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今をよりよく考えるために、我々は「未来」をどう扱うべきなのか。 〜CIID "Future Casting"クラスの備忘録DAY5〜

コペンハーゲンのデザイン教育機関「CIID」のウィンタースクールin東京、Future Castingのクラス、Day5の記録です。やっと最終日。

ここまでのサマリーはこんな感じ。

このコースでやるのは「未来予測」ではなく「可能性の探索」だよ
発明を”技術と人類の関係性”のパターンでとらえ直してみよう
うちのチームのテーマは"Extreme Bionics(義体技術)”
DAY5には、Future Museumを開いてもらうよー!

ということで、ようやく最終日。実際に僕らのチームが作ったMUSEUMを晒してみたいと思います。本番は「Just 展示」で言い訳も解説もほぼできなかったけど、どう考えてそれを展示したのかとかも、自分の振り返りもかねて書いてみます。

「CIIDとはなんぞや?」および、Day1〜4のまとめはマガジンに格納しました。こちらもぜひご覧ください。
 ※ 読まなくても、この記事単体で伝わるようには書いたつもり。


”シナリオ通りになった未来”までの歴史

DAY4の後半からはひたすら制作タイムで、前の記事で書いた通り僕らのチーム最大の悩みは「どうしたらこんなにExtreme Bionics(以下EB)が全世界的に普及するのさ?何が起こったのよ?」というところ。何せ、当事者である我々が、自分自身にEBを導入する気にまだなれないままで、「でも普及はしました」とは言えないというもの。自分を他人のように見立てて、「こいつ、どんな社会になったら、”ありかな…?”って思うようになるんだろうか」と色々考えて、整理できた因子はSTEEEPで整理するとこの辺でした。カッコの中は2020年現在で考えたたとえメタファ。

Social:
・大多数の人に関係するイシューとの接続
 (インターネットは元々軍部活用だった→ 生活情報探索ツールへ)
・オピニオンリーダーの強い推奨、賛成
 (ホリエモンが激賞)
・社会システムがこの存在を前提とした環境にシフト
 (心臓ペースメーカーと優先席の注意書き)

Technological:
・症例数、導入数が閾値を超える
・リスクを低減、回避する周辺テクノロジーの発達
 (自動車におけるエアバッグや車間センサー)

Economical:
・経済メリット
 (ヒゲの永久脱毛 → 一生分の髭剃りの手間と費用カット)
・大手資本の参入
 (GAFAが新サービスとしてスタート)
・周辺市場の形成
 (スマホが普及 → ブルーライトカットメガネが登場)

Environmental:
・生産、供給のエコシステムの確立
 (ここが20世紀の発明は一番弱かったのかもしれない)

Ethical:
・論点の顕在化
・「社会善」と認められるきっかけとなる出来事

Political:
・公的なお墨付き、支援、法整備
 (自動車の発明 → 自動車法、道路交通法…)
・国家運営上の明確なメリット
 (クールビズ → 節電による環境負荷軽減…)

分類が難しいものもあるけど、過去の「最初は受け入れ難かったが今や当たり前になっている」というテクノロジーと人類のダンスを調べてみると、こういうシナリオが発動しているんじゃないかと、整理できました。で、実はコース中はほぼFilippoもElenaも言及しなかったけど、今になって思えば、CIIDがSDGsを思想の中核に置いているのもわかるんですよね。あれは、世界全体で人類が今後こっちに向かって物事考えようっていうゴールたちなので、シナリオを考える上でも道しるべになるなあと。

こんなことも元に、自分で一回、年表をかいてみました。

2020年代
・EBの技術や検証が進む

2022年
・北京パラリンピックを契機に、より世間一般の注目を集め出す
 北京の競技施設や市内でピクトグラムが初めて導入。
・一部のEBが公共空間で不具合を起こしたり、不便を訴えるなど摩擦が顕在
 化してくる。(健常者トイレが使えない/空港の保安検査場/健康診断や病
 院での診察など)
・それに伴い、「社会はどこまでEBに対応すべきか」という論点が徐々に浮
 上。推進論と否定論が生まれ始める。

2028年
・アメリカで自動運転車のエラーによる暴走から子供の命をEB義手で救った
 ジョンベイリーが英雄化される。同時に「全てをAIやロボットに委ねるこ
 との危うさ」が再び論争に上がり、「人間の身体能力を拡張することの可
 能性」について、肯定的な世論が徐々に拡大。
・2030年、スウェーデンでBNIS(Bionics National Insurance System)
 法
が採択。国がEB支援を認めた世界初の法律。
 (この頃から「Extreme」という表現が使われなくなり始める)
・BNIS法を一つの契機に、世界各国でも議論が加速していく。
・それとともに倫理面での論点が顕在化していく。

