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1人の女性がエンジニアになりたいと思うようになるまで 〜めあの場合〜

みなさんこんにちは、まいあ めあ(@maiamea)です!

本題に入る前に簡単に自己紹介をします。前職は薬剤師をしていました。2019年からプログラミングの学習を始め、並行してWebエンジニアへの転職活動をしていますが苦戦しております。

この記事では、物事を消去法で決めてきた私がプログラミングに出会って能動的に変化する話を書いています。


きっかけ

ゐろはさん(@wiroha)の素敵な記事のおかげでいろんな方のエンジニアになるまでの貴重な話に出会えるようになりました。

私も「1人の女性がエンジニアになるまで 〜めあの場合〜」のタイトルで参加したいと思いました。しかし、私は簡単なアプリ(Slack bot)を作ったことはあっても、エンジニアとして働いたことがありません。なのでエンジニアとして働けるようになったら書こうと思いいったん執筆を見送りました。

けれど、最近参加したCode Polaris のイベントで「みんなが誰かのロールモデルになれればいい」という言葉を受けて、道半ばではありますが私なりに書いてみることにしました。

「1人の女性がエンジニアになるまで」だとタイトルと私の現状にズレが生じているため、「1人の女性がエンジニアになりたいと思うようになるまで」にしました。


誕生〜幼少期

沖縄で男女の双子の片割れとして生まれました。あと姉が1人います。

私は人見知りで引っ込み思案な性格で、姉弟の中で1番言いつけを守る従順でいい子ちゃんでした。


小学生

習い事はピアノと、エイサーをやっていました。

図工の授業で自分だけうまく作れなくて泣いてしまい、先生に手伝ってもらったことがありました。この頃から周りと自分を比べるようになり、創作系に苦手意識を持つようになりました。

小学5年生になると塾に通い始めます。塾の先生がとにかく怖かったです。理解が遅いとだんだん機嫌が悪くなるのが伝わり、分かったふりをすることもありました。時折なんでキレたのか分からないこともあり怒鳴ったり拳を黒板に叩きつけたり恐怖で勉強させるスタイルでした。教わる相手の顔色を伺うのが癖になりました。

小学6年生はトラウマの学年です。担任の口癖が「思いやりを持て」でした。一見すると良い教えを受けてるかに見えますが、腑に落ちないことで怒られたことが何度もありました。成人してから振り返ると「担任にとって都合のいい行動を取る=思いやり」だったんじゃないかと今では思います。

怒られるのは思いやりのない行動を取った自分に非がある。自分が悪いんだ。原因を全部自分に帰結させる癖がつくようになりました。


中学生〜高校生

中高一貫校に進学しました。部活は吹奏楽部でクラリネットを担当しました。部活漬けの毎日で体力的にキツかったけどすごく充実していました。

情報の授業でHTMLに少し触れましたが、当時の私には難しくて受験科目じゃないし自分には無縁の世界だと割り切りインターネットとの間に距離ができました。

進路は消去法で決めました。というのも大学をどこにしたらいいか全く決められませんでした。部活以外のことに関して何も考えてこなかったので、自分の趣味や興味が本当に分かりませんでした。

文系=陽キャのイメージだったので自分はその中でやっていけない、そして就活の時に職業の選択肢が多すぎて決められないと思い理系を選びました。

両親が医療従事者だったこともあり医療系学部の選択に高いハードルを感じませんでした。

休日も父の携帯は頻繁に鳴っていて医師になったら心休まらないなと思い、看護師だと注射打たないといけないから無理、薬剤師なら人前に出る機会少ないと思って薬学部への進学を決めました。

指定校推薦で東京の薬学部に合格しました。


大学1年生〜大学4年生

大学デビューは失敗しました。入学式の時点でmixiやTwitter繋がりで、すでにグループができていてSNSと無縁だった私は完全に出遅れました。気の合う友達ができる前期後半まで、ぼっち飯姿を見られたくなくて、ずっとお昼はトイレで食べていました。

私の大学生ライフは全然キラキラしていませんでした。


大学5年生

病院実習、薬局実習それぞれの期間、オンラインで日誌の提出がありました。当時アナログ人間だった私はタッチタイピングなんてできるわけもなく、両手人差し指ポチポチスタイルだったので日誌入力に毎日2時間費やしていました。

