私の趣味 私のご飯

先日、ある友人が言った。
自分には趣味がないと。

えっ??
だって音楽大好きでDJをいつもやってるって。
(あんまり、いやほとんどこのDJをやってるっていう事がどういう事か、何度その話を聞いても音楽に疎い私はきちんと理解はしていないのだが。)
それに洋服も好きで詳しくて、海外サイトで上手に仕入れたりしてるみたいだし、アートも好きでしょ??

と、一気に私の中にこれらが駆け巡り
いっぱいあるでしょ!!と突っ込んだ。


そして今日エッセイ本を読んでいたら
「自分は趣味がないんじゃなくて、人に言えるような趣味がないだけだったんだ」って言葉に出会った。

そうか、そうか、そういうことか。

確かによく出てくる。
趣味がないって話。

私だってそう。
せいぜい読書と映画鑑賞と言って濁す。
そう言ったって本だって全然読んでない時あるし、映画なんてとんと最近観ていない。

数年前にダンスを習い始めた事で、何となく人に趣味と言えるものが出来た気がして安堵した感がある。
安堵って可笑しな話だ。

とはいえ、趣味がダンスですって言うこと自体、
実は自分に全然しっくりこない。
これって趣味なのかな。
何がピンと来ないのか、説明は難しい。

先の趣味がないと言った友人は
DJはご飯のようなものだと言った。
それくらい当たり前で必要不可欠で、その人の一部なのだろう。
まさに ”NO MUSIC NO LIFE!!”
素敵だ。
そういうものがあるってことがめちゃくちゃ憧れる。

そんな話をしていたら、私にとってはモヤモヤする事がご飯を食べるような事だと思った。

モヤモヤ。モヤモヤかー。
趣味がモヤモヤって表現すると切なく寂しい感があるけれど、
ネガティヴなことだけではない。
楽しいモヤモヤの中に漂っていることもたくさんある。

私はストレングスファインダーという強みチェックで内省という資質をTOPに持つわけだが、
この自分の内省について人に話すときに私はすでに言っていた。

私そのものだし、この内省というものが出来なくなったら、
私は栄養失調で干からびてしまうと。

ただ、これを趣味とするならば全くもって人に言えるようなものじゃないな。

そして趣味ならば楽しいものでは?
趣味でも苦しいってあるだろうか。
いや、好きな趣味だって、突き詰めれば、そこで壁にぶつかったり、何かを突破する時があるかもしれない。
うん、きっとある。

そう思うと、私の内省モヤモヤも立派な趣味と言ってあげても良い気もする。

やっぱり人には言えないけれど。
趣味に格上げしてみると、ますますこのモヤモヤ内省が愛おしくなる。

時々ドツボにハマる危険、そんなスリルも楽しみに入れつつ、自らの趣味に大手を振って没頭するのでいいではないか。

そう自分に声をかけた。

私のこの趣味、どう深まるのか。
ご飯を食べるようなことを深めるも何もないか。

訳が分からなくなるが、
深めたいからグルグルモヤモヤして、ここにこうして書いているのは
趣味だから。
それでいいか。
うん、それでいいことにしよう。

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