2034年
ドナーカードに「Bionics手術の意思確認」「移植を希望する臓器に
 Bionicsが選択肢として追加」などの変更。
・より一般の人にとってもBionicsが「自分ごと」になっていく。部位その
 ものの市場のみならず、周辺市場(セルフメンテナンス市場、医療市場、
 模倣品の出現など・・・)も発展。
・同時に「適法で合理的な区別」と「嫌がらせ、差別」の線引きの難しさの
 議論は常に行われ続けるものの、徐々に「いかに線引きしなくて良くなる
 か」という方向に収束。主にスポーツの領域で「統合化」が進む。

2040年代
・「老化を克服した人間」の存在が出てくる
 (完全に衰え始める前にBionicsを導入した世代が高齢化してくる)

2048年
ウサインボルトが62歳で100m走で金メダル獲得。加齢と身体能力は完
 全に別のものになる。

2050年
・一部貧富の差や差別は残るものの、年齢や身体能力から人類が解放され、
 Bionicsは世界的に普及している。

具体的に描き切ってみると、色々見えてくる。STEEEPを意識できてるか。先ほど出した「普及シナリオ」のポイントを押さえているか。具体的な出来事に翻訳するとどんな出来事なのか・・・ 「そんなバカな」とか「根拠はあるのか?」とか「本当にこうなるの?」とか、自分の内なる批判者との葛藤もありましたが、これは「可能性の探索」なのだと言い聞かせて、描き切ったものをみんなで読み合わせて、納得感が出てきたぞこれは!ということで、この年表のどの瞬間を切り取ったartefactを作れば、EBの歴史が端的に伝わるか。最終展示は以下の感じになりました。

The MUSEUM of the Future of Extreme Bionics

僕らのチームが最終的に展示はExtreme Bionicsにまつわる9点。
ブースの概要説明と9つの展示は以下の感じです。ぜひ、「2050年の人が歴史を振り返る」つもりでみてみてください。展示の時はプレゼン禁止でしたが、後付け解説もこの際なので加えてます。

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展示概要説明
2040年:
Extreme Bionicsはもう、エクストリームではない。


一部のフリークや障害者のものから、2040年、Extreme Bionicsはユビキタスになりました。2030年の「BNIS(Bionics National Insurance System)法」可決から、10年が経っていました。EBは、身体能力の拡張だけでなく、自己表現の手段や、年齢や性別などの生まれつきの特性を「選択可能」にしました。またEBは市場を形成し、スポーツ、ファッション、エンタメ、そしてアンチエイジングなどそれは多方面に渡ります。貧富の差の拡大など、悪い事象も起こりましたが、医療の発展による人間の長寿命化という問題を解決することで、リスクを乗り越えて世界中に受け入れられました。


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1:
Pictogram
Icons for Extreme Bionics
2022
Print

EB搭載者を意味するピクトグラムの登場。

ユニバーサルデザインの範疇に組み込まれることが、普及の最初におこることを考えると、ピクトグラムだろうと。タイミングとしては、世界的なイベントをきっかけにした方が普及の後押しになると考えて、北京パラに置いてみました。実際、AIDが使えないみたいな、公共空間での命に関わる分類の必要性も出てくると思ったので、まず最初にこれです。


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2:
Statue of Extreme Bionics [John Bailey]
Statue of a hero in a self-driving car accident. 
2028
Print

AIカーの暴走からEBの腕で子供の命を救ったヒーローの像

ここが一番、アートシンキングしましたが、普及の妨げになる一番の障壁は、Ethicalの領域だと思ったんです。「人体への冒涜だ」とか「どこからが人間という定義になるのか」とか、かなり既存の倫理観を揺さぶってくるテクノロジーであることは、ピストリウス選手がオリンピックに出た時の世の反応からもわかっていること。だとすると、普及するまでの歴史上で、たとえ自分が当事者じゃなくても心情的にEBを肯定するアライが生まれる出来事がきっと起こるはずだと。かつ、ある一人のヒーローが生まれるだけでなく、「思想としての仮想敵」があるはずであると。かねてより僕らの論点として出ていた「わざわざ自分の体を拡張しなくても、ロボットに”外注”した方がリスクが少ない。なぜ体をいじらないといけないのか?」というEB懐疑論へのアンサーとして、「AIやロボットに全てを外注する方が、人間の営みの尊厳を毀損する。自らの身体を拡張して自らの意思と労働で事を成す方が尊い」という、”AIやロボットを仮想敵にしたEB賛成論”という論陣は、起こり得るだろうという結論になり、こういうヒーローストーリーを作ってみました。


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3:
New York Times
Article of the BNIS law [Sweden] 
2030
Print

