ユーガットメール

テクノロジーの行間

以前企画書で、「メールの普及は便利な社会をもたらした。一方で、手紙を送るときのドキドキや手触りは失われた」的な論旨展開で、便利の裏に隠れた価値がある、っていうストーリーを使ったことがあって。すごいわかる一方で、新しいテクノロジーには、新しい行間があって、そこには新しい情緒が生まれるんだとも思う。

メールが広まった時は、メールにまつわる切ない恋の歌がたくさん出たし、
「あしあと」なんて、よくできた仕組みだと思うし、
LINEのスタンプの使い方にも、人の心は生まれると思うわけで。

テクノロジーの発展は情緒を損なう、という側面はもちろんあるけど、それだけ主張していると懐古主義的になっちまう。逆に、情緒の行間が設計されていないテクノロジーはどんなに便利でも人間は受け入れないんじゃないかっていう、そっちが本質な気もする。

とはいえ、便利なだけでつまんないな・・・って思うことも、資本主義だけでは自浄作用が足りないのかもなって思うことはあるので、難しいことですが。大事なのは、ココロを扱うというスタンスがもてるか、なのかもしれないですね。

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