った部署が、総務部の庶務係っていうところだったので、偉い人たち(管理職)の飲み会の幹事も仕事の一部になっていました。
最初は、一年目から偉い人たちと同じお酒の席につけるなんてラッキーって思っていたけど。
でも部下たちは楽しいっていうより仕事の一部って感じの飲み会でした。しかも無駄に長い。終電ギリギリまで飲む。学生の時より飲んでるよって思いました。明日仕事なのに。
あとは「三本締め」を初めて見たときは、「おーこれが典型的な日本の飲み会だ!」って感動しました。
当時の私、韓国から帰ってきたばかりで日本語もちょっと変で、だから尚更、「日本っぽい」って思ったっていうのもあります。
でも今考えてもやっぱり超日本的。

でも、女性差別とかはなかったです。女性だから昇進できないとか、そういうのはさすがになかったです。
あと、年休(有給)とっちゃいけないっていうのもなかったです。むしろとりやすいと思います。(部署によるけど!)
普通の日本企業よりも年休は多いし。

古いっていうのは、使っているパソコンとかブラウザとか古すぎだし、全然ペーパレス化してない。
せっかく電子決裁しても、それをわざわざ印刷してファイルに綴るし、メールもわざわざ印刷してファイルに綴る。大事なものは紙で残さなきゃっていう文化なのかな。
新しいツールとか、取り入れるのもすっごく大変。とても大きな組織だからなのか、変える労力の方が大きすぎることが多いです。
あと、これ、オンライン会議とか、スカイプ会議で良くない?って思うような会議を、わざわざ出張して会議するとか。
スカイプとか電話会議できるような会議室とかは役所にはありませんでした。(2011~2014年当時)

社会主義的っていうのは、同じ試験を受けた同じ階級の人は、どの部署でどの仕事をしていても、どんな成果をあげても同じ給料。
階級は毎年上がるし、昇進することでもっと上がるんだけど、給料は階級に紐づいて一定なので、成果をあげている人が沢山もらえる仕組みではないです。
公務員として成果をあげるってなんなんだろうっていうのも疑問だけど。
行政は、基本、利益とか出しちゃいけないから。
やるべき仕事をちゃんとやるっていうことなのかな。で、それは当たり前だから、一定になっちゃうのかな。

あと、コスト意識は、予算があるから一応あるんだけど、人件費のことを忘れがち。
人件費が一番のコストなのに。
費用対効果を考えていないことが多い。費用対効果より大事なものが役所にはある。例えば、誰からもミスを指摘されない完璧な書類を作るとか、議員と良い関係を築いて政策をやりやすくするとか・・・。
基本、儲けちゃいけないっていうのが前提だし。
そこが一番、合わなかったのかなって思います。

私の実家は、自営業で小さなスーパーをやっていて、私も小さい頃から手伝っていて、商売感覚みたいなのを教え込まれていたような気がします。
なので、役所の価値観とは、どうしても合わなかったです。毎日些細なことでイラっとしてました。これ要らなくない?これ無駄じゃん!とか。

あと政治的っていうのは、管理職が議員にめっちゃペコペコしてる。めっちゃ気を使ってる。全然対等じゃない。
議員のことを「先生」と呼んで、VIP扱いする。
議員の鶴の一声で、「先生案件」になって超重要課題になる。

基本、議員対応は管理職の仕事なので、管理職になったら、「先生」に頭下げなきゃいけないんだな・・・。うわ・・・。って思いました。
そして一部の議員は、めっちゃ横柄な態度をとってくる人もいて、日本の政治と行政の関係に、すごく残念な気持ちになりました。

そういう仕事をするのも、精神的に嫌でした。

でも、一年目で一番辛かったことは、私は当時22~23歳でエネルギーに満ち溢れていて、どこか改善できるところはないか常に探していて、色々変えようとしてたのですが、「そういうのしなくていいから」っていう雰囲気だったことです。
その部署は、「前年度と同じことを淡々とやっていればいいから」っていう感じで、私が、役所のルールとかも良く知らないのに、色々面倒くさいこと言ってきて、面倒くさい新人だったんだろうなって思います。
でも、当時の私からしたら、腕を伸ばそうとしているのに、伸ばさないように抑え付けられている感じがして、それが苦痛でした。
(私が都庁辞めてから次に入った会社は、改善策をどんどん提案して! むしろ提案しないと職失うよっていう環境だったので、私が新卒でその会社に入っていたらもっと違っていたのかなって思います。)

