ギリギリな時こそ、支えになるのは「向かう方向への肯定」なんだと思う。

何もできなかった若者だった時に、なぜだか僕に向かって励みになる言葉をかけてくれた人が何人かいて、その人のその一言で、ギリギリな時にどうにか踏ん張ってこれた。自分にはそんなことがある。

当時通っていた広告の学校の課外遠征で、世界的なクリエーティブエージェンシーの当時の日本のストラテジストのトップの方に特別講義を受けた時。唐突に初対面の自分に向かって、「彼なんかは、いい目をしてるから、この仕事向いてると思う」と言ってくれたこと。

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過去の栄光にひたっているという心境とも違って、どちらかというと本当にしんどい時や、自分のここまでの選択に疑いが生じそうな時に、思い出そうとするでもなく思い出す。不思議なことに、「実際に成したことを評価いただいた時のこと」ではなく、「まだ何もしていない、何者でもない自分の、いわばbeを肯定してもらったこと」がほとんど。思い返しても、なんでどうしてそういうことを彼が感じてくれたのかはわからないけど、ある種のそういう、無責任な言葉(すいません)が、その人を「その気にさせ続ける」ことは、あっていいんじゃないかと感じます。あ、無責任かも知れないけど、無根拠ではないはずだ、という信頼はもちろんあった上で。

「お前は優秀だ」という言葉は、その人の優劣性についての言及だけど、「お前は向いている」という言葉は、能力や実績ではなく、意思決定についてのそれで。現在地の点を誉められるよりも、未来に向けたベクトルを肯定されることの方が、結局自分の足で進まないといけない以上、励みになるのかも知れない。自分ももっと、人に対して直感的に感じたポジティブな予感は、言葉にして伝えようと思う。

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とかなんとか書いているけど要するに、年明け早々からまあまあタフな日々が続いていて弱気になっていたことと、「どうする家康」の、萬斎義元がMJ家康に向けている視線がこんなことを思い出させたんだろうということと。人はやっぱり「能力への評価」よりも「存在への肯定」が、ベースで必要なんだろうなあと思う今日この頃。今年も「なんだかんだ言って自分はきっと大丈夫」を合言葉に、乗り切っていきたいです。


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