海士の旅最終章: Entôの背に乗って土地の魂に出会う
海を望む絶景のEntôを“している人たち“を訪ねる旅、最終章。
窓の外に広がる海と空とつながるようにデザインされたAnnexのお部屋。
一度入ると、景色と一体になった気がして、もう外に出なくていいわという気になるほどにすばらしい。極上にしあわせだ、と思う。
港を出る漁船、入ってくるフェリー。折り重なる島の稜線と、その間に広がる穏やかな海。
それを眺めているだけで、1日が終わる。
それで終わってもいい。
身体のなかに海と島のリズムが入ってくるような感覚。通っていく船がつくる白い波濤は一瞬のエンタメだ。目に映る波のリズムとこちらの呼吸があってくる。皆がいう、癒されるというのはこういうことか。
心は喜んでいた。
でも、魂はなにかが足りないと言っていた。
滞在2日目の夕刻。そこに住まう知人たちと島のなかを歩いて土地を訪ね、その土地の人たちの営みに出会ったとき、小さな小さな一瞬に、震えた。足りなかったのは、これだ。魂が呼んでいたのはこれだった。
またここに来たい、と思った。そのなんでもなくて、唯一無二の午後の話です。
土地の人の背に乗って
この島を訪ねるきっかけの青山さんが、海士の町に出ましょうと誘ってくれた。ななちゃん、ゆーすけ、私の同じ高校4人衆に、6歳のうちの息子を加えた5人でぶらりとEntôから港に向かって歩く。
その土地の、営みがなにより大好物。
この島に上がる前から、それは互いによくわかっている。
きっと連れて行きたいところがあるのだろうから、なにも聞かずについていく。
昔はこの辺まで海でね…〇〇年前にここがああなって…前はここがメインの通りで…小泉八雲がね…なんていう話を聞きながら、歩く。
変化する町の輪郭、それを土台にした暮らしを聴きながら、想像しながら、町と呼吸を合わせていく。道に面したお家の庭、少し変わった雰囲気の鬼瓦、そういう町をつくるひとつひとつにお近づきになってもいいですか?と心の中で挨拶するように。
途中で後ろからクラクション。抗議の、ではなく、あいさつの。窓が開いて“土地勢”の青山さんやななちゃんに声がかかる。
「あとで〇〇いくよ」
「あ、休み?ゆっくり休んでね〜」
通りすがりに、ゆるやかに情報が交わされる。
車に手を振って別れた先に見える商店。
「ちょっと寄ってく?」
もちろん、ぜひに。店番のおばあちゃんに、ごあいさつ。
「これ、なに?」
横からぴょこっと顔を出して見たことない和菓子系おやつに反応する息子。
「これは〇〇よ。あら、あんたイケメンさんやね。」
ぽっと出の外来種少年の問いを自然に受けとってくれるおばあちゃん。青山さんがさりげなく我ら外来種の紹介を加えてくれる。なだらかにつながれた話題につづくうちの少年とおばあちゃんのやりとりの横で、暑いからアイス買おうと、地元の2人。
寄ってから、買うものが決まる。必要性ではなく、関係性から生まれる買い物。
このおばあちゃんの商店を皮切りに、島の道を縫うように、いくつもの場所に連れて行ってもらった。
山の麓の学習センター。太い梁が支える空間が、島の中となか、そとと中の学びを対流させる場所。
町に住む人ならば誰でも24時間くることができるスペース、みんながみたい島の未来がかたちになった、未来から来た文集みたいな決意表明などがこの梁組みの下の明るい空間にある。
この町を支えてきたものと、新たにこの町をつくっていくなにかとの、心地よい融合。受け継がれてきたものが、受け取られ、次への一部を担っている。
「学校終わると、この坂を高校生たちが降りてくるのが見えるんですよ。」と事務室の窓の向こうを指しながら、小さな秘密を教えてくれるように笑う事務局の方を見て、私たちのホテルに遊びにきてくれたあの自然体でまっすぐな青年たちは、こういう眼差しのなかで育まれてきたんだなぁとあたたかな気持ちになる。
森の間の道を抜けると海。港に停泊する船のすぐ脇で、さっきEntôでお見かけしたスタッフさんが潜っている。
「今朝サングラス落としちゃって。探してるんです。」
魚がちょろちょろと動いて見える海面にフィンをつけてドボンと入っていくお父さん。それを「おおーーー!」と拍手しながら見ている男の子。
年が近いうちの息子も、気がつけば岸壁にへばりついて並んで何やら一緒に見ている。