この時ほどタッチタイピングができるようになりたいと切実に思ったことはありませんでした。

恋愛や人間関係に悩んで答えを求めてネットサーフィンしてたら、たたたのたわごとブログが目に留まりました。恋愛相談、人生相談の記事が豊富にあって当時の自分にぶっ刺さる内容ばかりでした。

このブログのおかげで考え方が少し前向きになれました。プラスの感情を口に出して積極的にアプローチできるようになり嬉しいことに彼氏ができました。

彼は、いままで誰からも言われたことがない私のいいところをたくさん見つけてくれて、氷点下だった自己肯定感をゼロに引き上げてくれました。

就活は一刻も早く終わらせたい気持ちが強くて、キツイと言われてる所に決めました。大学6年生になると卒業研究、卒試、国試が待ち構えていて、5年生のうちに就活が終わらないとさらに就活も加わりやばいと思ったからです。

この決め方が、のちのちしっぺ返しをくらうことになるとは知る由もありませんでした。



大学6年生〜国試浪人

卒業試験に落ちて再試となり病みました。同級生が国試に向けてラストスパートかけてる中、私は卒業試験に手こずりそもそも国試が受けられなくなるかもしれない不安で勉強に手がつかなくなりました。

そんな時、彼に勧められて始めたタイピングゲーム(ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド EX)に寝食を忘れるくらいドハマリしました。

再試の勉強そっちのけで1日中ゾンビを打っていました。このゲームをやっている間だけはスコアが上がっていくたびに達成感を得られたからです。

2ヶ月経つ頃にはある程度手元を見なくても打てるようになりました。

タイピングゲームのおかげで気持ちが回復し無事再試を通過し大学は卒業できました。しかしその年の薬剤師国家試験は落ちました。

予備校と家の往復の日々が1年間続きましたが、タイピングゲームは私の息抜きとなり趣味になりました。


新卒1年目

地元沖縄の病院に就職しました。実家からは通える距離じゃなかったので、勤務先の近くで一人暮らしをしました。

1ヶ月で躓きました。7時に家を出て帰宅は22時超える日が続き体力が持たず、業務内容を復習する時間を確保できず体も心もパンクしました。

新卒で入った病院を3ヶ月で退職しました。実家に戻り、私のひどい落ち込んだ状態を見かねた両親が心療内科に連れていきました。双極性障害の診断を受けました。「あ、人生詰んだわ」と思いました。

布団から雲の動きを目で追って過ごし、己の無能さを自責する毎日でした。

半年経った頃、少しずつ気持ちが回復して外出できるようになりました。それと同時に、もう二度と半年前の状態へ逆戻りは絶対避けたい気持ちが強くなりました。


新卒2年目

社会復帰も兼ねて薬局にパートで働き始めました。驚いたことに中高の同級生が働いていました。なんやかんやありましたが、その子のおかげで1年間続けられました。

1年間働いてみて自分の豆腐メンタルと能力では薬剤師は務まらないことを痛感しました。毎日「今日も何事も起きませんように」とビクビクしながら働いていました。この先、何十年もツライと思いながら仕事するのはさすがに無理だと思ったので医療から離れて他の業種に挑戦してみたい気持ちが芽生えました。

彼氏に転職のことを相談すると、参考までに彼の仕事や働き方を話してくれました。彼はWebエンジニアでした。話を聞くまではエンジニアに色々種類があることさえ知りませんでした。(Web、iOS、インフラetc)

東京と沖縄の遠距離でしたが、彼がリモートワークできるおかげで私がシフト制でなかなか休みが合わなくても沖縄に来て仕事する柔軟な対応をしてもらえました。

なにより楽しそうに働いてる姿は羨ましく憧れました。

プログラミングがどういったものなのか雰囲気を掴もうと思い、テクノロジア魔法学校(プログラミング学習教材)を購入しました。高い出費でしたが広告を目にしてから1週間経っても頭から離れなかったので興味を優先させました。

ゲームキャラに言われるがままアルファベットをタイプしたら、なんか分からんけどミッキーの形ができてたり謎解きもあって、ゲーム感覚に進められるのがすごく楽しくて自分に合っていました。プログラミングの導入としてテクノロジア魔法学校を選んで良かったと思いました。

