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未来を思い描くとき、描き手のバイアスはどこにあるのだろうか 〜CIID "Future Casting"クラスの備忘録DAY3〜

コペンハーゲンのデザイン教育機関「CIID」のウィンタースクールin東京、Future Castingのクラスに参加したDay3。Day2後半でこってり登場したフレームワークを使ってグループワークに突入してきました。

ここまでのサマリーはこんな感じ。

このコースでやるのは「未来予測」ではなく「可能性の探索」だよ
発明を”技術と人類の関係性”のパターンでとらえ直してみよう
うちのチームのテーマは"Extreme Bionics”

ここから先はグループワークが重くなったので、具体的にうちのチームがExtreme Bionicsというテックトレンドに対して、どんなFuture Castingを行ったのか、具体で書いてみます。さて。

「CIIDとはなんぞや?&1日目」と、「2日目の前後編」はマガジンに格納しました。こちらもぜひ。


チームで作ったシナリオをシェア

「Extreme Bionics」(以下、EB)というテックトレンドを、Day2最後に提示された「Futures Wheel」「Timelines」「End States」の3つのフレームを駆使して「シナリオプランニング(20××年、EBは社会をこう変える)」してみました。

※「そもそもExtreme Bionicsって?」だと話がわかりづらいと思うので、Day1でElenaからシェアがあった参考情報を、記事の末尾に貼っておきます。そちらも是非。

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Futures Wheelの結果。内から外に未来度が上がる推論。

で、僕らが書いたFuture Scenarioはこの3つ。事前に例示されていた例にまずは愚直に当てはめて考えてみました。

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左上:Aシナリオ 右上:Bシナリオ 下:Cシナリオの検討の痕跡…

A. “Just never gets there” (2030)
テクノロジーの発展や医療技術とのマッシュアップにより、2020年から10年間、障害者を中心に急速に発展を遂げたEB。しかし、「EBを偽った自爆テロが紛争地域で続発」「”EB病”と呼ばれるような新しい副作用が人の心身に影響を与える例が頻出」「電波障害など、テクノロジー災害の時に致命的な誤作動を起こす事件の発生」「地震、洪水など天災時に機能停止に陥るユーザーが続出し社会問題に」・・・ のようなアゲインストな出来事が普及前に起こり、否定的な認識が人々のなかに定着。ごく一部の「フリーク」「障害者」のみにとどまった。
B. “Widespread but heavily regulated” (2040)
利便性も合間って、「手の甲にICチップを埋め込む」程度の軽微なEBは、障害のない人の中にも徐々に普及していった。しかし、「空港の保安検査」「健康診断」など、日常生活の中で社会は EBにどこまで対応すべきかという論争が発生。自己責任論や、社会福祉論がぶつかる事態に。結果、普及拡大は限定的にとどまり、コストも下がらず、「高級なテクノロジー」から脱することに失敗。パブリックも「医療保険の対象には含めない」「空港や健康診断など、公的な仕組みを変えてまで対応はしない」など、消極的な態度を示し、20年経った今も爆発的な普及とまでは行っていない。
C. “Everywhere, all the time” (2050)
「一部の物好き」と「障害者」のものと思われていたEBが、本格的な「人生100年時代」の到来とともに、誰しもにとって関係のある「老い」との新たな向き合い方の文脈で肯定的な論調で扱われ始める。一部の国では政府も、増大する高齢者の医療費や社会福祉の負担の課題、少子化による労働人口の減少の課題を克服する「健康寿命の延長」の一つの解として、EBを推進していく方針を発表。産業界もそれを受けて活気付き、技術の発展やそれに伴う価格の低下も進み、2050年ごろには、手の甲にチップを入れる程度の軽微なものも含めると、ほぼ全ての市民にEBは受け入れられている。

・・・とまあこんな感じになりました。

何しろ、Day1,2で散々インプットされた

・テクノロジーをそれ単体でとらえない。人との関係性で捉える。
・視点を偏らせない。STEEEPを大事に。
・ある出来事が、他の領域の「次なる出来事」をどう引き起こすか。