世界で初めて、医療保険の対象にEBを含める法律可決のニュース記事。

アライが生まれたら次は論争の表面化。色々な公共機関や福祉政策のなかで、どこまでEBフレンドリーに社会を設計する必要があるのか?そのために税金使わなくていいだろ!と、「自己責任論」が起こる。国やら政府が、それでも公的に支援をするには、最大多数の最大幸福がロジックとして成り立っていた方が話は進むはずで、そのロジックに「高齢化」「それによる労働人口の縮小や不均衡」を置いて考えてみました。高齢者もEBを導入して、長く生きがいの持てる社会の実現を目指す。世界に先駆け高齢化や労働人口縮小、その一方で移民政策の負の部分にも苦しみそうな国と言ったら、日韓か、北欧。で、よりドラスティックに合理性で意思決定するであろう北欧のスウェーデンで、医療保険制度の対象にEBを含む法律が可決したニュースの記事です。


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4:
Donor Card
Card to declare willingness to plantation
2034
Card

EB移植意思表示欄が付け加えられたドナーカード

これはシンプル。意識不明状態で、EB手術をすれば助かる人に対しての意思確認が必要な場面が出るはずなので。あと、さらに時代が進めば、「自分の体のEBを他者に提供しますか?」みたいな意思確認も出そうだね、なんていう議論もしました。命の問題と、尊厳の問題。


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5:
First aid kit
For Bionics
2038
Plastic, Iron

EBの人向けの救急キット。

これはそのまんま。医療と工学の領域がどんどん曖昧になっていく。医師免許の範疇や、専門医の出現、学問領域の拡張などなど、いろんなことが起こるだろうなあ。


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6:
Short curtain
Onsen entrance (Men/Women/Bionics)
2044
Cloth

男湯、女湯、義体湯に分けられた温泉ののれん

物理的に区別して扱わないと人命に関わるテクノロジーなので、こういった領域やサービスの区分は生まれるだろう。レーシックですら、健康診断の時に聞かれるわけだし。ただ、「必要不可欠な区別」と「単なる差別」の境目は曖昧かもしれない。個人の身体にまつわることなので、「カミングアウトしたくない」という人や、「とはいえ扱い方を変えないといけない」という供給側の事情など、いろんなハレーションは起こる気がします。


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7:
Fake iArm Pro
Fake Apple bionic arm.
2040
Plastic, adhesive

アップル社製の義手の、模造品。

大手ブランドの参入は間違えなく起こる。そしてそれが市場を形成した暁にはアングラ経済も形成されるはず。EBのディストピアな側面もブレストで議論して、「自爆テロの進化版」「違法手術の横行とそれによる健康被害」なども俎上に上がったけど、アイデアとして作りやすく、見た目のインパクトを出したかったのでこのアイデアに落ち着きました。ただし、「模造品」という設定だけ残しました。


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8:
Gold Medals
Usain Bolt has won 30 medals so far.(2008~2048)
2048
Print

ウサイン・ボルトが生涯で獲得した30個の金メダル

スポーツの領域では真っ先に影響が現れるだろうと思っていたけど、いくとこまでいけば、こういうことも起こるだろうと。この頃にはオリンピックとパラリンピックという区別ではなくなっているかもしれないですが。


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9:
TIME
Couple with a big age gap - Miranda(87) and Evan(22)
2050
Print

2050年のTIMEの表紙。

見た目やもちろん、身体機能や、それに伴った精神の若々しさも、実年齢と比例しなくなりつつある未来。「本当に好きな人と一緒にいることができるようになった」という事を証明するような、驚きのカップルが「今年の顔」になっているかもしれない。単に若々しい見た目を保つという整形とは違い、「老いとは」「人間とは」「生身とは」「生命とは」など、色々な定義が2020年の頃とは違っている。

===

いかがでしたでしょうか。大真面目な当てっこの予測ではなく、見る人の心に「本当にこうなったらどうしようか」と、問いを投げかけることが目的なので、ジョークの要素や、あえて2020年と地続きに理解できるメタファ(たとえば、Appleはこの頃には没落しているかもしれないけど、わかりやすさの方が問いとしては重要、というよう)に、考えてます。で、展示会を実際にして、他のCIIDのコースを受講した人たちにも見てもらったりして、無事終了。ElenaとFilippoから最後のフィードバックがありました。

それを人はどう受け取ったか

MUSEUMオープンの前から言われていたのは、「来場者の顔をよく観察すること」。笑うのか、しかめっ面するのか、怖がるのか、じっと見るのか。そのリアクションこそが、もし実際に未来の社会がその出来事を迎えた時の、人々の受け止め方の映し鏡であると。創った自分たち自身も、このテクノロジーをどう心で感じたかを途中の段階で深く内省しましたけど、それ以上に、受け手の顔をよく観察することは確かに勉強になった気がします。

