不登校9

今後についての光が射してきたところで、娘の状態を記録しておく。
これまで記してきたことと重複するが、まとめておきたい。

1、不登校の入口(いわゆる行き渋り)直前


GW〜GW明け1週目
・自宅を出るが、ママに会いたくなったと行って歩き出して3分ほどで帰宅する。
・腹痛、目の痒みを訴えて、一日2,3回ほど保健室に行く(保健室からの連絡が増える)
・金曜日に前日泊まった祖父母が一緒に登校する。学校が近づくと顔がこわばっていたらしい。そして暗い顔で校舎に入っていったとのこと。

2、不登校の入口(いわゆる行き渋り)

5月3週目(GW明け2週目)


・朝一人で登校できなくなる。
・一緒に登校しても、門の前で号泣。
・学校で頭痛、腹痛、目の痒みを訴える。
・校舎を見ると蕁麻疹。
・携帯から「ママに会いたい」と連絡。
・給食前に迎えに来てほしいと懇願。
・自宅でも何もしたくない。
・ぼーっとYou Tube、Netflixを見る。
・夕飯は抱っこして口に入れる。

5月4週目はじまり〜半ば


・朝一人で登校できなくなる。
・泣くことはなくなるが、パニックになる。
・校舎に入っても教室に入れない。体が硬直する。
・頭痛、腹痛、目の痒み、体の痒み。
・学校外で突然の過呼吸。
・哲学的?な発言増える

3、不登校

5月4週目後半


・腹痛、目の痒み、体の痒み。
・自宅でひたすらYou Tube見る。
・朝仕事前に「ママから離れたくない」と号泣
・携帯に度々電話
・夜、号泣しながら辛かったことを話し始める(再び泣くことができるようになる)。
・哲学的?な発言増える。
・夕方に疲れきって動けなくなる。
・夕飯は抱っこして食べさせる。
・学校嫌い発言多数

5月5週目(6月1週目)


・目の痒み、体の痒み。
・自宅でひたすらYou Tube見る。
・朝仕事前に「ママと離れたくない」と号泣。
・携帯に度々電話。
・夜の号泣頻度が毎日から隔日に。
・変わらず哲学的?な発言。
・週末遊びに行った友だちの家に泊まりたいと言い、お泊り。
・学校行きたくない発言多数

6月2週目


・目の痒み、体の痒み。
・You Tubeだけでなく、ストーリーのある作品を見始める。
・朝、離れたくないとは言わなくなる。
・ダンスに行きたいと言い、お稽古中はママいなくていいと言う。
・英語に行きたいと言い、付き添いありで行く。
・夜泣いたのは1回だけ。
・「家が飽きた、暇」発言。学校は行きたいけど行きたくない発言
・すぐ泣く。怒る。

6月3週目


・目の痒み(時々)
・You Tubeだけでなくストーリー作品見る
・リカちゃん人形などで遊び始める
・お勉強教室に行きたがり(ただしこちらがセーブかける)、さんすうとこくごのプリントに興味を示し始める
・自己肯定感が少し上がったような発言。
・今の学校は行きたくない発言
・すぐ泣く、怒るが気持ちの切り替えが少しできるようになる。

ターニングポイント


ここからは各週でのターニングポイントを記してみる。

A 暗い顔をしたGW明け一週目


金曜日に祖父母が送ったとき、暗い顔をしていた。これは単に離れたくないだけかと思ったが、後から聞くと意を決して校舎に入っていったらしい。ストレスがMAXだったのだろう。

B 蕁麻疹


蕁麻疹が出て、給食食べたくない発言。このときにこのままではまずい!という危機意識が親に芽生えた

C 過呼吸


学校を無期限に休ませるきっかけになった。身体に異常を発しているわけで、この判断は間違ってないと思っているが、同時に無理矢理でもB蕁麻疹が出たタイミングで休ませればよかったと後悔

D 夜の号泣


その前の一週間は涙も出なくなっていた。涙が出るようになると同時に学校で起きた嫌だったことをわーっと話し始める。
また、哲学的発言も増えたことで、要因と今後の対策に光が差し込む。

E 元不登校児との会話


6月1週目、私がいない間に友人家族に来てもらった。不登校経験者であることや、娘と同じような思考で不登校になったこともあり、娘と対等に話してくれた。親もそのお悩み相談できた。
その夜再び号泣したが、その翌日から顔が明るくなってくる。

F ストーリーのあるものを見始める


You Tubeではなくストーリーがあるものを好むようになった。これも心身回復のバロメーターとなった。

G 暇発言


家が飽きた、外に出たい、と言い出したのもバロメーターに。お稽古ごとも無理ない範囲で復活して、自宅お籠り生活のストレスから少し開放

H 編入試験


ある私立小学校の編入試験に行った。親子で離れるため、離れる間際は「ママがいい」と泣き顔だったのだが、2時間ほど経って帰ってきたら自信に満ち溢れた顔になっていた。
先生にちゃんと発言できたこと、お勉強ができたこと、お友だちができたこと、を生き生きと話してくれた。そして、翌日から母子分離不安はほぼなくなった。

後にスクールカウンセラーにこの話をしたところ、恐らく風船に針をポチッと刺したことで、パンっと外側に世界が広がったのではないかとのこと。自分の狭い世界が一気に広がり、他の学校を知り、それを自分が選択できる、とわかったのではないかと。

確かにHのターニングポイント後、それまでかなり固執していた学校併設の学童よりも、こちらが代替え案として提示した民間学童に興味を持ち始めた。

振り返ると…


まとめてみて思ったのは、あとから振り返るとターニングポイントだったというだけで、その場その場で一喜一憂し模索していた。
色んなサイトやブログ、本や論文で情報を得ながら、知識と経験を合わせて行く作業で、常に頭はフル稼働。
不登校は十人十色だし、小学1年生の5月という小学校なりたての事例はあるにはあるけど中学年以上や中学生に比べると少ない。
さらにこれまで何も困ることなく、むしろ天真爛漫、積極的で人見知りもしないとい周囲から見られていた(親もそう思ってたし、今も一部思ってる)子だったから尚更困惑した。

子どもの些細な言動を気をつけろ、というのは言うは易し行うは難し。

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