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chatには相手が必要だという問題

自分が20代の前半くらいのときに、ちょうど第二次SNSブームが来て、twitterとかFacebookがどっと広がったんです。自分の周りでもやる人が多く、ごく自然な感覚の延長でやれてたと思うんです。LINEも、最初はスタンプに対しての慣れるまでの違和感みたいなものもありつつも、あれは既存のコミュニケーション様式の延長だったんでしょうねと。で、今来ているのがSnapchatであると。これは何というか、隔世の感があるというか、自分の既存の感覚の延長線上とは少し違うところにあるなと感じます。

当時の自分は、年長者の「twitterとか、全部読めないし、どんどん流れていっちゃうし、あれはどういうことなんだ??」と、やりもしないのにブーブーいうスタンスに、いいからやってみればいいのにと思っていたけど。結局、コミュニケーションを前提としたサービスは、周りがやらないと、個人がどんなにやってみたところで、実際には「やれている」ことにならない体験になっちゃうんだなあと。Snapchatに対しての自分の状況って、今それに近いことになっていて、ああこうやってだんだんと、自分自身がどんなに新しい感性と体験を大事にしようとしても、自分の属している世代やコミュニティの推移に引っ張られざるを得ないことって起こるんだなと。そりゃ、定年間近な大先輩に、「とりあえずまずLINEのスタンプ送ってみるところからですよ」とか言っても苦しいわなと。

あとはもう、世代を越境してオープンマインドできるかどうかに尽きるなと思いますわ。それが一番、老いるうえで難しく、人によって差が出るところなんだなと思った、Snapchatと向き合って思ったことメモ。

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