あとは、プロトタイプのクオリティについて。二人ともここはものすごくこだわれ!と言ってきた。のれんの糸くずや塗装、展示の配置から紹介文まで、チープな作りにせずに、こだわり切れと言われました。「え、プロトタイプなのにこの強度・・・?」と最初戸惑ったんですが、このプロトタイプは、プロダクトのプロトタイプのような機能やデザインの確認のためのものではなく「その類推に対しての人間の受け止め方を確認するためのプロトタイプ」な訳で、信じ込ませるつもりで提示しないと意味がない。逆に、「本当にそういう未来がくるのか」という確実性については不問なプロトタイプだった訳です。(というかそこは確実性を問われても証明不可ですね) 「本当にこういう未来がくるかもしれない・・・?」と、直感的に、心で感じてもらうために求められる強度というのが、やりながらとても勉強になった。

という感じで、クタクタになりましたが、これで五日間、終了でございました。

まとめ:DAY6がもしあったら

「正しい未来を当てる」のではなく、「未来を正しいプロセスで考えて扱う」ことによって、「よりよく今を考える」ためのFuture Casting。もし続きがあるならどんな内容か?という質問が最後のQ&Aで出ました。自分がEBを直接扱う事業に関わっていたら、まさに「こういう未来が予想される上で、自分の扱うテクノロジーに今後、どういうイシューが立ちはだかるか」を考えて、開発・企画することはできます。で、自分の事業がEBと直接関係なかったとしても、この思考は「このあと人間の社会に登場する技術と、それに対する人間のダンスの有様」のパターン仮説の棚卸しには有効だと強く感じました。この5日間で僕自身、「どんな出来事に対して人間がどう反応し、その時どういう風に経済界が動くのか」のパターンをめちゃくちゃ多くケーススタディした気がします。STEEEPに代表される社会に対しての自分の物の見方が、より俯瞰的にアップデートされた気がします。

経営者であれば、よりダイレクトに関係のあるスキルですよね。今はまだ多くの企業が、「今年の売上・利益に1.1倍をかけた数字をキナリに目標として並べただけの中期経営企画」のことを、”未来”と言っている訳です。そんなの未来でもなんでもない。根拠もないのに、なまじ数字の形をしているので、変に「確からしそう」なのもタチが悪い。株主に説明しないといけないから仕方なくロジック作ってるだけみたいな中計が多すぎるように思います。ElenaやFilippoにも、「このコースの心意気はわかったけど、そんな風にいつも考えてきた自分の会社に、この内容をどう持ち帰ればいいか?」という質問は出た訳で、彼らは、「会社である以上は、今の稼ぎを作らないといけないし、株主にも納得してもらわないといけないのは当たり前。でも、より良い今は、”過去の自分たちがその時考えていた『今という未来』をその時どう考えたかという結果”でもある。だから、ここで考え方、”よりよく今を考えるために未来をどう扱うことができるか”というプロセスを、持って帰って広めて欲しい」という趣旨の答えをもらいました。

僕はこれまで、若者研究を仕事のメインの一つにやってきた。「単なるマーケティングターゲットとして」若い人たちのことを扱うのではなく、「人類の中で最初に”新しくなる人”として」向き合うことで、多くの「未来の当たり前」を提示してもらったし、未来のことはその時に生きている人に全権委任して決めていくべきだと本気で思ってます。20年後の会社のことを、20年後にはいない人が決定するなんて、人の道徳心や想像力を過大評価してる。だけど、「その人の想像力の半径を、自分がキナリで生きていて関わることのみ」に限定してしまうことそのものをどうやって乗り越えていくかを、あまり諦めずに考えてもいいかもしれないと思えたのが一番の収穫だなあと思います。

チームで後半は追い詰めていったけど、メンバーによってSTEEEPの想像力の領域の癖があったり、能力の違いがあったり、それって要するに日頃どんな切片で社会と関わっている人かによっていたり。その多様性がすごく強みになったように思います。自分一人の全ての多様性の視点を搭載することは無理ゲーだとしたら、多様性を大事にする本当のメリットは、想像力の半径を広げることなんだろう。CIIDが在校生の出身国の多様性を大事にするために人員バランスを制限していることも、最後に改めて合点が行きました。

という訳でとても長くなりましたが、これでCIID Winter School / Future Castingの参加録、おしまいです。「それを人がどう受け取ったかを見とること」が大事ということで、感想コメントをぜひ欲しいなあと思うので、よかったらくださいませ。あと、このナレッジを何かどこかで実践したいと思ってます。最初は実験的実践なので、「実験台になるのでうちでやって欲しい!」みたいな団体さんがいたら、お声がけくださいませ。

ではではまた未来で!

サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!