覚悟はがらんどう
相談を受けるなかで、
「私には覚悟がない」
「覚悟できるような強い人間じゃない」
という言葉を耳にします。
覚悟を妨げるものってなんでしょうか
私自身は「我」かな、と思っています。
矛盾しているようにみえますか
覚悟ってどんなイメージでしょうか
たぶん人生のどこかで
覚悟をしたことがあるのだと思うけど、
覚悟した瞬間ってあまり覚えていません
「自分が、自分が」
と肩ひじを張るでも、
自分を必死に奮い立たせるでもなく、
それはとても静かで、
“我”が鎮まっているときに
起きることのように感じています
こんなことを書くと
何もしなくていいと思う人がいます
それもまた、
少し違うかなと思います
…
「答えは自分の中にある」
精神世界でよく聞く言葉です
それはある意味では正解だと思う、
だけど、
その自分の中にある答えそのものが
“虚ろ(うつろ)”
でもよいのかもと思っています
その虚ろは
虚無感とは異なり、
淋しさや苦しみを伴いません
その虚ろは
“何”でもなく、
虚ろだからこその自由と優しさを持っています
そこに出会うと
“答えを求め続けなくていいんだな” と思います
一方で、
それは、“探す”という行為をしたからこそ
出会えるともいえます
…
そんなことを考えていてたら、
こんな動画が上がってきました
ダイビングマスクの例えがめっちゃわかりやすい
(岩瀬さんが綺麗に訳してくれているので、英語が苦手な方もぜひ)
私たち(自我)の想像し得ることって
ほんのほんの一部でしかなく、
奇跡って自我を放したところにあると
思っていたけれど、
そもそも、
自我の目的はそこにない
ということなんだね
「自分がこうするんだ」
「こうじゃなきゃいけないんだ」
「相手もこう在らなければいけない」
“絶対” や “コントロール”で
自分も周りも縛っているとき、
人知をこえた出来事ってなかなか起きないけど
「起きたことを経験します」
という覚悟に、面白い出来事は、
吸い寄せられてくるのかもしれないね。
ただ、
命と日常は大事にいこうね
読んでくれてありがとう😊
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