モスキート_ヘル1

モスキート・ヘル(序章)

「お前などがうちのテルちゃんに触れようなどと烏滸がましい」
 わたしが止める間もなく依頼人である男、モスキート・ヘルは襲ってきたゴロツキの脛を踏み折り、顔面を銃で撃ち抜いた。わたしのサイレンサー付きの銃だった。腰のホルスターからいつ抜かれたのだろう。
 車椅子の少年はすやすや眠っている。

「いや、面倒になるからむやみに殺さないでって言ったじゃないですか」
「お前が頼りないから私がやるしかないのだろうが、つべこべ抜かすとクビにするぞ」
 それは困る。わたしにはおなかを空かした弟妹が五人もいるのだ。
「そんなに強いならボディーガードいらないじゃないですか……」

 わたしの名前はアヤメ。駆け出しのボディーガードだ。

 マフィア蔓延るこのウタマロの町で、学はなくても体が健康な私みたいな女にできる仕事はせいぜい娼婦くらい。
 幸か不幸か私には「見かけによらず体がめちゃくちゃ頑丈」という特殊能力があった。
 そしてそんな私を雇ってくれたのがモスキート・ヘルだ

「お前が追い返す奴等は二種類いる。借金取りと、あとはうちのテルちゃんを狙う不届きものだ」
 テルちゃんと呼ばれた少年はいつ見ても眠っている。モスキート・ヘルは常に車椅子でテルちゃんを運んでいる。どうやらこの子も私と同じ、なんらかの特殊能力があるようなのだが教えてくれないのだった。

「このあたりでいい」
 モスキート・ヘルはいつものところでわたしがついてくるのを止める。どうやら住んでいるところを知られたくないらしい。とはいえ、だいたいねぐらの近くで気が抜けたときに危険というのは迫って来るものだ。
 狭い通路を塞ぐように禿頭の男が三人待ち構えていた。

「モスキート・ヘル、借りていた金を返せ」
「返せなければお前の息子を連れていく」
「変態金持ちに売れば金になるからな」
 モスキート・ヘルは山高帽の下の剣呑な目をきゅっと細めて不快を露にした。
「気が変わった。もう少し仕事をしてもらおう、ボディーガード」
「イエッサー」
ドンパチ開始だ。

「すみません〜、借りたものは返さなきゃならないのは道理なんですけどっ! テルくんを連れていかれるのはちょっと困るんです……」
「なんだ? この女は、すっこんでな」
 右のハゲがわたしの肩をどんと、つきとばした、が、わたしはびくともしない。ああ、きゃっとか言ってよろめきたい人生だった。

 わたしは別にまだ護身術とかは独学で勉強したてなのですごい技とかは出せないのだけど。
「ごめんなさい、もうちょっとまってくださーい!」
 目をつぶって腕を払うと、ハゲさんが真横に吹っ飛んでいった。
「なんだこの女……特能持ちか!!」
 残りのハゲさんたちがあわてて武器を取り出す。

「やばっ、ミスター! わたしの銃返してくださいよ!」
「仕事が遅い」
 テルくんを売るとか言われて、モスキート・ヘルは苛立っているようだ。
 プシュ!
「ぐあっ!」
 左のハゲの右足の甲を撃ち抜いてから、わたしの銃を返してくれた。撃たずに返してほしい……。

「何度も言わせないでくれ、ボスから仕事のギャラが入る日がまだだからいくら脅されても返せない。そっちもウタマロの街で金貸しやってるんだからわかるだろう」
 モスキート・ヘルが伏し目がちにぼそぼそ言うが、最後に残った借金取りのハゲさんは手ぶらでは帰れないとやいのやいの騒ぐ。

 騒ぎを聞き付けてこのへんの界隈の住民たちががやがやと集まってくる。野次馬の喧騒の中、ふいにむにゃむにゃとした声が上がった。
「んー……お父様、おうちついたノ……?」
 すると、突然モスキート・ヘルが激昂する。
「貴様ら! うるさくするからテルちゃんがおっきしちゃっただろうが!!」

「なんだ、モスキート・ヘルの旦那だよ」
「ああ、旦那のいつものか……」
 そう言って野次馬たちは散っていき、後には膝を撃たれたハゲ、足の甲を撃たれたハゲ、瓦礫に突っ込んだハゲとわたしたち。っていうか、叫ぶと同時に膝撃ったのこの人。銃持ってるんじゃん……。

「お父様あのネ、テルねずみサンの夢見てタ」
「ねずみさんの夢見てたかそうかそうかテルちゃんは良い子だね……貴様まだいたのか。今日は終わりだ、さっさと帰れ」
 モスキート・ヘルにしっしっと追い払われるわたし。ええ……ひどくない?
「今日の日当ください」
「ハイエナめ!」

 くしゃくしゃの紙幣を渡される。
「明日は外出しない。あさって同じ時間に来い。遅刻はするなよ」
 案外背の低いモスキート・ヘルは下からねめつけるようにそういうと、穴蔵のような路地に入っていった。
 まあ、これで弟妹たちにご飯を食べさせられるから良いけれど。
「すぐ撃つの困るなあ……」

 わたしは蹴散らしちゃったハゲさんたちをずるずると引きずって、誰かに何とかしてもらえるように後始末をしなきゃならないのだった。
「こういうののお手当てもつけてほしいなあ」
 わたしのためいきが今日もウタマロの街に消えていく。
モスキート・ヘルのボディーガードの仕事はいつもこんなだ。

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