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ダンスとドイツ語と最上志向

ここ2年くらいずーっとやってみたかったダンスを習い始めて、自分の中に彷彿したこと、それは昔ドイツでドイツ語を学んだ時のことだった。

どういうことかというと、
ずっとやりたかったことで、それができる喜びを味わっているはずなのに、
あれ、なんか苦しい。それもとっても苦しい。
どうして楽しめないの?やりたいことをやっているはずなのに。
私は楽しむということがなんて下手なんだろう。
そんな風に思ってしまうのだ。

こういうことは他のことでもある。
「楽しむ」ということが私の課題なのではなんて思ったりしていた。
そして、それがどういうことか、最近ようやく自分で掴めてきた。
いつでも向上していたい、より良い所を目指したい、最上志向という資質を私は持っている。

ダンスとドイツ語のことで言えば、
まず周りの人たちのレベルが自分より圧倒的に高く感じて、怖気づく。
でもやりたいことだから、上手くなりたくて上手くなりたくて仕方がない。
でもそうは簡単に自分の上達は感じられない。だからツライ。

ドイツ語はドイツで学んだから周りは外国人で、みんなよく話す。
文法とか間違っているのかもしれないが、とにかく話すから圧倒される。
何かについて自分の意見を話すということに慣れてない典型的日本人(?)の私は、言葉も話す内容も全くついていけなかった。
胃が痛くなりながら、それでも懸命に勉強していた。

ダンスは初めはもちろん入門クラスでだって大変ではあったけど、半年以上経ってそろそろ上のクラスへと進んでみると、入門クラスとその次の上のクラスとのレベル差が大きく、もう子供の頃から踊っているような人たちの中に入ることになった。
なので、とんでもなくキツイ思いを今でもしている。
かと言って入門クラスに戻ってもそれはそれで面白くない。
程よいクラスがないから、そのキツイクラスで頑張るしかない。
だって上手くなりたいんだもの。

どちらも半べそで頑張った。ダンスは目下進行中。
とにかくなんでも出来るようになりたいと思う最上志向。
出来ない状態は大変悔しい。
何でもと言っても、もちろん自分が興味があることだけだが。

たいていは理想を高く置くから、現状とのギャップに苦しむことになる。
だからその途中のもっと小さく刻んだ目標を設定して、ひとつずつ達成することによってモチベーションを保つことが大切とはよく言う。
それが私は上手に今まで出来なくて、自分にもっともっとまだまだとムチを打ちまくってきたと思う。

今はやっとそれを理解するようになって、自分を上手に扱おうと思っているが、ともすれば、「まだまだ!」という声がすぐに聞こえてくる。
「大丈夫。がんばってるよ、私」そうやってもう一人の私を登場させて労わり励ますように気を付けている。

それでもドイツ語とダンスの環境に関して言えば、あの中でどうすれば良いのだろうかとやはり思う。
圧倒的に周りができる状態で悔しい思いを毎度するというのは、結構キツイ。でもやりたいことだから逃げ出したくはないのだ。

とにかく今は、他人は誰も気にしていない。
みんな自分の事で精一杯だ。
だから私は私のことで精一杯でいいのだ。
そう思うようにしている。
出来ない自分を格好悪いと思ってしまう。
こんな自分じゃイヤだと思ってしまう。
でも、その自分は他人の目から見ている自分なのだ。

だから内なる自分の目で見てあげる。
よく頑張ってるよ、と。

ムチ打つ自分が出てくるほど自分に厳しい最上志向っていう資質は本当にやっかいで、どうしたものかと思う。
でも上を向いて、ああなりたいこうなりたいと思う時の私のエネルギーはなかなか強いものがあって、間違いなく自分を動かす原動力となっているのだということもわかってきた。

そして今も思っている。
より良い自分になりたいと。
そうやってもがいている。
そんな私に以前、「そのままのMaiさんでいいんです。大丈夫です。」とコーチングプレイスの師匠の塙さんが言ってくれた。
苦しくてもがいていた時に大きな気づきを得ることができ、本当に救われた言葉だった。

前に進もうとしているんだ、私。
だからその私をもっと承認して認めてあげようと思えた。
今はまだ出来ない自分をそのままを認めてあげる。
そしてより良くなりたい自分を応援してあげる。

私が前に進めているのは最上志向の資質によるところが間違いなく大きい。
大切に仲良く付き合っていこう。



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