食洗器稼働キャンペーン
ずーっと以前の私の夢に、食洗器のある生活というのがあった。
始めて自分が使ったのは、ニュージーランドのホームステイ先で、今から20年も前のこと。
当時の日本の家庭にはまだそれほど普及していなくて、わーいいなぁ、と心から思い、食洗器がある生活に憧れた。
そしてその後いつも私の夢リストには書かれていた。
そんな夢は今はありがたく叶っている。
なのに、、、、
ほとんど使われていない。
やっぱり使った方が時間的にいいはずと思って、使う習慣が続くこともあるのだが、気づくとまた手洗いに戻ってしまう。
食洗器を稼働させるというのは、なかなかがんばらないと出来ない。
あんなに夢だったのに。
あんなに憧れていたのに。なんということだ。
まずウチは二人生活なので、食器の量だけ見ると、決して多くはない。
でも食器の量が使わない原因ともいえない。
料理というのは最中にポロポロ洗い物が出る。これが一番やっかいに思う。
本当はこういったモノたちを食洗器にお任せしたいのだが、たいていは大物で入れられないか、入れにくいか、なんせ扱いにくい。
で、シンクに置きっぱにしてしまうと、色々滞るから途中途中に洗う。
すると小物たちもついでに一緒に洗ってしまう。
それでもとりあえず食洗器に任せられるものは、入れていっておけば良いのでもあるが、そこで生じるもどかしさは、次々モノが出てきた順に入れていくと、配置的に問題が生じて、あとで入れ直したり、こっちはダメとかなるのが、ひどく面倒くさく感じてしまう。
そう何が一番のネックかと言えば、食洗機内のパズル問題を常に頭に置いて動くことなのだ。
洗い物にかける時間、そこに身体を動かす時間は食洗機を使った方が短いのだということはわかってはいる。
私は、洗い物は流すのに時間がかかると思っている。
予洗いをして入れるにしても流さない分、時間としてはやはり早い。
ただ、いつもなぜ時間が結局かかる手洗いに屈してしまうかと言えば、
「これは洗って、こっちは食洗機で、それで食洗機の中で、これはこっちで、あー、こっちに入れたらこっちが入らないから、またやり直して、、、、」
なんてあーだこーだすることに頭から降参してしまって、ただただ機械的に出た物を洗っていくという、脳の怠慢をおこしてしまっているのである。
私は内省がヒドク高いため、基本的に何かと頭で考えていることが多い。
何かしら考えたいと思ってしまう。これを考えているということが正しいのかどうかはわからない。
どうであっても、そういう性質の私にとって、食洗機にその考えるエネルギーをとられることは嫌なのか、嫌というよりすでに一日使って疲れているから、もう面倒くさくなってしまうというのが一番の理由だろう。
そう、洗い物は機械的に終わらせたい。だからこそ機械の食洗機にお願いしたいのに、そこに別の自分のエネルギーの投入を求められるのだ。
だいぶ大げさだろうか。
みんなはどうしているのだろう。
食洗機使っている人達いっぱいいるよね。
3.4か月くらい前に、自分の中で食洗機活用キャンペーンと称して無理にでも稼働させることを試みた時期があったが、結局1週間続いたかわからない。
そのくらい大して使えなかった。。
でもまたこの食洗機稼働キャンペーンを試みたい。
やっぱり洗い物に使われる時間がもったいなくて仕方なく感じる。
とにかく機械的にすることが大切。そうでないとまた面倒くさくなって使わなくなるという元の木阿弥。
いずれにしても全部食洗機ということは、出来ないのだから、とにかく入れられるものだけでも入れて、自分の中の5割方に気持ちを置いて使用してみればいいだろうか。
全部入れなくて良い、うまく入らなかったら入ったところで諦めて良い。
洗い物の半分でも食洗機に任せられたら良しとする。
そうせっかく使うならと欲を出して、より上手に配置しようとかそういう最上志向的なことは、食洗機に関しては働かせないことにする。
相変わらず全く画期的でもなんでもない単純作戦だが、
ステイホーム生活も長くなり、炊事ごとに少し疲れてきていることもあるのでなんとかしたいのだ。
自分の時間を有効に使うには1日5分でも10分でも無駄をなくしていくことが大切なはずだ。
最近またずっとこのことを思いながらも稼働できなかった食洗機。
今夜から稼働キャンペーン開始します。
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