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どうすれば人は、2050年の出来事を信じるのか 〜CIID "Future Casting"クラスの備忘録DAY4〜

コペンハーゲンのデザイン教育機関「CIID」のウィンタースクールin東京、Future Castingのクラスに参加したDay4。Day3の午後から最終日まで、間に少しだけ講義を挟みながらも、基本的には怒涛のグループワーク。

ここまでのサマリーはこんな感じ。

このコースでやるのは「未来予測」ではなく「可能性の探索」だよ
発明を”技術と人類の関係性”のパターンでとらえ直してみよう
うちのチームのテーマは"Extreme Bionics(義体技術)”
DAY5には、Future Museumを開いてもらうよー!

ということで、自分たちが選んだシナリオ通りにことが進んだ「2050年のExtreme Bionics Museum」を作っていきます。今回はHowの記事です。

「CIIDとはなんぞや?」および、Day1〜3のまとめはマガジンに格納しました。こちらもぜひ。


2050年の博物館が、2020年の我々に語りかけること

Day1ですでに与えられていた僕らのチームのテックトレンドテーマ、「Extreme Bionics(以下、EB。詳しくはDay3の記事末尾参照ください)」について、Day1でベーススタディをし、Day2でフレームに沿って複数のシナリオをプランニング、Day3でその発表とフィードバックを受け、最終発表で表現するシナリオを3つのうちから一つ選びました。自分たちが選んだのは、「2050年にEBが当たり前の存在として社会に普及している」というシナリオ。

C. “Everywhere, all the time” (2050)
「一部の物好き」と「障害者」のものと思われていたEBが、本格的な「人生100年時代」の到来とともに、誰しもにとって関係のある「老い」との新たな向き合い方の文脈で肯定的な論調で扱われ始める。一部の国では政府も、増大する高齢者の医療費や社会福祉の負担の課題、少子化による労働人口の減少の課題を克服する「健康寿命の延長」の一つの解として、EBを推進していく方針を発表。産業界もそれを受けて活気付き、技術の発展やそれに伴う価格の低下も進み、2050年ごろには、手の甲にチップを入れる程度の軽微なものも含めると、ほぼ全ての市民にEBは受け入れられている。

この歴史を、2050年の博物館に展示し、来場者に体感してもらうというのがDay5の最終発表になります。さて、どんな”artefacts=(古物)”を展示し、何を語りかけることによって、来場者にEBの普及の歴史を納得感を持って知ってもらえるか、を考える。 …ということを「擬似展示で2020年の我々がみることによって、これからの未来に起こりうる出来事と、その時の人間社会にもたらされる様々な変化を、どんな問いとして体感してもらうか」を設計していきます。

・・・って、わかりにくいですよね。僕もこの「なんでこんなことやるのか」を腹落ちさせるのが実は一番、大変だったところで。例えばスマホで考えると、

・2020年の今、「スマホ普及の歴史博物館」を作ることで
・なぜスマホがこんなに普及したのかを、
 テクノロジーと人類の関係性において理解し
・それを、1990年代の「スマホなんか普及するわけない」と言ってた
 過去の人が見たときに、「なるほどこれは普及するわ…」と
 納得してもらえれば

・1990年代のその人は、より正しく未来を考えることができたはず

と、過去→現代軸に置き換えると、わかった気がしました。きっと、1990年代の人には、ケータイと人類の関係性の未来を考える上で、バイアスがあったはずで、それによって社会問題やビジネスチャンスの見過ごしを多かれ少なかれしている。でももし、彼らが「2020年のスマホ歴史博物館」を想像することができれば、少なくともバイアスの向こう側に何が存在して、自分たちが向き合うべき問いはどこにあるのか、よりよく考えられてたはず、ですよね。

それを、

「2050年の」
「EBをテーマに」
「2020年の”過去の人”たちが正しく考えるために」

やってみようぜ、ということです。ここで、「何を見せれば、過去の人は未来の出来事を、真に受けてくれるだろうか」という、Artefactの考え方のインプットから始まります。

Artefactの考え方

最初に提示されたのがこの文章。

Design is the answer to communication problems. When someone is viewing a piece of communication; your aim is to ensure that they understand what is happening instantly. This could be a UI, a book, a physical representation of an artefact from the future, etc.

くどくどと説明せずとも、即座に何が起こったのかをわかってもらわないといけない。あくまでもデザインシンキングの学校、CIIDとしてのスタンスがよく出てます。確かに、信じない!という頑なな人にいくらロジックで説得を試みても難しい訳で、百聞は一見に如かず、「そのもの」をデザインの力で作って見せてしまおうという訳。じゃあ、「そのもの」って何?って話なんですが、Future Casting Courseの過去の卒業生の作品を例に、考え方の類型をいくつか示してくれました。

1:The object & context tells a story
単に「その時代にあるはずの物」を展示するのではなく、その物の存在が示すストーリーを考えてみよう。そしてそのストーリーが、「その未来が実現するまでの歴史上、どんな意味合いを持つのか」を考えてみるべし。

