このご時世に入院したら、自由の得難さを思い知った
自分と社会の関係性のお話。
7月中旬に、入院してました。2週間。最初の1週間は40度弱の熱が出続けるという恐怖。虎舞竜の例の歌詞の一節をこんなに我が事として身にしみて考えさせられたのは初めてでした。そんな入院のお話。あらかじめお断りをしておくと、「コロナではない」という結論なので、「じゃない方の病気記」としてお楽しみください。
自宅で5日、待機の刑
6月頭に長男が生まれ、7月は育休をいただいて家のこと100%でやっていた訳ですが、そんなある日。今日は初の電車移動だ!と張り切って、街をベビーカーでぶいぶい言わせ、買い物もし、なんならその前に早朝5kmのランニングまで済ませて、いわゆる自分的パーフェクトデーだったんですが、その日の夜に38度超えの発熱。家族一同顔面蒼白。ついに我が家にCがきたよってな訳で、長いー夜をー震えながら超えました。
翌AMになって即病院、と言いたいとこですが発熱患者はそうは行かない。まずは保健所にTEL→区の医師会にTEL→家の近所の内科を紹介いただくと言うタライ回しを乗り越えて、予約でいっぱいの中、ディスタンスを保って登院できるのが12時。39度でAMを待機し、行った訳ですが原因はわからず&PCRは普通の内科じゃやってない。その病院から区のPCRの検査の予約を試みてもらった訳ですが4連休直前の水曜ということで、その日の午後は満杯で、
「次の予約が、月曜の14:30なので、それまでご自宅で静養ください」
とのこと。え、今39.6度ですけど。家には幼子がいるんですけど。月曜って、5日後ですよね。何かの刑ですかこれは。
なるほどこういう罠があるのかコロナ禍。驚愕しながらも意識が朦朧としているので、謎の素直さで抗生物質だけもらって一旦家に引き下がった訳だけど、やっぱり死ぬほど辛いので、ツテを辿って区外の病院に入院することになった訳です。
「医者がいうには、コロナではないと」
早速、血を抜かれたり尿をとったり、並行して抗原検査と鼻粘膜PCRを実施です。抗原検査は「陰性」。咳も喉痛も鼻水もなく、ただただ熱と頭痛とリンパがゴリゴリに腫れている状態。何しろコロナじゃないことを祈るばかりだったこの頃は、一瞬ホッとした訳だけど、「最近のコロナの型は変化していて、咳が出ないやつもあるから何とも…」と言われ、完全隔離の個室へGO。ここから長い戦いが始まった訳です。
PCRの検査結果が出るまで3、4日かかるとのことで、それまでは一人で個室でひたすらに熱との戦い。病原が特定できないので、薬も解熱剤しか飲めず、単に待つしかないのが一番辛かった。40度の熱がデフォで、解熱剤が効くと38.5度まで下がる。下がる過程でビッショビショに汗をかき、また熱が上がり出すと歯がカチカチなるほどの寒気でじっとしているのも辛い。その繰り返しを幾度も繰り返す。人の幸福感って、目の前で起こっていることが多少ストレスフルで有ったとしても、人生の局面が進展していくことに起因しているんだなあとまじまじと感じました。何の進展も好天もなく、ただただ熱が下がって上がるの繰り返し。
途中でより精度が高いということで、唾液のPCRも検査に回し、結果待ちの無限を乗り越えて、結果は「陰性」。コロナではない、と。ただ、ここまで辛い時間が続いていると、「コロナか、コロナではないか」ではなくて、「何でもいいから治ってくれよ」という感情の方が100倍くらい強いので、全然嬉しくない訳です。血液検査ですぐわかるような一般的なウイルス性感染症の検査結果も全て陰性が出ている訳で。っていうことは、恐ろしいことに何かの難病の説というのが浮上。HIVやら白血病やら、そういうのも症状からは該当するとか医者が言った後に、「とりあえず、コロナではないと」と言われたって、こちらとしてはミルクボーイ内海の声で脳内再生して何とか茶化そうとするのが精一杯。ちなみに病原がわからないので、まだまだ「ただ寝るだけ戦法」は続きます。入院5日目。
誰しもが突然、社会的弱者になる
