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平安のプリンセス 中宮彰子さんとは②

皆様こんにちは、彰子(しょうし)です。
今日の東京は朝から雨が降ったり止んだりを繰り返しています。
日照時間も短くなり、洗濯物がスパッと乾かない時期になってきましたね。
晴れの日の太陽を大事にしたいですね。

前回の記事では、彰子さんの歩まれた人生についてお伝えしました。
https://note.com/mai_o223/n/n4841a15678fb
今回は、なぜ私が彰子さんに惹かれるのか。
その点についてお話していきたいと思います。

私が彰子さんに魅了される3つのポイント

①プリンセスでありながら思慮深く愛に溢れた女性である点
②国母として政治手腕を発揮された点
③華麗な文芸界の形成に寄与された点

彰子さんに関する文献を読むと、
現代の女性からみても憧れの対象となるような、
とても魅力的な女性であったことが伺えます。

①プリンセスでありながら思慮深く、礼儀を重んじる女性
<エピソード1:自分の息子でなくても、第一皇子を立てる>

先にも書きました通り、
藤原道長という、時の最高権力者を父に持ち、
その思惑に翻弄されたようにも見える彰子さん。

しかし、先の皇后、定子さんが亡くなったあと、
定子さんの皇子であり、夫の一条天皇の第一皇子でもある敦康親王を自らの屋敷に引き取り、
彰子さんの母である倫子さんとともに養育されます。
そして、道長の思惑により、この第一皇子である敦康親王ではなく
彰子さんの皇子(一条天皇にとっては第二皇子)が皇太子とされたときには、
父道長に対して怒りを露わにします。
自らの息子が天皇となったほうが彰子さんの身分も安定するであろうに、
きちんと第一皇子をたてる。
亡くなった定子さん(彰子さんにとっては従妹)にも敬意を表している。
道長の娘であっても、親の七光りに依存することなく、自らのお立場をわきまえていらっしゃる。
そして、最高権力者の父にも意見をすることができる。

大変芯が強く、そして芯の通った女性だと感じました。

<エピソード2:母への愛情と良好な信頼関係>
上記のとおり、彰子さんが敦康親王を引き取った際、彰子さんは若干13歳であったため、
実母の倫子さんが親王の養育をお手伝いされました。
また、母倫子さんは、44歳で末娘の嬉子さんを出産されます。
そのとき彰子さんは19歳。すでに中宮として入内されていました。
中宮というお立場のある身分でありながら、実家の母の出産祝いに高貴な贈り物をされます。

何かとぎくしゃくしがちな母娘関係ですが(現代だけか?)、
母娘で助け合う構図は、現代の私たちから見ても、心を打たれるものがあります。

<エピソード3:一条天皇との愛、信頼関係>
夫である一条天皇と彰子さんは、道長の思惑による政略結婚でしたが、
お二人の関係は夫婦愛に溢れているように感じます。

まず、彰子さんが第一皇子(後の後一条天皇)をご出産され、里帰りされているとき、
一条天皇は待ちきれず、彰子さんの元に会いにいきます。

そして一条天皇が病に倒れたとき。
彰子さんは寄り添い、看病されます。
一条天皇が最期の句を詠まれたとき、書き留めたのは彰子さんだそうです。

政略結婚であっても、
確実に愛を育んでこられたお二人。
彰子さんのお人柄がうかがえる逸話だと感じます。

いかがでしょうか。
やはり彰子さんの魅力は一回では語りつくすことはできず・・
その他の魅力ポイントについては、また次回改めてお伝えしようと思います。

急に寒くなってきました。
皆様、温かくしてお過ごしください。

彰子(しょうし)

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