毎日、些細なことでも、自分の価値観と違うことが沢山あって、それを大人しくやらなきゃいけない環境で、メンタルがぼろぼろになりました。
でも、辛い時こそ笑顔で!って思っていたので、職場では笑っていました。(←これがメンタル的に良くなかったよなって今は思う。)
自分をロボットだと思うようにしていました。
でもそんな人生って何が楽しいんだろう。生きている意味なくない?って思いました。
この時は、道歩いてて、車が横を通った時に、今車に轢かれても、私別に悲しくないな〜とか思ったりしました。
親が悲しむからやめておこうって思ったけど。
合わない仕事をしてると、人間、本当にこうなります。

3、公務員辞めて何するか

身近な人に辞めたいって相談したら、必ず「辞めて何するの?」って聞かれることが多かった気がします。
辞めるためには、他にすることがないといけないのか・・・って。
(今思えば、別に何もしない時期があってもいいじゃん。この考えこそ超日本的って思うけど。)

でも、私は、やりたいことを探すために公務員になって、公務員は違ったっていうのがわかっただけで、他にやりたいことは見つかっていませんでした。
毎日をやり過ごすのにエネルギーがすごく必要で、自分が本当は何をしたいのかまで考えるエネルギーが残っていませんでした。
それで、朝、職場に電話して、風邪を引いたことにして仕事を休み、自分が何をしたいのかカフェにこもってノートに書き出して考えた日もありました。
それは2月くらいの時です。

あとは、本を沢山読んでいました。
メンタルがやばかったので、メンタル系の本とか、人生とは?みたいな本とか、仕事とは?みたいな本とか。
かなり沢山読んだけど、その中で一番心に響いて、今でも影響を受けている本が、「ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。」という本です。
この本で、自分がワクワクすることは何か、真剣に考えました。

一時期は、日本の大学院に入って、やりたいことを探そうかって思ったことがありましたが、学費が高いことがわかって無理でした。
それで、やっぱり私は、英語が喋れるようになりたい。韓国語だけじゃダメだって思いました。
何の仕事をしたいかは、まだわからないけれど、英語が喋れるようになりたいっていうのは、韓国にいた時からずっと思っていたなって思いました。
それで、約1年間公務員として働いたお金で、英語勉強しに留学しよう!って思いました。
そういえば、私、公務員になる前に、もし公務員試験に落ちたら、韓国語使って仕事してお金稼いで、英語勉強しに留学しようって思っていたなって。

なんで英語が喋れるようになりたかったかというと、自分の世界を広げたかったんだと思います。
私は、韓国の大学に行ったことで、韓国語が話せるようになり、それで、韓国という世界が開けました。
韓国は、高校生の時は、「住んでみたい外国」という感覚でしたが、韓国から帰って来たあとは、外国みたいな感覚はもうなくて、母校のある場所になっていました。
この感覚を知ってしまったので、英語が話せるようになったら、私の世界は、日本と韓国だけじゃなくて、世界中どこでもいける気がしました。

当時、私は実家に住んでいたので、1年間働いて貯金が120万ちょっとありました。
「格安 英語 留学」で調べると、フィリピン留学が出てきて、フィリピンには、韓国人が作ったスパルタな英語の学校があることがわかりました。
ネットで日本語で調べて、韓国系の学校が出てきたので、これは韓国語で調べたらもっと安いんじゃないかって思って、韓国語で調べました。
そうしたら、寮の家賃、食費、生活費、授業料込みで1ヶ月約10万円のところがありました。
日本語で調べると日本の仲介業者が手数料を取っていて倍くらいの値段でした。
それで、私は、もうここに行くしかない!!って思って、韓国語で電話をかけて「日本からなんですけど、韓国のホームページに書いてある値段(月約10万円)で参加できますか?」って聞いたら、「大丈夫です」って言われました。それで、その電話で申し込みしました。
あとはお金を払えば、数ヶ月後にはフィリピンに行く!っていう段階まで来ました。

もうこの時は、ワクワクでした。
私の経験的(韓国語の経験)に、日常会話は、毎日話していれば4ヶ月で話せるようになるはず! そうしたら40万円プラス飛行機代で、日常会話はマスターできる!
あとは、オーストラリアかどっか、英語圏にワーホリに行って、カフェとかでバイトして実践的に英語を身につけて一年後に日本に帰ってくる!っていう予定でした。

そして、次の日に、上司に「3月末で辞めます」って言おうって決心しました。
本当は、明日から辞めたいけど、ここはキリよく3月まで頑張ろうってって思いました。

それは、2月の半ばのことでした。4月に就職したのであと少しで1年経つっていう時です。
でも、私が実際に公務員を辞めたのは、まだそれから3年後のことです。

第2話:1年目で辞めますと上司に言う編」へ続く


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