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聴こえないことは、不幸なこと?~身体の不自由さは特性の一つ~

皆様こんにちは、彰子(しょうし)です。

今日の東京は朝から晴れていて、昼間は上着が邪魔になるほどの気温になりました。

今日は私の身体の特性と、その向き合い方についてお話したいと思います。

私は幼少期から右耳が聞こえません。
詳細をお話すると、
9歳ごろから聴力検査で異常を指摘されるようになり、
その後定期的に耳鼻科を受診していましたが、
11歳ごろから滲出性中耳炎を繰り返すようになりました。
滲出性中耳炎とは、耳の鼓膜の内側に水が溜まる中耳炎で、
痛みはありませんが、聞こえづらくなります。
正直なところ、聞こえづらさも徐々に進行するため、
私としてはあまり気づかず、気になりませんでした。
しかし、母親の抜き打ちテスト(右耳の近くで指をこすって、気づくかどうか)で赤点を突きつけられると、
止む無く耳鼻科に連行されていました。
局所麻酔をして鼓膜を切開し、中の水を抜くだけの治療なのですが、
麻酔で舌まで麻痺するため、治療後のごはんを美味しく食べられないことが、
当時の私にとっては一番の苦痛でした。

この中耳炎を繰り返していたので、
中学生になると、鼓膜にチューブが通され、
鼓膜の内側に溜まった浸出液は、チューブというトンネルを通って、
自動的に鼓膜外に排除できるようになりました。

しかし、そのトンネル工事の注意事項をきちんと聞いていなかったのか、
はたまた医師が話し忘れていたのか、
(いや、今となってはちょっと考えればわかるのですが)
チューブが通った状態のまま、プールに入ってしまいました。

当然、そこから鼓膜内に感染、炎症を起こし、
鼓膜内の膿が止めどなく排出される状況になってしまいました。
そのため、膿の吸引と消毒のため、ほぼ毎日のように電車に乗って耳鼻科に通いました。

その頃からだと思いますが、
右側にいる人の声が聞き取りにくい、と感じるようになりました。

耳の状態としては、その後手術を受て膿の排出は止まりましたが、
聴力は回復せず、数年後に今度は鼓膜内に腫瘍ができたり、
最近はめまいも出るようになり、
現在までで合計5回の手術を繰り返してきました。

現在は、右耳の聴力はほとんどありません。

ただ、私の日常生活としては、さほど不自由さを感じていないのが正直なところです。

もちろん、右側にいる人の声は聞こえにくいので、
人と話すときには立ち位置に気を付けたり、
声が小さかったり、聞こえにくい周波数の人とは、自然と疎遠になったり(笑)

他の身体の部位の不自由さと違って、見た目ではわからないですし、
日常会話には不自由しないため、
「右耳が聞こえない」というと、驚かれることがほとんどです。

私としては、耳が聞こえないことはキャラの一部、つまり
「自分の特性の一つ」だと思っています。

この特性は中学生の頃からの付き合いなので、割と扱い慣れています。
『聞こえない』ということを相手に伝えることが、
自分が相手との間に作った壁(これは私の心の問題)を壊す、自分のなかでの一歩になったり。

無意識のうちにコミュニケーションの取り方を工夫していたようで、
第一印象としては、私はあまり深いな印象を与えないようです。
それは、今の病院での仕事でも役立っています。

私としては、
耳が聞こえないことが不幸だと思ったことはありません。

ただ、一つ辛いことがあります。
それは、身近な家族から、「あなたは耳が聞こえなくて可哀そう」と思われていること。
「自分が医師からきちんと説明を聞いておらず、プールに入らせてしまったから、耳が聞こえなくなってしまった。自分がこの子を不幸にしてしまった」
と、未だに自責の念があることです。

私は、家族からそのように言われるたびに、
違う、あなたのせいではない、と繰り返し伝えますが、
理解してもらえません。

私も、身近な家族、自分を最も認めてほしい家族からそのように言われると、
「自分は不幸な人間なのか」と悲しくなります。

私は、私の特性の一つとして、この右耳と付き合ってきました。
言い換えれば、性格と同じで、自身の特性の一つであり、

良いも悪いもない。
特性は、環境や使い方によって、長所にも短所にもなります。

正直なところ、相手の反応を私が聞き取れないことで、
相手を不快にさせてしまうのではないか、と思うこともあります。
だからこそ、誰に対しても

自分から笑顔でコミュニケーションを取るようにしたり、
相手の、外からは見えない不自由さや葛藤にも目を向けられるようになりました。
これは、耳が聞こえにくい人生を歩んできた私にしか
できないことだと思います。

これって、【ギフト】だと思いませんか?

近年は、声が心地よいと言われるようになりました。
これも、もしかすると右耳が聞こえないことが関係しているのではないかと思います。
右耳が聞こえないため、自分の発した声は、
自分の右側頭部内で共鳴し、不思議な振動となって自分の内側に届きます。

心地よい周波数として自分の内側に届くよう、声の発し方を無意識に調整しているのかもしれません。

これも、右耳が聞こえない私にしかできない、特別なこと。
私の声の波動で、誰かが元気になったり、癒されたりするのであれば、
それは物凄く壮大で貴重な宇宙からのギフトだと思います。

この特性を活かすか活かさないか。
自分の特性が長所となる環境で、私は存分に発揮していきたいと思います。

もし皆様のなかで、
身近な方の身体に不自由な部分があるとしたら。
どうか、そこを「可哀想、不幸ね」と捉えず、
「どう活かそうか?」ということを一緒に考えてみてほしい。

性格も、身体も、良い悪いではなく、あくまでも特性の一つ。
長所となる環境で活かしていきたい
ですね。

このあとも穏やかな時間をお過ごしください。


彰子(しょうし)

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