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週刊少年ジャンプに初投稿した思い出 ~「ふろん」~

漫画家になりたい、と漠然と思ったのは高校2年の時だったと思います。

高校1年の頃から、オリジナルの作品をボチボチ描いて地元のコミケに参加したりしていました。
もっと絵の技術を学びたいと思い、美術を学べる大学を目指しました。受験勉強中は漫画どころではなく、「大学に行ったら漫画を描くんだ!」という一心で勉強を頑張りました。

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幸い試験に合格し、私は「誕生日までに漫画を投稿するぞ」と目標を立てました。三か月しかないのに、筆の遅い私が無謀な挑戦をしたものです。

しかし、一か月くらい何も思いつかず、さっそく計画は頓挫しそうになりました。
自分で決めた締切なんだから、次の月に回してもいいのでは…、とも思ったのですが、なんだかここでそれをしたら、ズルズルと先延ばしにしてしまうような気もして、ここはなんとしてでも初志貫徹しようと決めました。

ちょうど手元に同人誌用に描いていた原稿がありました。同人誌の発行が頓挫したので、中途半端な出来のままでしたが。
これを描き直して、投稿作にしようと私は決めました。
(※この時の同人誌版の作品は、公式Twitterで読めます)
https://twitter.com/iwaizumi_planet

同人誌とジャンプの投稿用の原稿サイズが違ったので、一から描き直すことになりましたが、不出来な部分を修正しながら作業できるので、かえって好都合と思いました。

これがデビュー作の「ふろん」となり、ホップ☆ステップ賞で佳作を頂きました。

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そもそもなぜ、週刊少年ジャンプに投稿しようと思ったのかというと、「その時一番発行部数の多い雑誌だったから」です。
こう書くと、とんでもない自信家・野心家のように聞こえるかもしれませんが、逆です。いきなり大きなところに投稿することで、自分がどのくらいの位置にいるのかを一番手っ取り早く知れる、と思ったのです。

なにしろ日本で一番売れている雑誌なんだから、選考に通らなくても当たり前なわけです。大きなチャレンジをしているように見せかけて、本当は上手くいかない言い訳をすでに用意していたのです。実に気の弱い私らしい行動です。

(ペンネームで送らなかったのも、その考えが根底にあったからです。どうせ落ちるんだから、修行を重ねて、いつかうまいことデビューに漕ぎつけた時にペンネームを考えればいいやと思ったのです)

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しかし結果として作品は幸運にも賞をいただき、その後フレッシュジャンプを経て本紙でデビューすることができました。

このあたりの展開は、本当に自分でもわけがわからないというか、そんなに絵が上手いわけでもないし、話にも粗があるのになぜだろう、と自分が一番自分を信じていなかったです。もしかしたら、そんなに上手くないからこそ、「私にもこれくらい描けそう」という、親近感のようなものを、読者の皆様に持っていただけたのだろうか…と、ぼんやり考えたのを覚えています。

この「自分が自分を一番信じてない病」は未だに治らず、呪いのように私につきまとっています。

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「ふろん」は、数年後に読み返した時、「いかにも、頭でっかちな若者(私)の考えそうな話だな…」と感じ、若干の恥ずかしさがありましたが、こうしてもういい年齢まで人生を重ねた後に思い返すと、「そんなに悪くもないんじゃないかな」と、思えるようになってきました。

社会が複雑化して、匿名で何でも発言できるようになったこの時代、自分の言葉で語らぬ者、深く考えず反射でしか対話しない者、そんな存在が、最近やたらに、目につくような気がするからです。

もちろん、この話を描いた当時はこんな時代が来るなんて夢想だにしてなかったので、これは後出しジャンケンで語ってるのですが、「名無し」が多い今の時代にも成立するテーマだったかもしれないと思っています。


それとこの作品で描きたかったのは、「ゆっくりとした終わり」です。割と大変な事が起こってるのに、主人公はあんまり大騒ぎしませんし、周りも違和感を感じつつも、まるで慣性のように日常を送り、でもだんだんに日常はほつれ、終わっていく。

人生経験の少ない主人公(当時の私も)には、自分を取り巻く日常だけが世界なので、セカイ系みたいな、狭~い範囲で話が終わってしまいます。

でもこのムードは悪くなかったんじゃないかな、と思います。本当の終わりって、こんな風にゆるやかに、日常の延長のように訪れる、そんな気がするからです。


そしてこうして無理やりにでも「悪くない」を少しづつかき集め、呪いを解きたいと思っている私です。

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