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幻想と現実と「七つの海」

「たとえ火の中…」の次に、「七つの海」という短編を描きました。描いたのは大学の夏休みだったと記憶しています。

この作品は世に出るまでに、大変難航しました。最初にネームを描いたのは寒い時期だったのですが、担当氏に「ジャンプに載せるには話が地味だ」と言われ、一旦却下になりました。
当時のジャンプは「友情・努力・勝利」というジャンプ三大テーマのようなものがあり、それを重要視するムードがあったような覚えがあります。

バトルもなく、派手なシーンも無い、胸躍るような冒険にも「出かけない」この作品、自分でも「確かに地味だなぁ」と納得し、別のネームを描こうとしましたが、これがなかなかまとまりませんでした。

当時、同じ大学の格闘技をしている友人にアドバイスをもらい、バトル物のネームを描こうとした記憶もあります。自分なりに、ジャンプのカラーに合わせようと必死だったのでしょう。
(今なら、自分の実力でそれは無理だとはっきりわかりますが、当時は自分の限界をわかっていなかったのです)

なかなかネームができないまま時間だけが過ぎ、結局「他に作品もできないし、『七つの海』でいこうか」と担当氏がOKを出してくださいました。

「七つの海」は、そういう敗者復活戦のような形で皆様の前にお出しすることを許されたのです。

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とはいえ、自分なりに少しでも展開が派手になるように工夫はしました。
「じいちゃん」という、なんでもありのキャラが居る事をいいことに、なるべく彼とユージの交流はスリルのあるものになるように変えたつもりです。(初校の交流はもっと地味でした)

また、この作品は「認知症」という少々重い題材を扱っているので、作品の雰囲気が重さに沈まないように気をつけました。かといってデリケートな問題を茶化すような事をしないようにも気をつけました。

紆余曲折はありましたが、この作品は自分では気に入っています。保健室の先生の存在は計算せず自然に出てきました。「この流れならこの人物は絶対必要だ」と確信があったのです。こういう確信が、いつでも持てたら、本当にいいんですけれど。

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この作品はこのようにスタートが遅かったことと、「ラストをハッピーエンドに変えてください」との指示があったことで、とにかく締め切りに追われた事が強く記憶に残っています。
初校ではじいちゃんとの別れだけで話が終わっていました。その後ユージが学校で小さな成功体験をするラストは、ネームにはなかったのです。
ですが、ネームを直してからでは作画が間に合わないので、ネームを直しながら作画をするという、私には難易度の高い作業を行うことになりました。

「本当にこのお話はうまく着地できるんだろうか」という不安を抱えながら、「たぶんこのコマだけは描いても間違いないだろう」という部分から作画を行いました。常に「どうしたらまとまるだろう」と悩み、日々作品作りだけに時間を費やしました。

その夏は、朝9時に眠り、朝10時に起きて仕事をするという生活を一ヵ月続けたことを覚えています。
本当に全力を尽くしました。週刊連載をしている先生達に比べたら、こんなのはお話にもならないレベルの苦労でしょうが…

当時自分の「売り」が分からなかった私は、「せめて全力を尽くすしか私にはできることがない」と考えていました。私のようなものが、奇跡的に100点の作品が描けたとしても、それは実力のある先生の作品に比べたら、もう桁からしてちがうのです。

ですが、「精一杯頑張りました」というのは、クリエイターにとって何の免罪符にもならないということくらいは、当時にもわかっていました。命を懸けて描こうが、手を抜いて描こうが、読む人にとっては「面白いかどうか」だけが全てなのですから…
むしろ作者の「精一杯やってまっせ」感というのが、作品を読む上でノイズにもなり得る場合さえあるのも、悩ましい所です。

当時(今もですが)作画を安定させることすら難しかった私は、
・連続して読んでも違和感のない作画を心がける
・「自分の頑張った絵を見てくれ」ではなく「これで伝わりますように」という祈りのような気持ちで描く

ということに気をつけるように努めました。ほとんど神頼みみたいなものも入ってますが、そうすることで、何か伝わるものが少しでも増えるかも、という気持ちだったのです。

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本当に全力を尽くした作品でしたが、読む方にとっては「全力を出してこの程度?」と思う方も当然いらっしゃると思います。
それに対してはもう、「そうです」としか言うことができません。
間違いなくこれがその時の私の実力の全てです。

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「七つの海」は、ジャンプに掲載された読み切りの中では、アンケート順位はさほど良くありませんでした。
しかし、もうこれ以上この作品で頑張れることはなかったので、「まぁそうだよな」と納得出来ました。
そして、その順位について、編集部が私を咎めるようなこともありませんでした。それ以降も、変わりなく読み切りを描くことを薦めてくれましたし、初の単行本のタイトルを「七つの海」にすることも、すんなりと受け入れられました。

ジャンプという雑誌のカラーに合っていなくても作品を載せて頂けたこと、アンケートの順位よりも、「私らしい作品」という事で単行本のタイトルにこの作品名を使わせていただけたことに、「私はとても恵まれていたんだ」と今、強く感じています。

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最近この「七つの海」を読み返して思ったことは、「これ、『ふろん』と同じことを描いてるな」ということでした。

異世界からの誘いに、ふろんの主人公はなんとなくそっちに行っちゃいましたが、主人公が「行かなかった」世界線の話なんだなこれは、と気づきました。

そして、異世界で活躍する物語が流行っているこのご時世に、ユージの行動はますますウケないだろうなぁ、とも思いました。でも、私はそんなユージが好きなのですから、仕方ない。


「七つの海」のラストシーンは、締め切りギリギリに思いつくことができました。「ハッピーエンド」という指定でしたが、あまりにもささやかな成功体験でしかないのは、私が「全力で頑張ったところで、うまくいくのは出来過ぎている。現実はそんなに甘くない」ということを、思い知っていたからです。

そしてこの作品も、ままならない現実の中でもがくユージのように、それなりの結果にしかなりませんでした。

…が、アンケートという枠組みを超えて、時間を超えて、覚えていてくださる方が居て、その声を伝えてくださる方が居て、30年を過ぎてもなお、評価してくださる方が居て、この作品が、私を何度も何度も、救ってくれる不思議を体験しました。


この作品を描いていた当時に、何かの雑誌のコラムで読んだ忘れられない一文があります。
それは、
最高のパワーを持つ幻想とは、現実なのだ
という言葉です。

この作品を思い出すたびに、私はこの文章をセットで思い出します。
最高にドキドキするファンタジーは現実にもあります。私が保証します。

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