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【息子☆肌荒れ奮闘記】番外編(息子と私は違う人間編)

更新がかなり空いてしまいました。

12月からなんだか身体も心もおも~くこういう場でアウトプットする
気力を失っておりました。
暦の上の立春を迎えて、何とか重たさから抜け出た気がします。

脳の為にはアウトプットすごく良いそうなので、肌荒れとは
テーマがずれますがリハビリがてら最近ハッとしたことを
書きたいと思います。

私はずっと怖かったことがあって、自分の【自己肯定感の低さ】
息子に影響を与えないかという事。

息子には自分を好きていて欲しいし、そこにいてくれるだけで
素晴らしい存在だと言い切れるんです。

が、自分に対してはどうかというと・・・かなり自己肯定感低い人間です。
自分を好きではないし、何かしてないと、役割がないと、存在する意味が
ないとずっと思ってきました。(だから必死に働いてきた)
息子が産まれてからは、息子には自分を好きでいて、ここに居るだけで
周囲に愛をたくさんくれているんだよ~と育てていきたいのに
「果たして自分はどうなの?」という問答をずっとしてきました。

すごく不安だったんです。
母親がこのマインドでいたら全く説得力がないし
自己肯定感が低い私が育てる子は自己肯定感低くならないか?
だから強く変わりたいと思ったし、自分を好きになりたいって思って
ここまで試行錯誤してきました。
だから最近、このマインドから抜けつつある感じはします。
(その試行錯誤は追々記事にできたらと思っています)

この間知り合いの方に上記の様な不安感を吐露してみたら、

「でも息子さん、マイペースなタイプだよね。
 周囲の様子を伺うとかじゃなくて、自分のやりたいことは
 やりきるタイプというか…あとはママとは性別も違うしね。
 心配する必要ない気がする。」

と言われたのがきっかけでハッとしました。

いや、前提として息子は一人の人間で、人格があり私の分身・
コピーでは無いのはもちろん分かっていたつもりなんです。
でもこの一言で【肚落ちした】というか、

「あ、息子と私は違う人間だった」

って分かったんです。頭で理解するのではなく【肚落ち】できたのが
ポイント。そうすると不安感は消えていて。

何が言いたいかというと、ママって子供が自分の分身であるような、
二人でひとつな感覚って持ってたりすると思うんです。
だからこそ、過度に期待したり、自分が出来なかったことや
やってもらえなかったことを子供にはさせてあげたいと思ったりする。
でもやっぱり「違う人間なんだ」を【肚落ち】させるのって大切だなと
思います。

「違う人間」ということはですよ、感じ方も違うということです。

例えば、ママが泣いていたとします。
私が幼少期はそういう状況を見たとき
「ママ泣いてる、、どうしよう。私がそうさせたかな?
 そうでなくても私に何かできることあるかな」
自分のせいかも?とか何か役に立たなきゃ!と思ってました。
この自分責め、役に立たなきゃって思うけど→役に立てない
(小さいからね)が「自分って駄目なんだ」という自己肯定感の
低さに繋がっている気がします。

ただ私が泣いているという同じ状況で息子が同じように
思うかというと違います。だって「違う人間」だから。
彼がなんて思うかは分からないけど、
「あ、泣いてる。よし、いい子いい子してあげよう」
と思うかも。
不安になったり、自分に原因があるんじゃないかってそれまでの
過程を振り返るなんてことはしないかも。
シンプルに抱きしめてあげようとか、よしよししてあげようと
思うだけかも。
(おそらくだけど息子はこのタイプ)

同じ環境・同じ親がで育てた兄弟だって感じ方が違えば、
価値観や人間性、感じ方も変わるのと一緒みたいな感覚でしょうか。

一方で上記と矛盾してますが、息子とはどこか一つな部分はあるとは
思うんです。「ああ、十月十日一つだったもんね」って感じることあります。
でも、「違う人間」なんだを、【肚落ち】させられたら楽になったっていうお話でした。
取り留めない話、失礼しました・・・


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