三度の血液検査やらCTやら、色々やれることはしてもらったんですが、最終的には、「原因不明」でファイナルアンサー。そんなことってある?って思いましたが、ウイルスなんて人間がわかっているのはほんとにごくわずかな訳で、やばい病気の検査結果が陰性だったことがわかった以上は、あまり心配せずに体が打ち勝つのを待つべし、ということらしい。コロナ陰性が出た日から大部屋に写り、悪態爺さんと、東欧系の元気な喘息持ちアクバルさんと同室になったり、看護士という仕事に途方もないリスペクトを抱いたり、(この話はまた後日書きますが)色々ありました。自分ができるのは、熱の乱高下に耐え続けること。この辺までくると不眠が深刻で、睡眠薬に頼りつつの毎日でした。
入院9日目くらいに、急に熱が37度台になり、それ以降は高熱が出なくなり、長い戦いの終わりが見えてきて。だんだんと思考がクリアになってくると、いかに自分がいつも、「いつも」に対してありがたさも感謝も感じずに生きているかじんわり痛感してきて、なんか泣けてきた訳です。その時の手帳にはめっちゃ汚い字で、「それだけで幸せだったと今思うこと」として、
・自由に歩いてどこへだって行けること
・風を感じて、気持ちよくなること
・美味しい食事が食べられること
・ランニングできること
・寝れること
・見たいものを見たいときに見られること
・好きなときに好きなだけ風呂に入れること
と書いてあります。人間誰しもが、ある日突然こうやって、何もできない状態になりうる。社会的な弱者になりうるという圧倒的な事実を実体験して。それが自分にとってはものすごく大きな得難い気づきになった。ああ何と今まで、狭量な世界線を我が物顔で生きていたのだろうと。何と今まで、頭で理解することを全てと思い込み心で感じることとの違いに気づけていなかったかと。
そんな気づきと反省と大量の耳垢と共に、13日目に無事退院しました。実家に帰還後すぐに入った風呂と、最初に食べた母のポークソテーがしみすぎてまた泣きました。
自由は得難いから使い倒したほうがいい
人間っていうのは恐ろしいもので、喉元過ぎれば熱さを忘れるんですよね、誠に。あのパラマウントベッドの上で無限ループのような毎時間を過ごしていた日々のことを何となく忘れてきている気がしたので、このnoteを書きました。とりあえず、コロナ禍の今、地味に一番危ないのは「コロナっぽい初期症状なのに、コロナではない、コロナよりやばい病気」だということは、皆さんにもお伝えしたいです。医療機関やら医師会やらが、コロナかコロナじゃないかでミルクボーイ状態に多少なっているので、「とにかく辛いから何でもいいから助けてくれ」という勇気を持つといいかと。
そして、自分がこの日常で無意識のうちに享受してきた、「自分と社会の関係性」を、もっと大事にしたほうがいい。自由って、超得難いんですよ。だから、行きたいところに行き、会いたい人に会い、買いたい物を買い、見たいものを見る。コロナや人様への迷惑は最低限気にしながらも、どんどんやったほうがいい。35歳の、子供が生まれた直後に、こういう経験を食らった私には意味があったのだと長い長い時間で切り替えて、今は思うようわけです。相部屋だった90歳の方は、尿は尿瓶にし、ベッドから起きるのにも看護師さんの助けが必要で、そんな人を僕は人生で初めて、四六時中身近に感じ続ける数日間を過ごした。彼がやりたかったのにやりそびれたことを、自分はやりそびれないようにしたい。これはこのご時世じゃなくても、不自由を経験した人はみんな通る感情なのだと思うけど、それが突然に身に襲いかかること、そしてコロナで在宅だった日々すらもしたいことがたくさんできたんだなと思い知ったということが、大きかったように思います。
そんな、自分と社会の関係性は「得難い自由の上にある」というエッセイでした。これにて我が家の唯一の家訓は「健康第一」に決定しました。
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