を考えてかいてみたわけです。

例えば、Cの「完全普及したシナリオ」はメンバー一同、自分がEBに抵抗感があるということもあり、最初描けなかったわけです。「そんなに普及するって、何が起こったらそんなことになる??」って感じで。そこで「過去、最初はかなり抵抗感があったのに、今やすっかり受け入れている技術と人間の関係って他に何がある?」と調べ物をしたり、そのときどんな論争が起こって、どうやって肯定的な意見が主流になったのか当時のニュースを漁って読んでみたり。そこで我々チームが出した仮説は、「本気の反対派よりも、日和見的な否定論者の方が普及の妨げになる」という推論。だとすると、そもそもEBが「自分にも関係があること」であり、かつそれが「肯定的な存在として関係してくる」という認識の変容プロセスを踏む必要がある。それって何・・・?と考えて考えた末に、「”老い”なら、全ての人間に関係のあることだから自分ごと化されるのでは?」という仮説が出て、”私も今、そう言われたら途端にありかもって思った!”みたいな意見も出てきた訳です。チームの議論はそんな感じで、まさに「2020年以前の過去の、技術と人のダンスの類型から、推論を立てる」という、まさに考古学的なアプローチと、それを未来にぶっ飛ばして考えるアプローチを行ったり来たりなんども反復横跳びする感覚でした。

やりながら思ったけど、いかに社会のことをよく「領域の広さ×時間軸の行ったり来たり」の最大値で表現されるような「因果関係を元にした洞察度合い」が物を言いまくるなあと痛感しました。あと、自分が因果を考察するときの「バイアス(僕はEthicalとかSocialが強くて、PoliticalやTechnologyがおそろかになりがち)」も大きな気づきだった。

さて、フィードバックは・・・?

他の4チームも含めた計5チームの発表の後に、総評的にElenaとFilippoからフィードバックがありました。主だったものをいくつかご紹介。

「”劇的なストーリー”ばかりにとらわれないように」
テクノロジーばっか見ない!っていうのとほぼ同義だけど、「派手で、未来っぽくて、変化が大きいところ」ばかりに注目しない方がいい、ということ。宇宙技術をテーマにしたチームの発表へのアドバイスがわかりやすかったのですが、「宇宙にいく人はどんな格好で、どんな産業に従事して、どんなメカを操るのか?」を考えたなら、同じかそれ以上に、「そんな時に、地球での人々の暮らしや感情はどうなっているか?」を考えようと。全ての新しい変化はものすごい局所的な始まり方をするので、「その他大勢の、まだ関係のない人」がそのことをどんな感情で、どういう存在として受け止めるかが、その後のシナリオを大きく分ける。勝手に「当事者サイドのストーリー」ばかりを紡がないようにしないといけない。この例のように、「宇宙にいく人」だけでなく「行ってない人」の立場を考えるような、【反対側からの視点】を意識するといいように感じます。思えば、Futures WheelもTimelinesも、未来の推論を座標にプロットすることで、自分の思考の偏りを可視化し「バイアスの反対側」を考えるためのツールだったんですね。「本当にこの確率で起きる?」とか「本当にユートピア?」とか、推論の確からしさを気にしだすと「未来の当てっこ」に陥っていく。大事なのは確からしさの立証ではなく、「自分のバイアスを認識した上で正しく考える」こと。

「3誌くらい、ヘッドラインを妄想してみる」
これも視点の偏りに気づくためのTipsで、「政治系に定評のあるエスタブリッシュな新聞」なのか、「ワイドショーのヘッドライン」なのか、「テック系のオタクな読み物」なのか、同じScenarioでも、「どんな人が、誰を想定読者にして、何を投げかける目的で書いたヘッドラインなのか」で、だいぶ扱い方が変わるはずであると。これはチームメンバーに多様性があると割と自ずと取り入れられる視点かもしれなくて、人によって「end state」と言われた時にイメージするメディアが違うからですね。自分のバイアスを自覚した上で、それをチームの多様性にポジティブに変えていくスタンスは、大事だなと思った次第です。

そして最終課題の発表と作業開始

ここまででDAY3のAMが終了。最後に、この1週間の最終の発表のオリエンを改めて提示されました。

We will be archeologists of the future!!!