先ほどの「スマホ普及を1990年代の人に伝えるストーリーとartefact」で考えてみると、僕ならこの写真を展示します。

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これは実際に2016年のニュースになった、スウェーデンにある「歩きスマホ禁止の看板」ですけど、この展示によって、

2020年、人は
「当たり前のようにみんな、スマホを持っているのみならず」
「歩く間も惜しんで人はスマホをいじるようになっている」
「交通事故や健康障害など、新しい社会問題に(看板が立つ程)」

説明なしでこれくらいは直感的に伝わるはず。これは2020年現在の事実なので「当たり前」と思うかもしれませんが、要するにこの強度で「2050年代のEBと人間の関係性を切り出してデザインせよ」ということ。実際にElenaから例示されたものとしては、

「名刺」 = ある職業の存在をデザイン
「看板」 = 公共空間での対象の存在とそれに対しての感情をデザイン
「ロゴ」 = 対象にまつわる組織やブランドの存在をデザイン
「プラカード」 = 対象にまつわる論争やデモ運動の存在をデザイン
「商品パッケージ」 = 対象にまつわるその時代の価値観をデザイン

などがありました。プラカードとかはその対象に対しての社会の受け止め方を端的に表現できるのでわかりやすいです。

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2: Event + Medium = Story
特定の事件や事故などのイベントを、そのイベントを象徴する媒介物で表現するのも、ストーリーテリングの技法としては有効です。

メディアを模したものをデザインするのもわかりやすい。Day2の課題でやった「ヘッドラインを書いてみよう」とかはまさにですよね。これまた2010年代を起点に考えるなら、100年前のアメリカ人にこれらの表紙を見せるようなことかなと思いました。

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黒人が平等に扱われるどころか、我らが大統領になるんだぜと。ここまでギャップがあるとそれでも信じてもらえないかもしれませんが、逆に言えばそれくらい、人間は未来に対して、現在のバイアスに縛られたレンズで見てしまうということでしょう。そうだとした時に、今回のシナリオの「みんなEBを当たり前のように受け入れている2050年のメディア」って、どんな表紙でどんな見出し文をしてて、その中のどれを2020年の人に紹介したら信じてもらえるか、をデザインしようと。

3:Style
フォント、形状、どんなオブジェクトにするかなど、スタイルはとても大事。綺麗に作り込んだ方が嘘くさくなることもある。なにを過去の人に感じさせたいか、デザインするもののスタイルにもこだわって考えるべし。

未来のことだからというって、空飛ぶ車をすぐに思い浮かべるなよ!とDay1からずっと言われているやつです。「対象のテクノロジー自体の最先端っぷり」を表現するよりも、「その時の普通の人々の普通の暮らしってどうなってるの?」を表現する方が、ストーリーとしての情報量がリッチだったりする。この卒業生のartefactも、あえて冷蔵庫に貼ってあるような日常の手書きメモだけど、それくらい普通の暮らしの一部に「food machine」が普及していることは、かえってリアリティがある訳です。

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4:Fake it till you make it
何しろ騙し切ることに専念する。不要に作り込んだりすると、かえって嘘くさくなったりする。何を持って「人はリアリティを感じ取るか」をよく考えて、デザインすべし。

わかりやすいなと思ったアドバイスは「いきなりフォトショップ開くな」というやつ。なんでもフェイク画像を加工すればいいと思われがちだけど、フォトショいじらなくてもできることはたくさんあるし、なんならそのほうが伝わることもある。

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例えば卒業生作品(テーマは確か”AI”)のこれも、創ったのはA4の紙に「HUMAN DRIVER」と印字したものだけ。それを作業員っぽいTシャツの背中に貼って、街の路上駐車のドアノブを握ってる写真をこっそり撮ってきた訳ですが、色々想像力掻き立てられる訳です。

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この作品も、製作したのは「DESIGNED BY HUMANS」のタグのみ。学生の家にあったぬいぐるみを持ってきてそれを貼っただけな訳です。これだけで、未来のAIにまつわるいろんな論点が浮かび上がる。前の作品にせよこの熊のぬいぐるみにせよ、「AIそのものの展示」ではなく、「AIの普及によって起こる、AI以外の領域での変化」を描いているのも、視野が広いし、”過去の人”でもイメージが湧く点でもGOODだと。デュシャンの泉ばりのアートシンキングで、ぜひ2020年の人々を信じ込ませてくれいという訳です。

5:Finally. Look for the future around you!
どうしてもartefactの題材が思いつかなければ周りを見渡してみてください。今のあなた自身の毎日が、このテックトレンドによって未来、どう変わりうるのか。

これも大事な視点。「それは俺にはカンケーないわ」と、切り離されてしまうことがMUSEUMとしては一番避けないといけない。最先端技術のとんがった未来の話ではなく、すべての見にくる人に関係のある未来の話として感じてもらうには、日常の変化を表現するのが一番ということ。

他にもたくさん作品例を見せてくれたけど、要点はこのあたりだったと思います。

いざ、アイディエーション

ということで、明日のDay5の展示に向けていざデザインです。僕らが選んだ「EBが完全に普及するシナリオ」を、2020年の「過去」から2050年の「現代」までの30年間の歴史で考えて、何がエポックメイキングな出来事たりうるだろうか。まずはブレストとして、A4白紙を3回折って、「8つのマス」を折り目で作った紙を用いて、個人個人で「8つのアーキファクト」を考えます。言葉じゃなくて、なるべく絵で考えます(あくまでも最終的にMUSEUMにしないといけないので)。

