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自分の人生と1ヶ月半、向き合ってみました【ライフログスクールでの学び】

今年1月から受講したライフログスクール。その全4回の講座を、2週間ほど前に終えた。遅ればせながらではあるが、スクール受講の経緯や、スクールで得た自分の気づきや学びをまとめてみようと思う。



「このままでいいんだっけ?」「何かやらなくては」から始まった

昨年、いろいろなタイミングが重なり、「自分ってこのままでいいんだっけ?」と悩んでいた時期があった。人生なかなかうまくいかない、コンプレックスだらけの自分に何か指針が欲しい、そんな感覚で頭がぐるぐるしていたのだ。
以前から主催のオア明奈さんのインスタをフォローしたり、ONDOという日々の振り返りをテーマとするオンラインサロンに入っていたりしたので、ライフログスクールの存在自体は知っていた。ただそれまでは、関心はあったものの、自分の人生とガッツリ向き合ってみよう、というほどの意欲はなかったのが正直なところ。安い買い物という値段でもなかったこともあり、申し込むという行動にまでは至らなかった。でも、この時期は「何かやらなくては」という強い思いがあり、募集の投稿を見て申し込みを即決した。

というのも、私は何か変わりたい、成長したい、みたいな欲が元々強く、特にモヤモヤを感じている時に「えいっ!」と直感で自己投資をする癖がある(ちなみにこれはライフログに取り組んで気づいたことだ)。
それゆえ、今まで無駄な自己投資をしてしまったことも多々あるのだが、今回に関しては学びの深い、納得感のある自己投資になった。あの時の自分の直感を褒めてあげたい。


自分にとことん向き合って、今まで知らなかった自分が見えてきた

そんな経緯から始まったライフログスクール。具体的にどんなことをするかというと、「人生の洗い出し」「人生の整理整頓」「人生の言語化」「人生の意思表明とプランニング」の順で、自分の過去の出来事やそこから学んだこと、自分の好きや得意、在り方などを洗い出し、最終的には自分がどういう在り方をしていくかを言語化していく。
ざっくり言えば、自分史にめちゃくちゃ細かく取り組み、それと自己分析を紐付けていく感じのイメージ(※私の感覚的なイメージです。詳しく知りたい方は他のスクール生のnoteもぜひ読んでみてください)。

就活、転職等々、今までも節目節目で自分のことをそれなりに分析してきたつもりだった。けれど、実際にライフログに取り組んでみると、今までの自己分析の時とは比べものにならないくらい、様々なことに気づかされた。
「人生の洗い出し」で、幼少期のか細い記憶から、社会人になってからの恥ずかしくて蓋をしたいような記憶まで洗いざらいあげたからか、就活などと違い、自分の人生と向き合うことが目的だからなのか。「自分の今の考え方ってこの出来事がきっかけで生まれたのか」とか、「あれ、こう思ってたけど、実は自分の思い込みだったのかも?」みたいなことがポロポロ出てきたのだ。そして、自分が今まで認識していなかった人生の傾向や思考の癖が見えてきたように思う。

ただ、私の場合、最初から上手く洗い出しができたわけではなかった。実は受講し始めたものの、講座当初はなかなか調子が上がらなかったのだ。そのため、偉そうに色々と書いてはいるものの、かなり終盤までふわふわゆるーい洗い出しだったと思う。思うように進められない自分に腹が立ったことも何回もあったし、一緒にやっていた同期のみんなの洗い出しや言語化っぷりがすごかったので、同じ熱量で取り組めていないことに焦りもした。
でも、「今の自分にできる範囲でいい、模索している自分も許して最大限を尽くそう」と明奈さんに言われて、焦りが消えた。そのおかげで、最終回の前はだいぶ頑張れた。本当にありがたかったと感じている。


「人生の意思表明」で自分から出た、意外な言葉

ライフログの一通りのプロセスを取り組み終えて、最後の講座で行ったのは「人生の意思表明」。ここでは、一人ひとりのスクール生が3分で、自分の価値観や大切にしたいことなどを発表した。
自分も仕事のこと、プライベートのこと、表明をしたのだが…。ここで、最終的に私がみんなに表明したことは「これからみんなと仲良くしたいです」だった。

正直、自分が人前でこんな言葉を口にするなんて、思ってもみなかった(noteに書けていることも含めてびっくりだ)。
でも、ライフログで自分の人生と向き合って一番よくわかったのは、自分が他人に自己開示することをいかに拒んできたかだったのだ。

ライフログを通じて改めて向き合った、過去の経験や様々なトラウマ。そうしたものが自分の自信喪失につながっている自覚は今までもなんとなくあった。ただ、それを言い訳に、自分から主体的に人と関わることを避けてしまったことはまた別問題。そうした自分の”逃げ”が今の自分を、「このままでいいんだっけ?」という気持ちを生み出している
最終回を目前にそんなことに気づかされたのだった。

自分を少しでも変えたい。
そう思い、まずはなかなか入りきれていなかったライフログスクール生の仲間の輪の中に少しでも入っていきたいと、先の言葉を表明した。
30を過ぎた人間が口にするには恥ずかしい表明だったけれど、私なりの第一歩を踏み出せた気がするし、このタイミングででも気づけて良かったと思う。

人生の意思表明は、どのスクール生の表明も素晴らしくて、発表のうち半分くらいの時間、もらい泣きをしながら聞いていた。元々涙もろいのだけれど、他人の言葉にこんなに泣かされたのは久しぶりだった。
それくらい、みんな真剣に自分の人生に向き合っていたのだと思う。そんな場にいられたことも嬉しかった。


自分らしく、自分の歩みたい人生を。ライフログを終えて

1ヶ月半という短い期間だったが、ライフログスクールという場で自分の人生と向き合えたことは、私にとって大きな財産になった。
自分のことばかり考えて、新たな自分を知る機会なんて、大人になったらそうそうない。だからこそ、そうした場に出会え、焦ったり悩んだりしながらも修了できたことを誇りに思う。

集中的に取り組む期間は終わったものの、ライフログはこれで完成ではない。
定期的に向き合って、アップデートしていくものであり、そのベースとして、日々振り返りを行っていくことも大切になる。

私自身もライフログを通じて思考の言語化の重要性を実感したので、日々の振り返りを習慣化しつつ、ライフログをアップデートしていきたいと思っている。
そして、意思表明で宣言したこと、自分のなりたい自分になるためのアクションプランを、少しずつでも実践していくつもりだ。

今回の学びを糧に、自分らしく、自分の歩みたい人生を、これから自らの手で作り上げていきたい。

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