・・・ということで、自分たちのテックトレンドで定めた未来の射程(EBチームでは2050年)の「考古学者」になって、その時の考古学博物館の1コーナーを「これまでの人類の歴史を振り返るように」作り込んでみてください、という課題です。「2020年の人に未来を紹介する」のではなく、「2050年の人に(2020年以降の)過去を紹介する」というのがポイントで、初日に宿題で出ていた、「1950年の人に2020年を紹介して」という課題の応用編という感じでしょうか。人と技術の踊りを、まだ見ぬ未来に向けて、でもとても「それっぽい形で」提示せよ、というわけです。

それぞれのチームは、DAY3の発表で話したシナリオの3〜4つの中から、「自分たちが具現化したいと思うシナリオ」を1つ選んで、「そのシナリオが実際起こった時のMUSEUM」を作っていきます。EBをテーマにしている僕らは一番、考え甲斐がありそうな「C:当たり前の存在になった未来」を選択。何を展示すれば、「2050年の今、EBは当たり前になっているけど、こうなるまでに、どのような”人と技術のダンス”があったのか」が来場者に伝わるか。色々な観点で考えていくわけです

・多くの人々が抵抗感なくEBを受け入れるまでに、こんな出来事が!?
・普及する過程では、こんな反対論や、否定的なムーブメントも!?
・EB導入の当事者だけでなく、周りの人のEBの捉え方はどう変わった!?

などなど。これまでインプットしてきた、「人と技術のダンスのありさま」を類推の型として思い出しながら、チームでオラオラと議論していきます・・・! DAY4に続く。

まとめ:よりよく考えるためのフレームワークとして

DAY3はほぼ、ワークと発表、そのフィードバックで終わったんですが、個人的にはフィードバックが大きかった。

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どのフレームワークでも感じたのが

「どこTierにこの推測は置くべきか」
「本当にこれはユートピアなのか」
「どのくらいの確率で起きるのか」

というチームメンバーとの議論が、誰も対して根拠もなく、ある意味の「直感に近い類推」で話している風な時間。ともすると、「全員シロートな集団が不慣れなテックテーマのことを、浅知恵でSF作家ごっこ的にかき混ぜてるだけなんとちがうかこれ?」という、なんとも不安な気持ちがよぎるわけです。これってどうなん?と、そのままFilippoとElenaに質問したところ、

・そもそもこれは「正解探し」ではなく「いい問いをだす」目的だよね
・なのでこれは言い換えると、「Study」ではなく「Art」なんだよ
どこまでいっても「類推」です。
・逆に、類推を使わないと「当たり前のこと」しか扱えなくなる。
・そうすると「未来考えるの、意味ない」になってしまう。
・勝負は「どうやって良い類推をするか」
・「良い類推」とは、実際の未来を当てることではなく、
 「未来の可能性を正しいプロセスで議論の俎上にあげること」

こんな回答をされました。

ああ、なるほど散々言われてきたけど自分はまだ、「未来の当てっこ」脳が残っていたんすね・・・ ある一枚の「出来事のポストイット」をどの位置に置くのが客観的に正しいのかに拘泥するのではなく、「自分の頭が、このポストイットをここに置こうと今考えている。とすると、反対側にはどんな出来事が起こると考えられるか、自分の脳をそっちに向けてみよう」という感じ。あくまでも「どう考えるか」にフォーカスがビシビシに当たっていることが、この質疑でやっとわかった気がしました。

昨今言われている、ビジネスにもアート思考を、みたいな議論も、ここの発想の転換が最大の障壁になるんだろうなあと思いながら、「アートだよ」と言い切ってもらったのはちょっと救いでした。ただ、「答え」はないけど、「筋のいい見立てか否か」は存在する訳で、それは、「人と技術のダンス」に対してどれだけ深い造詣を持てているかや、そもそもその個人の中に、人類の社会に対しての課題意識が強く持てているか、それに基づいて日頃から社会を見ているか、などなど、そのへんの変数が「素養」にはなりそうです。

DAY4は最終課題に向けてのElenaからのインプットと、そこから先は怒涛のチームワークでした。引き続き読んでください。感想、コメント、投げ銭、大歓迎でお待ちしてますー。


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以下、Extreme Bionicsの事前インプットで展開されたリンク集です。
ご興味ある方は見てみてください。示唆に富みます。



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