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心の備忘録1:言葉と共に生きる世界、そして私

優しく生きれたらなって思います
自分にも他人にも身内にも世界にも

甘えや馴れ合いとはまた違う「優しさ」で
この地球が満ちてゆけばいいのにとおもう

子供の瞳は澄んでいるのに
どうしてそのまま大人になれないの?
全ての世代が冷静に物事を判断できる世の中であってほしい

このご時世で難しいのかもしれないけど
不幸や嫌なことばかりに目を向けては攻撃したり
満たされていない鬱憤の捌け口を誰かに向けたり

怒りや鬱憤の矛先が顔見知りでもない赤の他人になることが多いってだけでも震えるのに
その攻撃し合う様子を当事者でない人々も
可視化できてしまうところが1番怖い

声を大にして心のうちを叫んでみたいけれど
私の正しさは私の中でしか正しくないのかもしれないと思うと口をつぐむしかない
結局私は誰も救えない無力な傍観者にしかなれない
身を潜めることでしか我が身を守れない

自分から取り入れようとしていなくても
テレビやネットで溢れる無慈悲な刃たち
他人に向けられているものを見るだけでも
こんなに心が痛いのに当事者はどんな気持ちなの?

SNSはその人のお家という考え方がある
SNSで繰り広げられる誹謗中傷って
顔も名前も知らない人たちが
玄関先でゴミ箱をひっくり返していくような感覚

家主は心地よく暮らしたいだけなのに
何かが鼻につくとみんな自由に言いたい放題
「玄関が…」「台所が…」「トイレが…」
あなたがその家に住むわけでもないのに
…住むわけでもないから荒らすの?
それが良しとされる世の中なの?
他人をおとしめることでしか自分を保てない人が
決して少なくないことを物語っている

24時間一緒にいれるわけじゃないから
切り取られた部分しか見れないのに
「あの人はああいう人だから…」
「昔こうだったらしいよ」と批評する

一面的な視点でしか見れていないことに
人は無自覚だ
世界の誰よりも何よりも自分が正しくて
自分の枠から外れる人は
「普通じゃない」と決めつける、
それはきっと私も知らないうちに
してしまっているのだろうけど

他人の玄関先をひっくり返す時間を
自分のお家をより豊かにする時間にしたら
どれだけ心が満たされていくことか、とおもう
…私の考えは甘いのかな、
社会を生き抜くためには
攻撃するしかないのかなあ、、、

「言葉は武器になってはいけない
貶すのではなく、導くものであってほしいし
救われるものであってほしい」
私ひとりで思っているだけだと
灯火のような弱い光だけど
それでも絶やさずに灯し続けたいとおもう

私は、やさしく在りたい
押し付けはしないけれど諦めたくないなあ

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