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覚悟はがらんどう



相談を受けるなかで、
「私には覚悟がない」
「覚悟できるような強い人間じゃない」
という言葉を耳にします。



覚悟を妨げるものってなんでしょうか


私自身は「我」かな、と思っています。



矛盾しているようにみえますか

覚悟ってどんなイメージでしょうか




たぶん人生のどこかで
覚悟をしたことがあるのだと思うけど、
覚悟した瞬間ってあまり覚えていません


「自分が、自分が」
と肩ひじを張るでも、
自分を必死に奮い立たせるでもなく、

それはとても静かで、
“我”が鎮まっているときに
起きることのように感じています




こんなことを書くと
何もしなくていいと思う人がいます

それもまた、
少し違うかなと思います







「答えは自分の中にある」

精神世界でよく聞く言葉です


それはある意味では正解だと思う、

だけど、

その自分の中にある答えそのものが
“虚ろ(うつろ)”
でもよいのかもと思っています




その虚ろは
虚無感とは異なり、
淋しさや苦しみを伴いません


その虚ろは
“何”でもなく、
虚ろだからこその自由と優しさを持っています




そこに出会うと
“答えを求め続けなくていいんだな” と思います


一方で、
それは、“探す”という行為をしたからこそ
出会えるともいえます






そんなことを考えていてたら、

こんな動画が上がってきました

The ego`s only job really is to keep you focused in physical reality in order to have physical experiences. That`s it.

          (中略)

Because it`s not designed to do all that it`s only designed to help you see clearly in whatever it is you have chosen to see.

岩瀬アキラさんのYoutubeより:『How to quiet your ego (Bashar)』



ダイビングマスクの例えがめっちゃわかりやすい

(岩瀬さんが綺麗に訳してくれているので、英語が苦手な方もぜひ)



私たち(自我)の想像し得ることって
ほんのほんの一部でしかなく、
奇跡って自我を放したところにあると
思っていたけれど、

そもそも、
自我の目的はそこにない

ということなんだね





「自分がこうするんだ」
「こうじゃなきゃいけないんだ」
「相手もこう在らなければいけない」
  “絶対” や “コントロール”で
  自分も周りも縛っているとき、
  人知をこえた出来事ってなかなか起きないけど


「起きたことを経験します」

  という覚悟に、面白い出来事は、
  吸い寄せられてくるのかもしれないね。




ただ、

命と日常は大事にいこうね




読んでくれてありがとう😊



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