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浦島太郎と私

浦島太郎の話って、おかしいと思いませんか?

浦島さんかわいそうすぎますよ。だって亀を助けるというイイ事しかしてないのに、なんであんなかわいそうな目にあわなきゃなんないんですか!!?


いきなり憤ってすみません。私はいい大人になってからも昔話にムキになりすぎて、友人にドン引きされた過去が何回かあります。

でも、基本公式は尊重する主義なので、ケチはつけないのがマイルールです。人間がモモからうまれるわけないだろ、などと野暮な事は言わないのが信条です。公式で「そう」ならばそれは「絶対」なのです。
これが「昔話深読みクラブ」では基本ルールです(誰かこのクラブ、入ってくれませんか?私一人しかいなくて寂しいんですよ)

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そんなこと言っといて、冒頭で思いっきり浦島太郎の公式に文句言ってしまったのは、今現在、私が浦島太郎に大変シンパシーを抱いているからです。

長い事ブランクの海に潜っていた私は、30年ぶりに地上に出てみて、漫画界、出版業界が大きく様変わりしていることに、大変戸惑っています。

私の記憶にある漫画界、出版業界はもう遠い昔。
私の持っている常識はもう通用しません。いきなり300年後の世界に来た浦島さんにはかないませんが、彼の味わったであろう心細さの一端が、やっと理解できた気がするのです。

コンテンツの消費が早い?

まず、これですね。なんだかそんな気がします。インターネットの普及による影響が大きいんじゃないかと思うんですが、何かが流行ったかと思うと、「もうそれはオワコン、今はこれがブーム!」という声が聞こえる事が多いです。

娯楽が昔に比べて過多になっているせいでしょうか?
見た目に派手で、斬新さがあって、多少過激さのあるコンテンツが彗星のように現れ、そして消えていきます。
娯楽の寿命が短くなったのでしょうか?…そうは思いたくないのですが。

あと、「絵柄」ですね。これにも流行り廃りがあるようで、私のような昔の作家には肩身が狭いです。

お絵描き動画などを通して勉強しているものの、私が若くないという事は事実なので、ある程度のにじみ出る古さは諦め、あまり見苦しくない絵柄のアップデートを目指している…つもりです
(新作の漫画「MY LITTLE PLANET」を描くにあたり、この部分が一番苦しかったです)

流行に敏感で、筆が早く、このスピード感についていけるクリエイターが、輝いている時代なのかな…、というのが私の印象です。(もちろん、例外もたくさんありますが!)

何一つ持ち合わせていない私は今、「ひのきのぼう」だけで旅をしているような心細さを感じています。


物語の円熟期?

たくさんのコンテンツが量産されているせいでしょうか、物語というものが分析されつくされ、類型化されて、ある種の「テンプレート」というものが存在しているように感じます。
例えば、キャラクターです。昔は「ツンデレ」とか「クーデレ」のような言葉は存在してなかった…と思います(類する言葉があったのかもしれませんが、浅学にて知りません)

キャラが「属性」で語られ、今はどのキャラも何かしらの属性で言い表せるような…、もう「これは斬新!」というキャラを生み出すのって難しいのかな…と感じる今日この頃です。


今はこのテンプレートさえも円熟し、「テンプレを裏切る」なんて展開も出てきたりして…、新しいものを生み出すのが難しくなっている今、既存のものを作り変え、組み替えて別の何かを生み出す流れが来てるのかな、などと感じています。

しかし、こういう流れに抵抗感があるのも事実です。あまりにも「属性」しかない物語やキャラクターは、個人的には少し空虚に感じてしまいます。

中国の神話に「渾沌(こんとん)」という神(怪物という説もある)がいまして、彼には生まれつき目、鼻、耳、口の七つの穴が無かったのですが、彼にもてなされた帝が親切心で、彼に七つの穴をあけてやったところ、死んでしまったという話があります。

渾沌(こんとん)とは「混沌(カオス)」と同義だとも言われています。
別にコントンは穴が無くても普通に生きていけたのです。なのに「不便だろう」と、その混沌とした状態を整えてやったばかりに死んでしまった。

過度の類型化には、この話に似た危険性もあるように思います。(昔、国語のテストか何かでそういう論説を読んだ記憶があります)


しかし、類型化・記号化というのは決して悪いものではなく、そのモノの印象を相手にパッと伝えるには、こんな便利なものはありませんし、私も何かのあらすじを伝える際には、こういう属性を使って話す時もあります。
何事も使いどころが大事ですよね。

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そんなこんなで、あまり今の時代をうまく渡っていけているとは言えない私です。

もう本当に落ち込むこともあり、何度も足元が崩れたり、一歩も進めない時もありますが、浦島さんのように玉手箱を開けるほどには絶望してはいません。(開けなくてももう、結構歳を取ってますしね…)

なぜなら、私が世の中についていけていないのは、今に始まった事じゃないからです。
私の漫画に生き上手な人が出てこないのは、私がそうだったことが一度も無いからです。

私は世の中についていけませんが、世の中が間違っているとは思いません。世の中はあるべくしてある、それが「公式」なので、私は受け入れる所存です。

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