見つからないサングラス。応援する少年たち。海との距離感。なんて日常なんだ。
港のすぐ脇に建つ、製塩所。
昨日の夕食のあの美味しいお塩は、ここからきていたのか。
受け継がれてきた技。その継承の危機。続けていること、難しくなりそうなこと、だからこそやりたいこと。
製塩所入り口の鳥居の由来。込められた気合い。ゆっくり歩きながら語られるものを、逃さないように聞く。
美味しい塩を生み出す源の湧水と、その前に広がるあまりにも眩しい緑の水田。
ゆるやかに作られた段状の田んぼの先には、穏やかな湾。今朝サングラスが落ちた、あの場所だ。
吹き渡る風を浴びていたら、息子が今朝拾ったトンビの羽をこの場所で返すという。西之島で拾って、気に入って持ち歩いていたので、本当にいいのかと聞くと、「ここがいいって言っている気がする」と。
トンビの羽を田んぼの土に刺して、目を上げるとずいぶん陽が傾いていた。
再び森の道を、Entôに向かって戻る。道中、さらにいろんな話を聞いた。
現状、見通し、これからのこと。やっていること、やりたいこと、もう少し遠くの希望。なるほど。へぇ。そうなんですね。そういうことか。
この土地のこれからの話に、こちらの感情も知らずに動かされていく。
Entôに戻ると、土地の仲間の皆さんが目の前の浜でBBQの用意をしてくれていた。浜→炭→網→肉(とサザエ!)からの夕暮れ。
DNAの古代スイッチが段階的に押されていく。
別れを惜しむようにまだ少し陽が残る海に入っていく我が家の男たちを横目に、原始の祝祭(つまりBBQ)が始まる。
ずっとこの土地に生きている方、縁あってこの土地にきた人、そして初めてこの地を踏んだ私たち。それぞれの目と感性を通した海士での日々とそこから見えるものが、網を囲んで語られる。
お互いの顔がぼんやりと青い影にしか見えないほど暗くなった頃、話題も一段深くなった。
EntôがEntôになる前の姿、EntôがEntôでなければならなかった理由、それが形になるずっと手前のはじまりの物語が語られた。
「俺が夜番の日に必ず彼がきてさ、夜通し喋って、朝に帰る。それをずっとやったんだよ」
という生の言葉。まるでこちらもそこにいたかのように、脳内にそのときの映像が浮かぶ。
お聞きしたのは本当に一部だけれど、あのAnnexのお部屋の、風景と一緒に呼吸するような世界観がこの地に生まれるまでにどれだけの熱が重ねられたのか、空気を介して受け取るものが確かにあった。
骨太な土地の物語の熱を受け取った私たちも、弁当箱くらいの巨大ウミウシを見つけて終始興奮していた息子も、部屋に帰ると倒れ込むように眠った。
旅立ちの朝。
早朝にもかかわらず昨日大切な物語を教えてくれた方々がフェリー乗り場まで見送りに来てくれた。
港を離れていく船。今までテレビでしか見たことがなかった島を離れる別れの場面。
なぜだかわからないけれどこみ上げてくるものがある。寂しさ?切なさ?
大切なものを後に残していくような感覚。ほんの数日、訪れただけなのに。
本当にお互いの姿が豆粒ほどになるまで、港でずっと手を振り続けてくれていた人たちを見ながら、またここに帰ってこようと家族で話をした。次来る時は、1週間。
海を渡る船の上で再びトビウオの群れを息子と見ながらいっときの感傷ではなくて、本当にまた戻ってくるだろうなという不思議な感覚があった。
旅のはじまりは、島と海の持つリズムに大きくどーんと受け止めてもらった。
心が解けて、呼吸が穏やかになって、スッと生まれた余白のなかで出会った島の、町の営み。長い長い時間のなかで、それを作ってきた人たちの歩みを少しだけ、隣で辿らせてもらうような瞬間。
それが、こちらの魂にも、ぐっと刻まれた。
あぁ、旅が終わっちゃうね。
明日からも頑張ろう。
という旅の終わりではなくて、むしろまだ出会ったばかりだ、という感覚。
海士町への旅は、終わった気がしていない。
今度はまた、何かおいしいものを持って、訪ねていきます。
※この旅で出会った皆さん、土地の一角にいさせてもらって、用意してもらって、ありがとうございました。長い長い旅の話を読んでいただいたみなさんにも、ありがとうございます。
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