「袖が3つ以上ある服」「EBでも可能な食品に印字されるマーク」「反対運動のプラカード」などなど… チームの5人のメンバー×8つ=40のアイデアが出た上で、それを俯瞰して、時系列で並び替えて、

「ユートピア寄りか、ディストピア寄りか」
「STEEEPに偏りはないか」
「時系列で、近い年代の出来事ばかりに偏っていないか」

など、ここまで出てきたフレームワークと思考法を総動員して、まじで2020年の”過去の人たち”に、実際にくる未来を信じてもらおうとします。で、その中から最大10個の実際の展示アイデアを選定していきました。

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選定するときに使ったシート。A48つ割にポンチ絵でアイデアを書いたものをハサミで切って40個並べ、選んだものを左に貼って、説明と、STEEPのどの領域をストーリーテリングするものなのか、これで整理していきました。で、10個選んだものを。Day2で活用したFutures Wheelにならって貼り出してみます。

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EBがこんなに普及する気がしない!

最終的にどんな展示になったのかはDay5の記事に譲るとして、僕らのチームが一番悩んだのは、ここです。自分たちで「完全に普及するシナリオ」を選んだ訳ですが、どうも、自分たちがそういう未来を信じられないという壁にぶち当たった。じゃあなんで選んだんだよそのシナリオwと突っ込まれそうですが、ある意味それは「もっとも自分たちがバイアスを持って、最初に除外して考える未来のシナリオ」を選んだということで、それを「本当にありえないのか」を強制発想するには最適なチョイスだったんですけどね。

「体の一部を義体化する」ことを、どういう出来事でもって人間社会は当たり前のこととして許容しうるのか。その出来事を端的に表現したartefactってなんなのか。ここが一番、悩ましかった。我々の議論を集約すると、

・「障害者(=必需性)」と「変わり者(=嗜好性)」以外の人の
 EBを取り入れる理由とは何か。
・その時、巻き起こるであろう論争は何か。
 賛成派、反対派のそれぞれの主張はどんなものか。
・賛成派が多数をしめるに至ったロジックと出来事は何か。
 どうして反対派は「少数派」になって行ったのか。
・実際に普及していく過程で、何が起こったか。
・最終的に人々はEBを、どんな感情で受け入れているのか。

この辺に納得感のあるシナリオを描けるか、が課題になりました。実際に考えてみるとわかるんですが、これって単なる「SFシナリオの勢い創作」ではなく、広範な社会への教養の深さが問われる「総合演習」だってことにこのへんから気づきました。本当にいろんなことを知っていて、考察できていて、応用できて、かつクリエーティブジャンプしないと、説得力が出ないんです。で、散々悩んで、一応解を出したんですが、それを言葉で説明するより実際にやったmuseumで見てもらいましょうか、ってことでDay5に続きます。

まとめ: めっちゃ、アラン・ケイ

Day4は午後から完全に放牧状態で、グループワークに入って、アイデア出したり、議論したり、ファブルームに行って工作したり、なんだかんだでフォトショップ一部使ったりと、学園祭前日状態に入っていきます。楽しかった笑 

でDay4、というかDay1からここまでの流れをまとめると、「めっちゃアラン・ケイ」に尽きる。っていうのも、このコースが「未来予測=答えが定まっているものをあてにいく所為」ではない!ということが何遍も言われてきたけど、実制作作業に入ってそれが如実にわかった訳です。これは、「未来を自ら想像・創造するために、正しく社会を理解し、関係性をデザインすること」だと。それって、まさにPCの父、アラン・ケイのこの名言じゃないかと思った訳です。

“The best way to predict the future is to invent it.”

この言葉って、ともすると、「未来なんか考えても意味ねーから、作ろうぜ」と訳されそうなんですが、きっとアラン・ケイは「未来=考えても意味ない」とは思ってないはずです。「当てっこする未来予測」には意味はなくても、「正しく社会の行く末の可能性を考え、その時に価値を生み出すであろうことを創り出そう」と、こういうことを言いたかったんじゃなかろうか。Day4でめちゃくちゃ考えまくった末に、これは「アート=正解のないことを生み出す所為」だなと改めて思ったんです。実際にこれが2050年に実際に起こることかどうかを論点にするのではなく、価値ある未来の問いを現在に落とすことで、価値ある思考を今、始めようと。それができれば、他の人が抱える「未来のバイアス」の向こう側にある新しい発想ができるはずなのであると。

まとまって参りましたが、何しろ、楽しかったんですよ、この制作作業。右脳左脳両方めっちゃ使うし、僕みたいな「ノンデザイナーズデザイン」みたいな、いわゆる美大出てますっていうんじゃないデザイン領域を担う身として、すごく、それでもデザインをしている実感があった。いやあこのコース選んで正解だったわー自分、という取れ高はすでに満腹だったけど、Day5の様子はこちら。

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