不登校8

不登校になってすぐに行ったのが選択肢を増やすことだった。

選択肢を増やしたい


学校に行けない、でもこのまま自宅で過ごし続けることがいいとは思わない。娘が楽しめる場所を探さなくてはと考えた。
もちろん復学することも含めての選択であるが、これまでの学校の対応を考えると復帰するまでどのくらいの時間がかかるかわからない。また、復学したとしても、本来ならばお友だちと遊びたい、学びたい、先生と交流したい娘は、何かを我慢しなくてはならず、我慢の先にはまた蕁麻疹や過呼吸などの症状が現れるのではないかという思いもあった。

つまり、学校を変えるということも選択肢として増やそうと考えたわけである。

学校を変えるという選択

例えば、フリースクールや適応障害教室もあるが、それはあくまでも今の学校に行き続けながらの処置であり、今の学校に通いながらの対策の1つに過ぎないと考えた。
そうなると、違う学区への越境もしくは私立編入が選択肢を広げる有効な手段ということになる。

越境となると教育委員会への説明が必要となり、さらには同じ区内であると、今の学校との違いが明確にはわからないというのが難点としてあった。
まったく異なる学校体制とし比較するには私立、となる。
これは、私が幼稚園から高校まで私立のエスカレーターであったことや、私の親族の多くは小学校から私立であったことから出てきた案である。
夫は公立小中学校であるが、自分のいた公立と娘の小学校は明らかに異なる(規模や場所)ことから、公立でも娘にあった学校はあると主張した。もちろん、そうだろう。しかし、公立の場合は学区という問題もあり手探りで進めるには膨大な労力を費やすことになる(注:私が)。

私立編入という選択

ということで、その校風を見ながら数日ほどで2つの私立をピックアップした。
基準としてのは、先生と生徒との関わり方。小学校なので保育園とは異なり規律があるのはわかっている。が、その規律の中で軍隊的だったとしても先生と生徒(大人と子ども)が信頼できる関係性を築けているかどうか。
もう一つが、教室内でトラブルが起きた場合、放置されないこと。行く場所がない、放っておかれる、これは子どもも一緒に登校する親も精神的に抉られる。
「誰も私のことを見てくれない」と不登校の当初に娘が泣きながら言っていた言葉を、私は重く受け止めている。
もし友だちとトラブルになっても、先生とその時点できちんと対話でき信頼関係ができていれば、不登校を回避できたのではないか?と思うのである。
小学校という初めての社会で、子どもが安心するには子ども同士の繋がりよりも、安心を与えてくれる大人がいるかどうか、ではないだろうか。

子ども自身が見学する

もちろん、すぐに編入について動けたわけではない。まずは娘の心身の回復を一番にした。
心身がおおよそ回復したのは不登校の入口に立ってからおよそ4週間が経ってからである。
学校に行きたい。でも今の学校には行きたくない、という言葉を聞き、それまで準備してきたことを実行した。
それは、娘が自分の目で学校を見学するということ。

大人は通っている学校が全てではないことを知っているが、子どもは他の学校を比較したことがない。それは言葉で伝えても伝わりきらない。

2つの小学校を見学した娘は、「ここならばお友だちがたくさんできそう。この学校に行きたい」というところができた。

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