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毎年の終活と浅間山

こうして朝早起きして山を歩き、浅間山を見ている。めちゃくちゃ寒い。人工音がしない。アカゲラが樹をたたく音がする。ここ数年つづけている年末のお決まりの行事みたいなものでして。

日常はどんどんノイジーになり続ける。情報はどうもゼタバイトっていう、わけわからん単位の飛び交い量になっているらしく、そりゃ街歩いてるだけでイライラしやすいに決まっているよなあとふと思う。終活、とかいって人生の終い方を考えるのが当たり前になってきているらしいけど、あれって人生の終わりを意識するっていうきっかけでもって、単に「今のノイジーな人生をデトックスしたい」っていう欲も大いにあるんじゃないかなと思う。そんで、それでも残ったものが大事っていう感覚というか。そういう意味では僕は毎年末、長野の山奥で終活してます。今年を終えるっていう意味での終活。

今年もめちゃくちゃノイジーで、来年ももっとノイジーかもしれないので、どうにかこうにか、年末に限らず、終活を挟んでいきたいなと、こんな静かな山だからなのか、変な気になって思うわけです。ほっとくと人生、やることとか、意思決定しないといけない項目数とか、増え続けるし、なんとなくですが、増やすことより減らすことのほうが意思が必要なのでそれもそれで疲れるわけです。だからもうね、気が向かないことは無理しないでやめて、それでできた隙間にあたらしいやりたいことを入れていきたいね。んで、そういうことを整理するためにこうやって定期的に山にきたいと思います。

あ、あとふと中学生くらいのときにめちゃくちゃエッセイにはまって。剣道部のひとつ上の雨宮先輩という人が学校の自由創作展みたいな行事で「随筆」を書いてて、なんだそれ?って思って知った存在だけど、さくらももこさんにはほんとに笑かしてもらいました。なぜだか、そういう原石のような、そして意味や価値や見返りの世界とは関係のない、「ただ楽しくてやってたこと」をどんどんと置き去りにして年を取りがちなことをふと思い出したので、来年はエッセイをたくさん読みたい。人生で大切なことはだいたいエッセイで得たような人生なのに、すっかり腐れこじれ野郎であることを出しそびれて毎日過ごしてしまったので。

という、なんだかどうしようもない年末のご挨拶でした。今年もご迷惑をかけ散らかしてなんとか年末。この御恩は来年こそはお返ししますと毎年いいながら返しそびれ続けて、「んあぁ?」っていいがちな耳の遠いじじいになっていきたい。

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