第1期 将棋もも名人戦 ③

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羽生と森内の流れる川が、上りになって、しかも唐突に激流になった。その中にあっても羽生は器用に、何もなかったような顔をして、トビウオのごとく華麗にひょうひょうと進む。森内は鮭のようにビチビチしたが、流れに押し戻されたり水を飲んでむせたり水苔に絡まって革靴が脱げたりして、差は開くばかりだった。

けれど森内は、ゆるやかな小川に戻ろうとは思わなかった。

自分は羽生さんのような天性のトビウオにはなれない、当然ながら鮭でもない、というかそもそも私は魚ではない、だから―――だから、自分の得意なことをやればいいんだ。トビウオになれなくたって、私にしかできないことが、絶対にあるはずだ。

森内は「何とかなる」とつぶやくと、モーゼのごとく激流を真っ二つに、素手で叩き割った。そして水苔に取られた革靴を急いで取りに戻って履き直し、ただの坂道と化したかつての川を、自らの足で元気いっぱい、走りだした。

ずいぶん前に激流を登り切っていた羽生は、岸辺の小さな石に腰掛けて、そんな森内を待っていた。走ってきた森内と一瞬だけ目を合わせると、じゃあ指しましょうかと、静かに立ち上がった。岸辺を風が、駆け抜けた。


***


もりうちさん
もりうちさん
お腰につけた角団子
ひとつ私にくださいな

あげましょう
あげましょう
これから角の交換を
してもいいならあげましょう


今、対局は始まった。開催地は桃太郎ゆかりの地、岡山県だ。対局中、おやつの希望を聞かれた羽生はきびだんご、森内は坂を走っておなかがすいたからカレーと答えた。

解説の佐藤康光は、膝を打った。

「さっそく羽生さんの気遣いが炸裂しました。桃に入ることを拒否した割に、開催地への配慮を忘れず名産品のきびだんごを取り入れる―――羽生さんはいつもそうなんです、わさびの産地で対局したときは、わさび丼を食べていた。羽生さんの細やかさは他の場面でもしばしば見られます。最近のタイトル戦には、ファンサービスの一環として初手観戦というプランがある。一般のファンが対局室に入室し初手を観戦できるというサービスですが、そんなとき羽生さんは、ぱぱっと2手目を指すんです、ものすごく早く。これも羽生さんの気遣いというか、細やかさに思えます」

佐藤はカレーについては、森内さんらしくて良いと思うと嬉しそうに目を細めた。そんな佐藤の解説を聞きながら、加藤一二三は肩をわくわくさせながら、頬を桃色に染めながら、つやつやと声を弾ませて、わたくしはウナギが食べたいです、と言った。


* * *

注:このシリーズは棋士の世界を人々にお伝えしたく『桃太郎』の舞台を借りて進む話である。すべては私の脳内で形成されたことであり、事実とは一切関係ないので火炎瓶とか投げつけないでください。


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