モスキート・ヘル(1ー1)
「ねーちゃん、この人死んでるよ」
「持ち物も特にないみたいだ」
「持ってかれちゃったんだね、あとはそれぞれつてのある奴らが持ってくだろうからその辺投げとこ」
モスキート・ヘルの護衛は明日だ。わたしは今日はいちばん上の双子の弟、カキツバタとショウブを連れて小銭を稼ぎに出ている。
ウタマロの街の中心から少し離れたところにわたしたちは住んでいる。父さんは遠くに働きに出ていてたまに仕送りが来る。母さんはいない。父さんが働けているぶんド底辺ではないが、弟妹が五人もいるのでちょいちょい稼がないとやや苦しい。
工場の廃水が流れ込んでる川が海と交わるところに魚がうじゃうじゃいて、それを捕って売るとちょっとは足しになる。背が折れてるやつとか頭が別れてるやつは動きが鈍くて捕りやすい。調理してしまえばわからないのだ。この街に双子や三つ子が多いのに関係してるかとかそういうのはどうでもいい。
「ねーちゃん、もう少し捕ったら引き揚げよう、白ガエルたちの飯の時間が近いよ」
カキツバタに言われて太陽を見上げる。確かに良い時間だ。
白ガエルというのはウタマロの地下に住む人たちのことだ。色が白かったり手が短かったり。さっきの死体なんかを持ってくのはそういう人たち。
魚を積み上げた猫車を押して下水から地下の入り口に向かうと顔見知りの白ガエル、クラクラが出てきた。
「まってたやで、おなかすいた、おなか吹田市」
白ガエルたちがそれぞれどういう役割分担で生活してるかはよくしらないのだが、クラクラはスカベンジャーだ。
こうやって魚を捕ってくると買い取ってくれる。調理してまた売るのだそうだ。代金は行き倒れた死体から奪った物だと言う。
死体の物をわたしが直接漁るよりは幾分か気分がましだ。
クラクラとの取引は子供の頃から続いている。
「一匹2銭やで」
「えっ値上がりしてる」
「どこも厳しいやで。炊いたお米を食べたかったら賢くならんといかんやで」
下水道の壁にクラクラが書く相場は年々シビアになる。
「じゃあプラスの手間賃ぶんおまけしてくれよ!」
振り替えるとカキツバタがいつの間にかさっきの死体を運んできていた。
「おっおっ、見せてくれめんす」
クラクラはぴょんぴょんと移動すると死体を物色する。
「金歯なしか、っていうか前歯全損してるし。おっ、指輪しているやで」
さっきはあまり気にしていなかったが、ずいぶんと損傷のひどい死体だ。前歯はない、目は潰れてる、指もぐにゃぐにゃだ。
「指輪してた? 指ボキボキで汚れすぎてて気がつかなかった」
ショウブが指輪を抜き取り布切れで拭くと、キラキラした石がついてるのがわかる。
「それくれたらおまけしてもいいやで」
「いや、それは渡すわけにはいかない」
いつの間にか現れた若い男が、ショウブの頭に銃をつきつけていた。
「ショウブ!」
しまった。下水は生き物の気配が多過ぎて反応が遅れた。
「ねーちゃん……」
ショウブが怯えた目で私を見た。カキツバタも動けないでいる。
「自分の身内なんか? それ。死にたくないから指輪は持ってけばいいやで。でもこっちは損ばっかりだからなんかくれめんす」
クラクラがにこりともせずに言うと、銃を突きつけている男は少し戸惑ったようだった。
「なんでもええやで。うどん玉ひとつでいいから得したいで」
「白ガエル……この状況がわかってるのか?」
「知らんわ、こっちは商売の話してるのにニキが割り込んで来るのが悪いんや。なんかおくれ、あくしろよ」
「これでいいだろ! 体も持っていくからな」
言い合いや殺し合いよりも指輪ごと死体を手に入れるほうを選んだらしい、男は真底忌々しそうにクラクラに輪ゴムで縛った紙幣を投げつけた。
「紙のお金! やったやで!」
ぴょんぴょんと喜ぶクラクラと動けない私たちを尻目に、死体に上着をかける男。
わたしは血と泥で汚れた死体の髪が、男のものと同じ色なのに気がついた。おそらく血縁だ。
「おまえたち、動くのは俺が立ち去ってからだ。指一本動くなよ」
こちらに銃を突きつけたまま、男は後ずさる。時折死体に何か語りかけていた。
「こんなになって……可哀想に……」
その声は優しくて。
「兄ちゃんが敵をとってやる、許さないぞ……あの拷問吏……拷問吏モスキート・ヘル!」
男の姿が下水道から消えるときに、わたしはとんでもない名前を聞いたような気がする。聞き間違いであることを祈りたい。
「もうええやろ、おなか吹田市」
何事もなかったかのようなクラクラの声に我に帰った。
たくさん儲かって機嫌のよいクラクラにおまけはしてもらったが今回は弟たちを危ない目に合わせてしまった。
「今度から死体には関わらないようにしよう」
そうは言ったけど、はしゃいで帰る弟たちはまたなんかやるだろうな、と思う。お姉ちゃんは大変だ。
しかし、モスキート・ヘルか。気が重いな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?