寓話的マヌルネコとの対話⑴
ある雨の日、僕は上野動物園にいた。
なんとなく頭が痛くて、会社を半分仮病で休んだ。
一人暮らしの散らかった部屋にいても気が滅入る。ずっとスマホを見てるくらいなら何かしようと思い立った。雨なのに、なぜ動物園に行こうと思ったのか分からない。彼女と幸せだった頃、上野動物園でのデートが楽しかったからかもしれない。
付き合って1年半、僕らの仲はすっかり醒めてる。僕の気持ちは変わらないのだけど、彼女がそっけないのだ。
「具合悪くて会社を休んだ」とLINEしたところで、「大丈夫?無理しないで休んでね」みたいな無難な返事が来るのは分かりきってる。
最近の僕らは定型のやり取りばかりだ。本当はもうダメなことが分かってるけど、見て見ないふりをしてる。もしかしたら男ができたのかもしれない。でも、それを問いただす勇気が僕にはない。
浮気されて終わるくらいなら、彼女がいるという現状を維持するほうがマシだ、と思ってしまう。情けないけど。
そんなことを山手線でグルグルと考え、上野で降りた。
雨の上野動物園は人もまばらだった。
こんなに空いてたっけ?
彼女と来たのは5月で初夏の陽気が暑いほどだった。
半袖から見える彼女の白い二の腕にドキドキしたのを覚えてる。動物を見て喜ぶ彼女の横顔を何度も盗み見ては幸せな気持ちになっていた。
あれから1年ちょっとなのにな。
雨足が強くなってきたので僕は小獣館という建物に入った。
地下へ降りると、マヌルネコという動物が展示されていた。
中央アジアの高地に住む野生ネコで、マヌルとはモンゴル語で「小さいヤマネコ」という意味らしい。
普通の猫と同じくらいの大きさだ。
隅のほうで寝ていたので、最初は気づかなかったほどだ。
他に客はいない。
特に猫好きでもないけど、静かな館内は落ち着く。
僕はしばらくマヌルネコを観察することにした。
5分ほど経った頃だろうか。
マヌルネコが急に顔をあげて僕を見た。
意外と渋い顔をしてる。
もっとキュートな可愛い顔を想像していたのだけれど、その顔は少し憂いを含んでいる。味わい深い表情だ。
もしかしたら自分なんかより人生のパイセンかもしれない、と心の中で僕は苦笑した。
「シケたヤツだな」
マヌルネコがぼそっと言った。
「はいっ?!」思わず声が出る。
「お前だよ。なんで、そんなシケた面をしておる?」
どうやらマヌルネコは僕の頭に直接話しかけているらしい。僕は思わず辺りを見回した。当然、誰もいない。
館内の湿度がじわっと上がったような気がした。
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