細かいことも知りたいと思い、彼に教えてもらったドットインストールの写経を始めたりもしました。

プログラミングをしてる時みたいに「楽しい、ワクワクする」気持ちを持って仕事がしたくてWebエンジニアとして働きたいと思いました。


上京

彼と同棲することが決まり、東京での仕事を考えた際、薬剤師をしながら空き時間を使ってプログラミングを勉強するのは私にはできないと思いました。プログラミングよりも薬剤師業務に関わる勉強しなきゃダメだという気持ちに駆られ、プログラミングすると罪悪感をもつ流れにしたくありませんでした。

彼と話し合い、彼のサポートを受けながらプログラミングの勉強に専念することを決めました。(この時は頑張れば1年間のうちでWebエンジニアに就職できると思っていました・・・)

2019年3月、東京生活がスタートしました。

彼が見繕ってくれたHTML、CSSの書籍を写経したり、並行して『HTML5&CSS3全事典』でタグの意味や使い方を調べながらコードの雰囲気に慣れていきました。

Webエンジニア界隈の雰囲気や実際に使われてるIT用語に慣れる目的で、connpassTECH PLAYを使って興味のある単語で検索してヒットした勉強会に行きまくりました。

女性エンジニアの方と繋がりたかったのでTECH PLAY女子部の存在を知った時はすごく嬉しかったです。

「アウトプットは大事なこと」と言っていた、ある勉強会に触発されTwitterやnoteを始めたりもしました。

転職活動は勇気がなくてほとんどしませんでした。気になる会社の募集要項を見るとどれも実務経験や開発経験必須で(当たり前ですが・・・)、ProgateでRubyの文法を触ってる段階の自分が受けても落とされるのが目に見えたからです。

10月にようやくカジュアル面談を2社受けるのが精一杯でした。その中から1社受けましたが書類選考で落ちました。

年明けに受けた会社は一次面接で落ちました。いままで受け身の勉強ばかりで人に説明する練習をこれっぽっちもしてこなかったので、自分のこれまでしてきたことや考えを簡潔に話せずグダグダで目も当てられませんでした。

いったん転職活動はお休みして、アウトプットとアプリ開発に力を入れて話す練習と提示できるものを増やそうと決めました。


アウトプットに力を入れる

2020年はアウトプットを頑張ったおかげで自己肯定感がゼロから1に上がり挑戦意欲が湧いたことで人生初をたくさん経験できました。LTを2回(オフライン、オンライン)、技術書典9への寄稿、note26記事投稿、絵を描き始めました。

N予備校プログラミングコースの教材を参考に自分でも簡単なSlack Bot(好きな漫画のキャラクターのセリフを返す)を作りました。

「こういうのが欲しい!、あのファイルをどうのこうのして〜」みたいな道筋が見え、手がスラスラ動いてすごく楽しかったです。完成した時の快感、高揚感がたまりませんでした。

しかし体調管理アプリに挑戦した時は、完成までの道筋が見えなかったりエラーで詰まったりして苦しく体温記録機能作っただけで力尽き放置。時間をおいて再挑戦したいと思ってます。

提示できるものができたので転職活動を再開しました。一次面接で落ちました。自己紹介は前回に比べてましな仕上がりになりましたが、キャリア面の質問にふわふわした感じの返答しかできませんでした。

将来設計が甘々なのは明らかでした。そこでようやくエンジニアになってどういう働き方やキャリアを歩みたいのか考えるようになりました。


現在

現時点では保育やママさん分野のサービスに興味があります。自分も近い将来子供を持ちたいので携わることで勉強にもなると思うからです。

先日オンラインで開催された Developers Summit 2021 でファミリーテックLTを聴いて、子どもや自分達の生活を豊かにできるものが作れるくらいの技術スキルを身に付けたいと思いました。

Word PressでWebサイト制作をしてみたり、Nature Remo Cloud API を使って電気代を投稿するSlack Bot作りに挑戦中です。


まとめ

私は周りのサポートのおかげでお金の心配をせずプログラミングを楽しめています。はたから見れば世間知らずだと思います。働きもせず貯金を切り崩しつつも他人のお金に頼って生活して自分は好きなことをして過ごして。

彼や両親には大大大迷惑をかけてしまってるけど、プログラミングに出会えたおかげで自分で何かを作る楽しさを体験でき、仕事にしたいと思えました。

参考にならない部分が大半ですが何かひとつでも参考になれば幸いです。

以上、エンジニアとして働くのを夢見てもがく不器用な人間の話でした。

最後まで目を通していただきありがとうございました😊



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