第1期 将棋もも名人戦 ④

[目次] 第1話 第2話 第3話


 空気の流れる、音がする。空気の流れる音しか、聞こえない。

そこをときおり震わせるのが、着物のすれる音、対局者の息遣い、ガサゴソお菓子を開ける音、そして、パチンと、響く駒音。

パチンパチンと指し手は進む。盤上の対話は何万光年続くがごとく、見ている者を、惹きつける。いま羽生がふと、盤面から顔を上げた。そして無音で空気で着物の息遣いがガサゴソする静寂を、突然、破った。

「森内さんは、鬼について、どう思われますか」

その声色はこの世で一番美しく輝く、銀のフルートみたいだった。

森内はあごに手を当て、しばし静止した。そして静止したまま10分ぐらいが過ぎ、ようやく動きを見せたかと思ったら頭に手をやりうーんと唸って再び静止すると、そのまま20分ぐらい固まった。羽生はその間、お茶を飲んだり袴のしわを整えたり腕時計のベルトの伸びた革を弄んだりして過ごした。

固まっていた森内が、ようやく口を開いた。

「私が思うに」

森内の声色は、和太鼓みたいだった。

「まず桃太郎の枠で考えるのであれば、村人たちに悪さをし金銀財宝を独占する悪い生きものです。金銀財宝と言っても将棋の駒の金銀を独り占めしているのではなく……」

羽生が、ちょっと笑った。
それを見た森内は破顔した。森内の話す速度が、上がった。

「それから私が幼少のころ丸暗記した広辞苑によれば、神に対する地上の邪神などの表記もあり、ともあれ桃太郎と共通するのは想像上の悪い生きものということです。ただし鬼のような人、と比喩として使われる場合もあり、それは良くないイメージに捉えられがちですが、物事に精魂を傾ける人のことを指す場合もあり、つまり鬼のような人が一概に悪、とは言えないと思います――」

森内はさり気なく、羽生の顔をちらと見た。羽生は、森内さんさり気なくないなー、私のことをガン見してるなー、さり気ないつもりなんだろうなーと思った。そして森内は、さり気なくないと思われてしまったなー、と思いながら、羽生に問うた。

「羽生さんは、鬼についてどう思われるのですか?」

羽生はメガネの縁を少し押さえて小さな声でふぅむと言って、脳天が畳にめりこむほど前傾し、んー、と言いつつ体を起こした。

「森内さんは、桃太郎を土台に考える研究も大切になさっているのですね。私はすっかり桃太郎から心が離れていました。でも今の手筋を聞いて、もう少し桃太郎について考えてみたくなりました。そうですね……ではキジや犬や猿についても、少し詰めてみましょうか」

パチン!

***

解説の佐藤康光は唸った。

「若さはじける将棋です、そして、難解です。そろそろ読者の皆さんにも次の一手を予想してほしいのですが、候補手はキジ、犬、猿、しかし何が何やら―――加藤先生は、どう思われますか?」

加藤一二三はスーツの上着を勢いよく脱ぎ捨てると、世界で一番おいしそうな、桃みたいな笑顔で言った。
「わたくしはキジがやりたいです!」

パチン!!

***


 注:これはすべてフィクションなのでゴミとか投げつけないでください。私をゴミみたいなやつと思うのはOKです。

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