無自覚な親コントロール

幼い頃の私は、本当はピンク色が好きだった。
けれど、ピンクは姉の色。そんな認識が私の家族の間にあった。

姉は明るくて、人懐っこい性格。
そんな姉はピンク色が好きで、持ち物はピンク色が多かった。

親がピンク色と黄色のハンカチをお土産に買ってきたとき、私は、先に選んでいいと言われたのにも関わらず、黄色を選んだ。

ピンクは姉の方がお似合い
そう思った。

中学に入ると、黒やカーキなど、暗い色を好んで選ぶようになった。

これなら姉と被らない
暗い性格の私にぴったりだ
そう思った。

なぜ私が自分の好きなものを選ばなくなったのか。

それは大人になった今思えば、親のコントロールによるもの。

もちろん、親は私をコントロールするつもりなんてなかっただろう。

ただ、私の親にとっての かわいい子 扱いやすい子 とは、すなわち、親の期待する選択をする子 であったことは間違いない。

そうして私は、両親にとってのかわいい子、扱いやすい子になるために
ひいては両親から愛されたいがために
両親の期待する選択をする子になっていった。

私がピンクを選ぶなんて、両親は微塵も期待していなかっただろう、なぜならピンクは姉の色。
だから私は自然と黄色を選んだ。
両親は「やっぱりそっちを選んだか」と言って嬉しそうだった。

出かけた先で、食べたいものを聞かれる。
すると私は元気な声で「焼肉!」と答える。
なぜなら私は 肉が大好きな子 という認識を両親から持たれていたから。
即座に元気よく答えるのも、親に喜んでもらえる一つの要素だ。
私がそう答えると、案の定両親は笑顔になる。

よかった、これで合っていた。
心のどこかでそう思った。

こんな風に、私は"選択"しているようで、いつも"答え合わせ"をしていた。
「どんな風に答えたら両親が笑顔になってくれるかな」
「私が両親から期待されている答えはなんだろう」

そこに私の「こうしたい」「これが好き」というものは必要なかった。むしろ邪魔だった。

そうやって選択をするくせがついた私は、いつしか「自分が本当はどうしたいか」「何を好きなのか」がわからない大人になっていた。

しかも、自分のこういう状態を30代になって初めて自覚した。

気づくまで私は 自分で選んできた と本気で思っていた。
思春期はかなり反抗的だったし、親の言いなりになんてなるまい、と考えていた。

けれど蓋を開けてみれば、進学した高校も、就職先も親の望んだところ。そのことに気づいた時は愕然とした。


大人になった今も選択する場面は多々ある。
たとえば何人かで食事をしようとなったとき、
私が考えるのは「そこに私が行くことは望まれているだろうか」ということ。
むしろ行かない方を望まれていると少しでも思えば、行かない。
行っても行かなくてもどっちでもいいと思われていそうなときも行かない。
行くことを望まれている と感じられたときだけ、行こうという気になる。

私が行きたいか、行きたくないか なんて考えたことがなかった。
最近はこのようなとき、「私自身は行きたいのか?行きたくないのか?」と心の中で問いかける。けど、答えが出てこないことの方が多い。

恋愛もそうだ。
私がその人を好きかどうかはよくわからない。
けど、相手が自分を必要としてくれている、と感じた時にはじめて「好きかもしれない」と思い始める。
けど、そんな風に始まる恋愛だから、私はことあるごとに「本当に自分は必要とされているか」を試すようなことを無意識にしてしまう。

そして「必要とされてないかもしれない」、「もう相手は私を好きではないかもしれない」そう感じたら、私の相手に対する気持ちも終わる。傷つけられる前に自分から相手を突き放す。

自分から人を好きになる って難しい。相手から拒絶されるのが怖い。

親の愛情を求めて、親の期待する子どもを演じてきたけど、それでも充分な愛情を得られなかった。だから私は今も愛情に飢えてるのだと思う。
私の中に愛情が足りてないから、自分から人へ愛情を渡すことができない。
愛情を欲しがるばかりになってしまう。

本当は、好きな人にも、その他周りの人にも、自分から愛情を与えられる人になりたい。

きっと私の親も同じ悩みを持っていたんだろう。だから子どもに愛情を与えられず、子どもを通して自分の必要性を確認していた。
自分の思い通りに動く子どもを見て、どこか満たされる気分になったのかもしれない。

そんな親からすれば、子どもが親より優れて成長していくことは脅威でしかないだろう。そんなことがあっては、いつしか親である自分が必要とされなくなるだろうから。

そういう親に育てられ、無意識の領域からコントロールされた私は、親の意図を反射的に汲み取る、重要な決断を親任せにする、できが悪い、甘えグセの染みついた 人間になった。

これも親の思惑どおりだろう。

親を悪者とは思わない。ただ、親は無意識にそれをしていた。
親も、そのまた親から受けた影響から、そうならざるを得なかったんだ。

世代を越えてループする、無自覚な"親コントロール"。
子どもは操作されて、自分の道を生きられない。

私はまだそのループの脱し方を知らない。
けれど、30代になって、自分がそのループの最中にいることを自覚できただけでも大きい。

自覚した後、私は仕事をやめて旅を始めた。
私の仕事は親が望んだもの。
だから、自分がしたくてそれをしているのか、と聞かれたら分からなかった。

自分が何をしたいのか
どうなりたいのか
自分は何を好きなのか

それを知りたくなって、親のそばを離れて今も旅をしている。
旅の中で、興味があることは挑戦してみている。

今はまだ、答えは全然出ていない。

けど、旅の途中で自分に合う、さまざまなものを見つけることができた。親とは違う、価値観を持つ人にもたくさん会えた。

親の思惑から外れて、1人になって自分を見つめ直すという選択をして本当に良かったと思っている。

日本を出る時は、親は私を涙目で見つめてきた。振り切るのはとても勇気が要った。
親を嫌いなわけじゃない。親は無自覚に私をコントロールしたけど、親もコントロールを受けた被害者だ。

続いてきた親コントロールのループを止めたい。私の考え方や価値観にまでも呪いのように親の影響が染み込んでいて、どうしたらいいか今はよくわからないけど。

あなたは今まで、自分の意思で選択してきましたか?

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